クラヤ ショウコ
「クラ。また灰島くんみてんの~?」
「あつくるしいよ。シラ」
私の首に腕を絡ませながらユルい口調で話しかけてくる男。
白井命。
「ひどいな~。クラ」
然して酷いとも思っても無いくせに。
その証拠に、その腕は以前として私に纏わりついたまま。
「8月にもなって何故アンタは長袖を着るの。腕まくりするならいっそ爽やかに半袖にしなさい。シャツもインして。腰パン止める」
どこまでも、ゆるみきった奴。
「ええ~。インとかないでしょー。腰パンもパンチラしてないから大丈夫だよー?なになに。クラはオタ専なの?」
「別に。だらしないのが男が嫌いなだけ」
「ふ~ん。でも俺のことは嫌いじゃないでしょクラ」
と小首を傾げるシラを、私は何も言わずにジト目で見た。
どこから来るのその自信は。
「白井~見てみろよこれ」
「ん~?な~に?」
クラスの男子に呼ばれるシラ。
私の首から温もりは離れて、シラはそっちに行ってしまう。
シラは男子にも女子にも人気だ。
持って生まれた端麗な容姿。
それを鼻に掛けない、砕けたゆるい態度。
今風に着崩された制服。
明るい髪は空気を包み込むように無造作に整えられている。
変な考えだけど、彼は完成されたゆるさだと思う。
彼の纏う空気は、周りに圧力を与えない。
彼はクラスの中心。
みんなシラが好き。
私とは正反対。
陰鬱な真直ぐで長い黒髪も。
人見知りで、言うこときつくて、笑顔一つまともに作れないとこも。
私は、ずっとクラスに馴染めていない。
此処に転校して来てからずっと。
1ヶ月前、この教室で緊張の挨拶を終えて。
長い髪をカーテンのようにして俯かせていた時。
『クラ!クラ。俺、憶えてる?シラ。白井命!』
シラは、白井命は、
まるで歓喜するような、泣いているような、縋るような、
何とも言えない顔で私の腕を掴んだんだ。
***
たくさんの人の中心で談笑しているシラを、教室の末端の席から眺める。
同じ教室内にいるのに、遠い。
まったくの別人種。
溶け込むことのない液体のような。
光と影のような。
「クラ~」
目が合って、私にヒラヒラと手を振って来るシラ。
見つめていたことが今更気不味くて、フイっと窓の外に視線を動かした。
数分前に捉えていた人物は、まるで微動だにせず同じ佇まいでそこにあった。
私に懐いてくるシラ。
彼の真意など分からない。
何故、こんなに私に構うのか。
私を知っていると言うシラ。
だけど、だけどさシラ。
私は、シラのこと何も知らないの。
「クラ一緒かえろー」
帰りの駐輪場で、待ち合わせてもいないのに、シラは当然のように私を待っていた。
これは最近の日常。
何故か私が自転車の後ろにシラを乗せて帰る。
普通、男がこぐんじゃないの?って言ったら。
『だってクラの自転車じゃーん』
ってムカつく答えが返ってきた。
乗せたくないけど、いつも勝手に乗ってくる勝手な男。
振り落とすように乱暴にこげば、後ろでわきゃわきゃはしゃぐのがうざい。
いい加減面倒で体力の無駄だから、最近は普通にこいでる。
帰りは割と下りが多いから、男一人後ろに乗せても結構平気。
「ねえ。何でクラは何時も灰島くんのこと見てるの~?」
大きな坂道に差し掛かかって、キュッとブレーキを鳴らした時シラが言った。
肩に置かれた手が離れて、後ろの気配が消える。
ひょいっと私の横に現れたシラは、ニッと探る様に笑った。
「好き、とか?」
「…別に」
自転車のハンドルをシラに奪われて、長い坂道を並んで登る。
これもいつの間にか日常。
シラの首筋に汗が伝って流れていた。
只でさえ暑い夏。
自転車なんて押して坂を登るから。
しかも、長袖。暑苦しい。
「ふ~ん。なら良かったー」
シラの首元に目を奪われていたせいで、一瞬反応するのが遅れた。
「…何で?」
「俺、好きだし」
「え」
思わずぎょっとしてシラを見たら、してやったりと笑った顔にぶつかった。
「灰島くんとは前から仲良くなりたかったんだよね~」
「…シラってそっちの人だったの?」
「どっちも来い!だよ~。俺、博愛主義だもん」
「そんなの博愛じゃないし。だもん言うな。かわいくない」
「いけずだなぁ。クラは」
クスクス笑うシラの真意は見えない。
ザワザワと葉の擦れる音と、日暮らしの切ない声が聞こえてくる。
何でもない事なのに、それらはふと、郷愁を誘うから不思議だ。
「こうやって一緒に帰ってると昔に戻ったみたいだね~」
「……」
私は答えずにそっと目を瞑った。
カナカナカナ…と日暮らしが鳴く。
そうやって、たまに言うけど。
ねえ。
シラ、昔って何。
私シラのこと知らないんだよ。
言葉に出来ない思いが、言いようのない不安となって、苦しくなる。