6.その名(1)
「あー、もう無理。あー、ふくらはぎ痛い。ふくらはぎの裏、特に痛い。足の裏も痛い。あと膝……膝が致命的……」
重いバックパックを背負わされ、フランスの農道をトボトボ歩く兵士──ヘタレ兵士。それは勿論バーツである。
愚痴でも言わなきゃやってられないというのが本心だ。
「とにかく膝が……あっ!?」
それは不意の出来事だった。
こめかみに冷たい感触。
これは鉄──銃口だと悟ったヘタレ兵士は、瞬時にして己に誓った。
あぁぁ、一切逆らわずに命令を諾々と聞こう!
金を置いていけと言われたら、勿体ないけど有り金全部くれてやろう。
だから「動くな」と言われる前にピタリと止まり、「手の平をこちらに向けろ」と言われる前に両手を高々と掲げたのだった。
またオヤジ狩り──いや、そもそもオヤジじゃないんだけど──か、あるいはGリスト捜索の妨害者か?
あぁぁ、頼りになる弟クンから離れたのが運の尽き。
オシッコしたいから付いて来てと頼んだ時のカイの顔ったら。
「奥の方から呪いが……そう、込み上げる感じで……」
──ちょっと、何なの?
ブツブツと聞こえる低い声。
バーツの頭に銃を突き付けている男ではない。
背後にもう一人、ぴったりとくっ付いている人物がいる。
書物でも読み上げているのだろうか。その声が後頭部に響くのだ。
横目でチラリと伺う。
いやが上にも目に入る銃口──これはS&Wモデル39、だと思う。
だとしたら、カイを狙撃したのは……。
「細胞の隅々まで呪う方法があると思う? それがね……」
嫌な囁きは途切れることなく続く。
──何だろう。ものすごく不気味なんですけど?
硬直を解けないバーツ。
彼に突きつけられていた銃口が一瞬、揺らぐ。
その僅かな隙をバーツが見逃さなかったのは奇跡と言えるだろう。
瞬時に体を回転させる。
勢いを利用して膝を蹴り上げた。
──入った!
膝にグニャリとした感触。
銃をポトリと落とし、目の前の男が物も言わずに倒れる。
白目を剥いてるのが分かった。
バーツの膝が、男の股間に命中したのだ。
「うわ、ごめ……」
──何でだろ。私まで足元がスースーして薄ら寒いのは。
無意識に内股を閉じてブルッと震える。傍
らで背の高い若い男がニタリと笑った。
相棒が股間を押さえてピクピク痙攣する様が面白いのか、手助けするでもなくニタニタしている。
二人ともアメリカの軍服を着ている。
まだ若い。
所属はしかと知れないが、友軍である事は間違いない。
それが何故、バーツに銃を突きつけるのだ?
「あの……」
何にしろそんなトコ蹴っちゃってゴメンね?
男の側に座りかけた時だ。ウゥ……と呻く彼の眸がカッと見開かれた。薄紫のその眸の透明さに、さしものバーツも一瞬見とれる。
「死ねよ、貴様ッ!」
意外と甲高い声。吐き捨てると同時に男の手が引金を引く。
空気が破裂する軽い音。
銃口がブレなければ、バーツの顔面には鉛が埋め込まれていたことだろう。
こめかみのすぐ脇を掠める銃弾。
その衝撃と摩擦で視界が一瞬、闇に落ちる。
軽い脳震盪に襲われたのだ。
「死ね!」
続く銃撃。
髪の毛を掠め、足元の土を撒き散らす。
「し、死ねって何なの? やめてよ。死なないよ。撃たないでよ!」
武器を持っていないので、せめて言葉で言い返す。
十数発の銃撃がバーツの命を奪わなかったのは、男の手元が定まっていないから。
内股がフルフル震えている。
今尚、股間の激痛に耐えているようだ──腹が立つよりも気の毒な思いが先に込み上げるのはなぜだろうか。
マガジンを交換して、執拗に続く至近距離からの銃撃。
たまらず、バーツはポカージュと呼ばれる農道の影に飛び込んだ。
身を縮めるように隠れる。
ああ、もうっ! 肝心な時に軍オタの弟クンはいないんだから。
「本職でしょうが、あの子!」
吐き捨てるバーツ。
自分だって一応、職業兵士なのだが。
「ホラ、もうおしまい。殺しちゃ駄目でしょうが」
背の高い方の男がキレた相棒を嗜める声が、銃声の合間に聞こえる。
しかし言葉とは裏腹に、本気で止める様子はない。
暗い笑顔でこちらを見ているだけだ。
小柄な身体を震えさせながら、紫の眸の男がマガジンを交換する一瞬の空白。
銃撃が止んだその瞬間、バーツはポカージュを飛び出した。
そのままの勢いで突っ込む。
叫びながら、紫の眸をした男の小柄な体躯を突き倒した。
全体重をかけて男を押し倒す。
弱点は分かったと言わんばかりに狙うのは、とにかく股間だ。
踏み締めて──踏み締める。
人の気配のない農道で、バーツの凶行は数十秒ほど続いた。
「ウッ! グッ、グェッ! き、貴様ッ、本気で、殺すぞ! ゲッ!」
「死んじゃうから。嫌な死因になっちゃうからやめてあげてよ」
さすがに見かねた長身の男が止めに入るまで、バーツは嫌な足踏みを繰り返していたのだった。
息も絶え絶えな紫眸の男に、もっと早くに止めろと怒鳴られて、背の高い方は笑いを噛み殺す様子。
「痛かったぁ?」
「痛いわ! 死にそうだ!」
内股をガクガクさせながらこちらを向く。
強い紫の視線に、バーツは気圧された。
この男は何故自分を狙ったのだ。
オヤジ狩りという雰囲気ではない。
いくらなんでも銃を持ち出すというのは凶悪すぎやしないか。
「わ、私はバーツ・クォーク。叔父はウェイマス基地のクォーク大尉。ほ、ほんの警務隊長ですが?」
弟クンの真似をして言ってみた。
しかし効果は一切、ない。