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【プロローグ】ノルマンディー沖・洋上爆撃(1)

「理不尽ナリ!」


 一九四四年六月八日夜明け──フランス・ノルマンディー洋上で、男が叫んだ。


「あぁぁ、ハナから気が重いよね。これから私たち、激戦地区のフランスに死体探しに行くんだよ」


 初っ端から、この弱気発言。


「死体だよ。し・た・い! 普通わざわざ探すもんじゃないよね」


 あぁぁ、理不尽な事この上ないよ……と、バーツ・クォーク二等兵は船の甲板にうずくまった。眼鏡が鼻からずり落ちる。


「あと、物凄い揺れ。うぇ……吐きそう。吐きまくりそう」


 快適な乗り心地とはかけ離れた軍用艇。

 大陸へ向かう要員を乗せて、荒波をかき分ける。


 軍用船の常で、居心地よりも機能を重視した造りであり荒々しいエンジン音が容赦なく足裏を、そして全身を震わす──そう、とりわけ胃を。

 船酔いの嘔吐感はそろそろ限界に達しようとしていた。


「ハクハクハク……吐く。私、リバースしちゃう!」


 気を紛らわせようと、なるべく別の事を考えてみる。しかも声に出して。


「な、何せここはW.W.Ⅱ最大の激戦区だもの。海の上からしてこれほどの地獄。上陸地点ってば一体どうなってるのかな。あぁぁ、ドイツ軍のウイルス攻撃で、住民全員まさかのゾンビ化してたりして。脅威のパワーで連合軍(わたしたち)を瞬殺。死んだ兵士はまたゾンビ化して蘇り……ウプ」


 どうやら空想の対象を誤ったようだ。


「ゾンビが……あっふ……未知の大陸で、大好きなゾンビさんがわたしを……。た、助けて、カイ君」


 側にいた軍服の青年の元へ駆け寄るも。


「チッ!」


 明からさまな舌打ちに、怯む。


「黙っててください、バァさん。今、船の数を数えてるんだから」


「あぅ。船の数を? この海の上で無数に並ぶ上陸艇を? そんなの数えてどうするの? 何を得るの? とりあえず把握しときたいの? あと私のことバァさんって呼ぶのってどうなの? ねぇ、カイく……」


 何がゾンビだ。ヨーロッパを舐めてんのか──小声の悪態に、バーツは今度こそ完璧に怯んだ。

 もうイヤだ。怖すぎるんだもの、この人も。そしてこの状況も。




 一九四四年六月のノルマンディーは、時節に合わず雨続きであった。

 天気が良ければ目視で大陸を確認できるというイギリスとフランスの短い海峡も、今は波が踊り、風が舞う過酷な環境と化していた。

 雨が止んだのが幸いか。


 揺れに揺れる海。荒れに荒れる胃。

 ゴメンナサイ。私、本当にもうダメ──言ってリバースしようとしたバーツのこめかみを、青年の指が弾いた。


「アデッ! な、何なの? カイ君」


 出かけたモノが、何とか引っ込む。

 カイと呼ばれた青年の指先が、今度は波間を指した。


「何?」


 灰色の海の向こうに、微かに濃い影が。


「……あれは陸? あぁぁ、陸だ!」


 悲鳴とも歓喜ともつかぬ微妙な声量でバーツは叫ぶ。

 待ちに待ったのは確かだ。あそこは足元が揺れない陸地だけど。

 いや、でも激戦区だし。あぁぁ、そう思うと気が重いんだか軽いんだか。


「あの戦場に、こんなややこしい任務を抱えて出向く羽目になるとは」


 カイもそこで初めて身を起こした。


「そうだよね、カイ君。私もまったく同じ思いだよ。できればこんな任務は断りたかったよ。だって上手くいく気が全然しないんだもの。どうしたらいいの!」


「バァさんは無能なので仕方ないですよ」


「えぇぇ! そんな慰めってあるのかなぁ! でもねカイ君、ちょっと聞いていい?」


「何です? バァさん」


「バァさんって何……キミ、お兄ちゃんに向かってバァさんって。いや、まぁこの際それはいいよ」


「だって、名前がバーツだから」


「バーツだからあだ名がバァさん……間違っちゃいない。間違っちゃいないけど……いや、それはいいって言ってるでしょ! 私が言いたいのはカイ君、キミ一人でくつろぎすぎじゃないかってこと!」


 洋上。

 甲板に設置した小型パラソルの下にハンモックがユラユラ。

 極上の金髪美青年が実に優雅に寛いでいる。

 もちろん、甲板にこんな光景は他にない。


「何か?」


「いや、何かって……おかしいでしょうが。コレ、軍艦だよ? ココ、戦域だよ? 今、戦時中だよ? キミ、軍服着てんだよ? こんなくつろぎっぷりが許されると思ってるの!?」


 弟──カイの濃い青の双眸がスッと細められた。

 あぁぁ、怒ってるのかな。またこめかみパッチンとかされるのかな。アレ、痛いんだよ。痛いんだけど……。


「……でもちょっと、イイ」


「は?」


「べ、別に。き、キミも大概自由だよね。軍人なのに自由度がすぎるよ。軍隊ってあらゆる手段を用いて痛めつけて人間性を奪って、戦う機械──兵士を造り上げる所だよ。なのにキミの気儘っぷりってどうなの? もぅ、ハンモックって何? どうして誰も何も言わないの?」


 当然というべきか、海に浮かぶ他の上陸艇では兵士たちが移動の間も秩序を保っている。

 ハンモックを設置している艇なんて自分たちのところくらいだ。


 事情が事情なので上陸部隊とは行動を別にして彼ら二人だけ艦内の指揮を離れているわけで、抗議を受けることはないが。し

 かし時折ちらりとこちらを見やる兵士はきっと苦々しく思っているに違いない。

 ハンモックの上で欠伸をしてから、弟は意地悪く笑った。


「人間性ですか? とっくに奪われてますよ」


「あぁ、そうだよね。ある意味、そうだよね。キミには人間性なんてないもんね、昔から。あるのは悪魔じみた……ぶっ! ちょっと、ゴメ……ボエッ!」


 口元を押さえる間もない。

 突如、こみ上げてきた大量の──昨日の夕食。

 ハンモック目掛けてぶちまける。


「ボェェエエェ……!」


 咄嗟に甲板に飛び降りた弟クンに、しかし悲惨な液体は飛びかかり──お気に入りの軍用ブーツに飛沫が、ちょっとかかった。


「ご、ごめん、カイ君。大丈夫?」


 弟の整った顔から瞬時にして血の気が失せるのが分かる。


「舐めて拭いてください」


「カ、カイ君? ゴメンってば」


「さあ、舐めて!」


「ヒィ!」


 幾分、本気の激昂を、しかし甘んじて受ける。


「な、舐めたらいいんだね。ハァハァ」


 おかしな具合に呼吸を乱す兄から一歩身を引いて、カイは自身のハンカチを取り出した。

 支給品の中でも高級なブーツを拭いだす。

 それから心底、呆れたようにため息をついた。


「軍人で船酔いはないでしょうが、バァさん。オマハの第一陣上陸部隊なんて海岸の十一マイル(約十八キロ)沖で上陸用ボートに乗り込んだと言いますよ。海も荒れて、実によく揺れる。揺れる揺れる。揺れる揺れる……」


「カ、カイ君。やめてっ!」


「揺れる揺れる揺れる……」


 耳元でしつこく言われ、再びこみ上げるモノが……。


「ボゲェ、ごめ……ボエェェ!」


 ブーツ、兄も弟もゲロまみれ。


「ごめんなさい。舐めますから。ちゃんと舐めてキレイにしますから」


「拒否します」


 本気で怒られた。

 バーツは床に両膝をつく。あぁぁ、厳しい任務を押し付けられ、サディストの弟にはイジめられ──こんな時こそこう言いたい。


「理不尽ナリ!」


 叫ぶとちょっとだけスッキリした。

 聞かれてもいないのに、その言葉を解説する。


「理不尽ナリ──つまり、私の最強の推したる『ぼんやりアイドル・フィーマちゃん』が唯一発する意味ある言葉。コレ、今私の口癖なんだ」


「ぼんやりアイ…………へぇ」


 何か言いたげな様子で、しかし押し黙る弟。


「フィーマちゃんのこと考えてる時だけ、生きてるって実感できるんだぁ。癒しって必要だよね。おお、我が心のアイドル、フィーマちゃん! 写真見る? ホラ、カワイイでしょ」


 肌身離さず持ち歩いている雑誌の切抜き。

 さすがに好奇心に駆られたか、弟も覗き込んできた。


 それはパッチリお目々の黒髪美少女が、トナカイの気ぐるみを着てポーッと座っている写真であった。

 死んだような虚ろな目をして、口は半開き。

 年の頃は十代後半か。この年代特有の溌剌さなど微塵も感じられない。

 弟の表情が陰り、険しい視線がバーツを抉ることに、兄はあえて気付かないふりをした。


「このアホ毛もいいでしょ。まさに萌えポイント満載なんだよ」


「……何て言うか」


 カイの深い青の双眸が一瞬、虚空を泳ぐ。


「何て言うか、突然奇声を発しそうなタイプだ」


 何、その感想! 兄は叫ぶ。


「どんなタイプ? ねぇ、ソレどんなタイプなの? お隣に住んでたら物凄く怖い人じゃないの」


 所詮、カイ君にはフィーマちゃんの良さが分からないんだね──自分の中で勝手に結論付ける。


 現実世界のモロモロの圧力、溜まるストレス。

 そんな時、ぼんやりアイドル・フィーマちゃんの写真を眺めるんだ。

 可愛らしい女の子が目も口も半開きで虚ろに何処か見てる。


「あぁぁ、ある意味癒される」


 この微妙な安心感。


「そう、ある意味癒されるんだ。そこがいい! でも、グッタリでアイドル成立するなんて良く考えたらスゴイ時代だよね。さすが自由の国アメリカ。バンザイ、我が祖国! ところで、カイ君はどうなの? アイドルでは誰が好きなの?」


 現在、特にやる事がないとはいえ艇の甲板で一人、異様な盛り上がりを見せるこの男。

 弟は一瞬、考え込んだ様子を見せた後、小さな声でこう答えた。


「はぁ、アイドルですか。敢えて言うならウィンチェスター社ですかね」


「ウィンチャスちゃん? どこのアイドル……え、ソレって銃器メーカーじゃん。それがカイ君の心のアイドルなの? この武器マニアめ。悲しッ! お兄ちゃん、悲しいよ!」


「いやいや、お兄ちゃんのが悲しいですから」


 大袈裟に溜め息をつくカイ。


「まさか、兄が二十歳にして二次元にハマるとは」


「いや、二次元じゃないよ! じ・つ・ざ・い! フィーマちゃん、実在してるから。ホレホレホレぇ」


 明かに顔を顰めている弟の眼前に切抜きをちらつかせる。


「ホレ、見なよ。フィーマちゃん、カワイイでしょ。ホレホレぇ」


 ビシッ。

 カイの白い額に真っ青な血管が浮かび上がった。

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