第六脱
シンシアはすぐには突入せず、3時間ほど屋敷の周りから様子を伺った。
すっかりと日は暮れて、色とりどりの町の灯りが夜を告げ郷愁を誘う。
監獄近くの森ではいくつかの松明らしき炎がまばらにゆらめき、
脱走者たちによる陽動が功を奏しているであろうことを期待させた。
そしてバランタイン邸は領主の屋敷だというのに暗いままだった。
明かりの漏れている部屋は2つ、どちらも1階にある。
そこは食堂と書斎であり、必要最低限の明かりしかないのは
それだけ人がいないという事実を示していた。
食堂の明かりが消えたのを確認し、シンシアは行動に移した。
「…はい、どちら様ですかな?」
シンシアは大胆にも正面玄関からの侵入を試みた。
詐欺師である彼女は忍び込んで奪い取るような真似はしない。
人を信用させ、カモが自分から差し出すように仕向けるのが彼女のやり方だ。
玄関を開けた老紳士は伯爵ではなく、この屋敷の執事だろう。
彼はシンシアの姿を一瞥すると不愉快な気分を隠せず、眉間にシワを寄せた。
その後すぐ真顔に戻し、こんな時間に領主の屋敷を訪ねた理由を聞いた。
「あのぅ〜 ここってぇ〜
ヴァレンタインさんのお宅で合ってますよねぇ〜?
出張サービスで来たんですけどぉ〜 あたし新人なんで迷っちゃってぇ〜」
シンシアはぶりっ子作戦に出た。
その品位に欠く態度に当てられ、執事は頭に血管を浮かび上がらせた。
彼が特に反応を示したのは名前を言い間違えた時であり、
それが主人に忠実な執事である事を証明した。
今にも怒鳴り出しそうな執事の肩に手が置かれ、
背後に立つ中年男性が疲れたような声で囁いた。
「カルロス、中に入れてやれ
コートも無しにあの服装では冷えるだろう」
アレックスの父親だ。
髪型はオールバックだが所々乱れ、ヒゲの剃り残しも目立つ。
頬骨が少し浮き出ており、心労のせいなのか眉が下がり気味だ。
「しかし旦那様 このような時間に約束も無しに訪ね、
誇り高き家名を侮辱した無礼者ですぞ
その上、御覧の通りこの女は娼婦に違いありません
もし誰かに見られれば、あらぬ噂が立ちますぞ」
「誇り高き、か…… ハハッ、笑えるな
馬鹿息子が起こした不祥事のせいで失墜した身じゃないか
あらぬ噂の一つや二つ、今更なんだというのだ」
夜空を仰ぎ、片手で顔を覆いながら自虐的に笑う伯爵。
玄関先までアルコール臭が届き、彼が酔っているのがわかった。
シンシアにとって都合の良い展開だ。
「はぁ〜、あったかいですぅ〜
ありがとう、おじさま!」
客間に案内されたシンシアは伯爵の頬に軽く口づけし、執事が顔を歪めた。
彼が憤怒する気配を察し、伯爵は紅茶を淹れるよう命じてその場から追い出した。
「カルロスがすまないな だが悪く思わないでやってくれ
あいつの一族は代々我が家に仕えてきた執事の家系なんだ
領主の私なんかよりもよっぽど品格というものを知っている」
そう言って椅子の裏から取り出したワインボトルをラッパ飲みする伯爵。
「君もどうだ」と勧められ、断る理由もないのでありがたく受け取った。
それは約1年ぶりに味わう懐かしい酒だった。
ラベルだけは立派で中身はそのへんの安ワインとそう変わらず、
これを買うのは酒の良し悪しがわからない成人したてのお坊ちゃんか、
現実逃避したいけど見栄も張りたい酔っ払いだけ、と云われている代物だ。
「わぁ〜、すっごくおいしいですぅ〜
こんなにおいしいお酒、初めて飲みました!」
嘘だ。密造酒の方が美味い。
「そうか…? まあ、君が気に入ったのならもう一本開けよう
……ところで出張サービスと聞こえたが、私は頼んでないぞ
君に仕事を依頼した人物は本当にここの住所を言ったのか?」
手際良くコルクを抜いたボトルを渡しながら当然の質問をする。
「そうなんですよぅ〜 でもなんか違うみたいですよねぇ〜
あっ、もしかしたらこれ新人イジメってやつかも……
あたしお店の先輩たちからすっごく嫌われてるんですよぉ〜」
一口飲んでから伯爵にボトルを返し、落ち込む素振りを見せる。
「それは大変そうだな…
まあ、騙されたにせよ寒い中わざわざ足を運んだんだ
その苦労に免じて代金は支払うから安心しなさい」
伯爵も一口飲み、机から小切手帳を取り出した。
「え、いいですよぉ〜 お酒飲ませてもらったし、
この程度の寒さなら死にはしませんしぃ〜
雪の中、裸足で生活してた頃よりは全然平気ですよぉ〜」
よく「涙は女の武器」と言うが、泣かないのも武器になる。
暗い過去を明るく話す事で同情を誘うテクニックだ。
「…おい、カルロス! スープはまだあるか!」
紅茶を運んできた執事に温かい食事を用意させるよう命じる伯爵。
シンシアの読み通り、息子と同じで情にほだされやすい性格のようだ。
「あっ、本当に大丈夫ですよ!
あたしもう帰りますので、お気遣いは結構ですから!
こんな所を奥さんに見られたら大変ですもんね!」
無論、帰る気はない。
屋敷に女の気配が無いのを悟った上での発言だった。
そもそも妻がいたら娼婦を招き入れていないはずだ。
「いや、妻とは別居中なんだ… 君が気にする事ではない
息子が捕まって以来、一度も顔を合わせてない…
あいつとは政略結婚だったせいもあってか
お互いに愛情が薄いとは……って、私は何を話しているんだ
変な事を口走ってすまない 今のは忘れてくれ」
失言に反省する伯爵の手に、小さく柔らかい手が重なる。
その小さな手の主が体を押しつけ、耳元で囁いた。
「おじさまはこんなにも優しいお方なのに、
奥さんは見る目のない人なんですね かわいそう…
もしあたしがおじさまの妻だったら、悩みを分かち合えるのに……」
それが誘惑かもしれないと感じつつも、伯爵の中で長らく眠っていた
男の本能が目覚め、この女性になら心を預けてもいいと思わせた。
これがボディータッチの恐ろしさだ。
時として100cmの胸は1000の言葉より重い説得力を持つ。
夜更け過ぎ、シンシアは伯爵を起こさないよう静かにベッドから起き上がった。
彼女の荷物には宝石箱があった。盗んだ物ではなく厚意で渡された物だ。
中身は伯爵夫人のアクセサリーが大半を占めており、捌ければ相当な金になる。
逃亡資金を稼ぐというミッションはほぼ成功したと見て間違いないだろう。
シンシアは満足そうに眠る伯爵の横顔に口づけをしてから屋敷を後にした。




