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10.クロエとGリスト(クロエの独白)

 有能な兵士ではあったものの、周囲と打ち解けるのに努力を要した──というのも転属希望の動機かもしれない。

 いずれにしろ大した理由もなかった。

 憧れだけで特殊部隊(レンジャー)への転属を願い出た。


 一九四四年一月二十二日のこと──いつものように訓練に励んでいたクロエ・ピローは個別に任務を命じられた。

 Gリストと行動を共にし、サポートしろ。

 それは同時に見張れ、要請があった際には奴の行動を報告できるようにしておけという命令であった。


 不可解な任務だがクロエは受諾し、以来、二人はずっと一緒だ。

 横領を告発したり、麻薬の捜査を行ったり。活動は多岐に渡る。


 軍では異色の行動を取る彼らは、他との接点が極端に少ない。

 相棒の存在がどれほど大切なものか、クロエは口には出さぬものの痛いほどよく分かっていた。


     ※ ※ ※


 夜の帳は今しも下りようとしていた。

 曇った青暗い空が徐々に闇に侵食されていく。


 見晴らしの良いフランスの農道を、内陸に向かって進む。

 背後にいつまでも聞こえていた波の打ち寄せる音が徐々に小さくなって、静かに消えてしまったことに気付いた者がいただろうか。


 小麦畑の間に造られた幅の狭い砂地の道は、生活道路であると同時に街道としても使用されている。

 アメリカ軍のジープの幅でギリギリという細い道であるが、常であればここは収穫した小麦を積んだ荷車や、行商人が行き交う活気ある場所なのだろう。


 戦場のただ中に位置するこの周辺の村の住民たちは、今は多くが避難しているようだった。

 避難先のない者も息をひそめているに違いない。


 ただならぬ緊張感に空気が張りつめていることにさえ気付かなければ、ゆったりと広がる小麦畑と吹き抜ける風、かすかに漂う海の香り、オレンジから紺へと静かに色調を変える空に、心を癒されたに違いない。


 だが実際のところ、慣れない大陸の夕闇は兵士にとって恐怖以外の何者でもない。

 小麦畑、それから点在する農村のどこにドイツ兵が潜んでいるかもしれないのだ。


 どこから銃弾が飛来するか分からない。

 死を見慣れた彼らには、己のそれすら簡単に想像できるものなのだ。


 歩き始めて数時間。

 フォルミニーはもうすぐだ。

 口元に貼り付いた笑みを歪めることなく、クロエは灰色の煙を吐き出した。


 興味はないけど振り返る。

 何とか連絡をとろうと必死なのだろう。

 重い無線機を不器用に担ぎ、それを操作しながら文句一つ言わずに付いてくるバーツの姿。

 ……何となく、鬱陶しい。


 こんな奴と関わる必要ないのに。

 心底そう思うのに。

 それなのにGリストときたら。


 麻薬の運び屋であるカイ・クォークの死をもって、今回の任務は終了したはずだ。

 本人の死体を確認するまでもない。

 自分たちには、軍が用意した正式な死亡証明書さえあれば事足りるはずである。

 少なくとも弟を心配する兄に付き合う必要なんかないはずだ。


 お節介というか。

 一度関わってしまった以上、顛末を見届けないと気が済まないのかもしれない。


 再び煙草に火を点けて、スゥ……と煙を吸い込む。

 血液に最適な温度が蘇り、萎縮していた四肢がとろけだす。

 麻薬のもたらす錯覚だというのは分かっている。

 しかしこの瞬間だけは彫像の自分が、人間に戻れる──そんな感覚に救われるのだ。


「いい加減にしろ、貴様。何本目だ」


 Gリストが小さい背を伸ばして、彼の手からGOLDを奪い取った。

 陽はおちてあたりは宵闇に覆われているが、間近で見る相棒の表情が曇っているのは察せられる。クロエは意図的に笑みを作った。


「さぁ……六十本目かなぁ、今日一日で。別に普通だって」


「機嫌悪ぃな、クロエ」


「別にぃ? 脳内で一人、呪ってただけ」


 チラリとバーツの足音の方を見やる。

 こちらの会話にまったく反応する様子すらないその態度が、さらに腹立たしい。

 クロエはじっとりした視線を足元に送った。


「何で? カイ・クォークの死体なんて、引き取ったって邪魔になるだけじゃん。こっちの身を危険に晒してまで回収する意味とかないし。どうしてもやりたいならあいつが一人で行けばいいんだ」


 ボソボソと不平をこぼす相棒を見上げ、Gリストは無神経にも顔をしかめた。


「何を怒っている?」


「だから、怒ってないって。呪ってるだけ……」


 ほとんど無意識の動作でクロエは再びGOLDを取り出す。

 一本を口にくわえたところで、案の定叩き落とされた。


煙草(ソレ)はやめろって!」


「ヤだよ。やめないよ?」


 紫の視線に射抜かれ、灰色の男は俯いてみせる。

 急いでもう一度、新たなGOLDを出した。


「しょうがないもん。何度も禁煙しようとしちゃ挫折したし。どうせオレ、中毒だもん。吸いたいイライラが襲ってくるともぅ、ムリ」


 ふざけた調子でそんなこと言いいつつも、なかなか火を点けようとしない。

 Gリストの顔をチラチラと見比べ、結局煙草の方を折り曲げて捨ててしまった。

 それでいいんだ、と相棒が笑顔を向ける。


「ちょっとぉ……勝ち誇ったように笑うの、やめてくれる?」


 相棒の無言が、彼の優位を表しているようだ。

 クロエが珍しく饒舌なのは、少々不貞腐れた思いを隠しきれないからだろうか。


「歩くのも疲れてきたよ。そもそもヘロインのことだって、別にオレらが調べる必要ないわけだし。だって、そもそもそんな命令されてないんだから」


 笑っていたGリストの顔が、ようやく真顔に戻る。


「そういう問題じゃねぇ。俺の捜査が甘かった。カイ・クォークがヘロインの運び屋なのは恐らく間違いない。でもしょせん小物だ。バックにいる誰かに口封じに消されたんだ。多分、俺と接触したせいだろうな」


 バーツには聞かせたくないのか、小声だ。

 頭が悪いくせに、時に鬱陶しいくらいに正義感の強いこの相棒。


「……あんたのそういうトコ、本当キライだよ」


 自分のペースを取り戻したくて、いつもの笑顔を顔面に張り付かせる。


「クロエ? 笑うなら、ちゃんと笑えよ」


「……オレ、ちゃんと笑ってるよ?」


 痛いところを突く相棒が本当に……嫌いだ。

 しかもクロエには分かっていた。

 Gリストが命じられてもいない麻薬の流れを追うのは、自分のせいだ。

 夜の闇の中、気付かれないようにGOLDの箱をそっと地面に捨てる。


 ──オレがヘロインに溺れたせいで……。


 独特の苦い匂いからも分かるように、GOLDにはヘロインが微量に含まれている。

 だから部隊内で爆発的に広がったわけだ。


 世間に同一の製品がないことは調査済みだ。

 GOLDはアメリカ軍、しかも陸軍だけで出回っている。

 内部の者が怪しいに決まっている。


 狭い範囲での流行なので、製造には大規模な工場など要しないはずだ。

 バーツが拾って天日干しなんて馬鹿なことを言っていたが、それこそ市場から仕入れたヘロインと、一般的な煙草さえあれば個人の部屋で手作業で製造することだって可能だろう。

 そうなると主犯が誰なのか、確定するのは難しくなる。


 どこが──あるいは誰が──製造し、流通させているのか。

 それを判明させるために、Gリストは独自に捜査を開始したわけだ。


「つまり、カイ・クォークのせいだよ」


 再びバーツを睨み付ける。

 それでも弟を思って絶望的な怒りに身を置く彼の気持ちも、クロエには痛いほど分かるのであった。

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