【第二部 この手に届く星】1.ウザいケチんぼと陰気な呪い屋(1)
爆音にも似た響きが頭上で空気を震わせる。
「……誤爆と思いたいよね」
青い顔で上空を振り仰ぐアメリカ軍兵士──バーツ・クォーク。
暗がりの中、農道を歩く自分たち二人の姿など空からは見えないと分かってはいるのだが、泥で塗れたヨレヨレの軍服が地面と同化して見えるように、今更ながら地に突っ伏した。
闇に落ちたノルマンディーの漆黒の空を、B24リベレーター航空機が横切った。
夜に隠れたその姿が朧なだけに、そのエンジン音は暴力的なまでの威圧感を放っていて恐ろしさが膨れ上がる。
ドイツ軍はもともと少ない航空機を本国へ集中させていたが、ノルマンディー上陸作戦に対応して相当数をフランスへと配備したという。
ただし、アメリカはじめ連合軍の戦闘機の方が圧倒的に数を上回った。
従って、海岸に近いこの辺りの制空権は連合軍こちらが握ることになった。
味方に空を守られている──なのにちっとも安心できないのは、実は陸軍兵士戦死者のうち数%は彼等による誤爆が原因だと知っているからだ。
「ああ、恐ろしくてたまらないよ。ああ、軍人なんて絶対嫌。ホントに辞めたい。辞めたくてたまらないよ。一生働かずにグダグダと、アイドルの追っかけしながらポエム作って暮らしたい」
虚ろな眼をしてブツブツ呟くバーツ。
不意に我に返ったように、傍らの背の高い灰色の青年を見上げた。
「黒絵ちゃん……あ、いや、クロエちゃん? 私たちどこへ向かってるんだろう。ところで、ここって戦場なのに何で私たち二人とも丸腰なの? 危険極まりないよね? そうは思わない?」
突然絡まれて迷惑なのだろう。
クロエ・ピローはいつものニタニタ笑いを顔面に張り付かせてこちらを振り返る。
ただし、その笑みはどこか乾いていた。
「だよねぇ。Gリストの銃、貰っときゃよかったよね」
その言葉に、バーツは一瞬怯む。
弟の死体も見付けられず、偶然の爆発で死亡したGリストの遺体も回収できずに、二人は夜陰に乗じてノルマンディーの海岸まで移動してきたのだ。
つまり、なりふり構わず元来た道を逃げてきたわけだ。
「……Gリストのじゃなくて。自分の銃は? 何で持ってないの? ここは戦場だよ? ちょっ、何笑ってるの?」
「来る途中、海に落としたんだ。水浸し。もう使えない」
「き、奇遇だね。私もだよ!」
正確に言うと弟が抱えに抱えていた秘蔵の銃が海中に没したのは自分のせいというか。
弟に散々なじられたものだから、さすがに落ち込んだのだ。
同じ境遇らしいクロエに、勝手に妙な親近感を抱いたバーツ。
「クロエちゃんも怒られたの?」
「もぅ、怒鳴らないでよ、うるさいなぁ。呪うよ?」
「ゴ、ゴメンナサイ。呪わないで」
東洋で呪いを学んだなんて話は信じちゃいないが……陰気な物言いは雰囲気十分で、少なくともバーツを黙らせるには効果的な呪いであるようだった。
「あぁぁ、味方に怯え、敵にも怯え、さらに連れにまで怯える始末。まったく、私の人生って何? 理不尽ったらないよ……」
訳がわからないうちにカイが去り、突然の死亡連絡。それからGリストも。
カイ・クォークとGリストの死。
つまるところウザいケチんぼと、陰気な呪い屋。
どうしようもない二人が残ってしまったわけだ。
ほら。
油断してたら呪い屋は海岸の砂地に魔方陣らしき図形を書いて、その中央に座り込み「モシモシ。モシモシ」なんて何やらボソボソ喋っているし。
いやぁ、何と交信してるの?
聞くに聞けない。恐ろしくて。
だけど沈黙も怖い。いちいち呪われそうで。
「あのぅ、黒絵……いや、クロエちゃん。ど、どこに向かおうとしてるの?」
フォルミニーからの帰り道、みすぼらしいくらい背を丸めて歩く二人の間に何度この言葉が繰り返されただろう。
そのたびにクロエは「あっち……」と前方を指さした。
「あぁぁ、そう。そうね、あっちね……」
彼に従って歩き、そのままここ、オマハの海岸までやって来た。
バーツにしてみればスタート地点に戻ってきたわけだ。
弟と二人でここに泳ぎ着いたのは、つい今朝方のことだったっけ……。
じゃれるように弟に絡み、叱責されては笑ったときの感情が蘇りそうになるのを、バーツは抑えた。
海岸には上空を飛ぶ味方空軍の目印のためにサーチライトが並べられており、明るい。
だから、分かる。
今しがたクロエが「あっち」と指差した方向が、紛れもなく海の中だということが。
そして、そちらへ向かって彼がズルズルと歩を進めていくのも。
「ど、どこ行くの? 何見てるの? ちょっとクロエちゃん、私の声聞こえてる?」
しかしクロエ、一切無言。
──何なの、この人。心底恐ろしいんですけど?
構える間すらなく、海から爆発音。立て続けに数発。
交戦しているわけではないが、多くの上陸艇が浮かぶ中で時折銃声が聞こえるのは味方のものか。
あるいは血に汚れた砂浜に寝ころんだままの死者の銃が、最後の弾丸をばらまいているのか。
同時に襲い来る爆風をものともせず、ひたすら前進するクロエの灰色の影は、重戦車並みに恐ろしいものだった。




