王都メイルゲーンへ
目の前に薄暗い空間が広がっていた。
簡素な燭台に乗った1本の蝋燭の火に照らされ無機質な壁が見え隠れする。肌が接するひんやりとした地面の無機質な硬さに路地で死にかけていた時を思い出す。
「う…う゛……」
朦朧とする頭で立ち上がろうとして気づいた、ジャラリと金属の接触音が壁に反響する。足に重みを感じ、薄暗い足元に目をむけると足枷に繋がれた鎖が薄暗い壁に固定されている。
「なに…これ……。」
見慣れない拘束具に驚きが隠せない。どうにか外せないかと当たりを見回しても燭台に乗った蝋燭以外にこれといっためぼしいものは無く、四方を取り囲む壁があるだけで部屋には入口の扉さえ存在していなかった。本来ならありえないこの異常事態に恐怖よりも奇妙な違和感を覚える。
しかしよく見ると揺らめく蝋燭に照らされた壁のひとつに格子が嵌められた小窓があることに気づく。
この何も無い壁に一つだけ、一つだけある小さな小窓、ふと興味を覚え足枷が許す限りまで接近する、ジャラジャラと鎖が金属音を鳴らしまるで何かを警戒するかのように音をたてた、しかし気にせずその小窓を覗き込む。
中には無限に広がる闇があった。
どこまでも…どこまでも続いているような…それでいて、近くにあるような…そんな不思議な感覚を感じ取った。
何もないかと視線を外そうとしたその時何も見えないはずの闇の中に何かが動いたのを感じ取った。蝋燭の光すら入り込めぬ闇の中に確かに何かが動いた。
僅かに目を見開く…
すると次の瞬間、格子の隙間から大きく見開かれた眼球がこちらを覗き返していた。
格子の向こう側からでも分かるほどの恐ろしい圧迫感がテトラの心臓を鷲掴む。
「────ッ!?」
声にならない悲鳴があがる。
恐怖のあまり、慌てて後ずさろうとした時、グチャリ…と何かを踏んだ。
裸足の足裏に生ぬるい感覚が脚を伝ってくる。
足元を確認しようにも目の前の異常事態から視線を外せず、蛇に睨まれた蛙のように、息も忘れ身体を震わし、ただひたすら時が経つのを待った。
どれくらい経ったか、永劫にも思えたその時間、気づいた時にはその何かは既に闇の中に消えており、気持ち悪い静けさだけが残されていた。
しばらくしても身体は震えテトラは動けずに居た、ベッタリと嫌な汗が全身に流れていた。
改めて足元を確認しようと恐る恐る床に視線を落とすと…それは赤色の液体であった。多少、粘体を帯びているのか、ネチョリ…とした感覚に不快感を覚える。
どこか既視感を覚えたそれをよく見ると、鼠であった、正確には鼠の形をしていたであろう死骸。あの裏路地でテトラが動かしていたはずの鼠であった。
なぜこんなところに?
そう思った瞬間、周囲が、色を失い、まるで溶けるかのように消えていく。
そして気づくと自分も…………。
「…………ラ………テ…ラ!…テトラ!」
ハッと目を覚ます。
知らない天井が視界に映る。
直後クリスティーネの姿が被さるようにテトラの顔を覗き込んだ。
どうやらいつの間にか宿のベッドで眠ってしまっていたらしい。
「ししょう………」
「良かった目が覚めたのね…すごい汗をかいて魘されていたから驚いたわ。」
「ゆ…ゆめ……。」
「夢がどうかしたの?」
「あっ…いえ……。」
「 大丈夫なの?体調が悪かったら遠慮なく言うのよ?」
「はい…もう…だいじょうぶです。」
朝の柔らかな陽光が窓から差し込んでいる。
外は既に日が登っているようだ。
「覚えいるかしら。あなた昨日食事が終わったあとテーブル突っ伏して寝ちゃったのよ。よっぽど疲れてたのね。」
「あのあと………。」
昨日の夢のような食事はどうやらテトラの見た妄想ではないらしい。
そんなことを考えているテトラにクリスティーネが声をあげた。
「さて!それじゃそろそろ準備をしましょうか。」
「じゅんびですか?」
何のと聞こうとしたテトラの声を遮りクリスティーネが返事を返した。
「忘れちゃったかしら?今日から王都に発つって言ったでしょ。」
「あっ…」
クリスティーネとの昨日の会話を思い出す。
「いい?まず私達がいるこの街がストイズ、そこから南方にあるのがアフの森よ。メイルゲーンつまり王都へ行くにはこの森を突っ切って行くしかないの。今回は乗合馬車を利用して行くから長くても4時間くらいね。」
「あの…ほんとうにぼくもついていっていいんですか?」
「そんなに心配しなくていいは、魔術を教えるのは王都に着いてからよ、それまではあなたはただの子供よ。」
そう言ってテトラを撫でるクリスティーネからは柔和な表情がみてとれた。
その後支度を終えた宿を引き払ったテトラ達は乗合馬車の乗り場へと向かった。
既に乗り場には何台も馬車が待機しており御者と思われる人が準備をしていた。
1番近くの御者にクリスティーネが声をかける。
「失礼席は空いてるかしら?大人と子供1人なのだけど。」
馬の轡をイジっていた老人が声をかけられゆっくりと振り向く。
「えーもちろん空いてますよ。代金は大人も子供も大銀貨1枚です。」
「それでいいわ。出発するまで中で待たせてもらうわよ。」
大雑把な値段の振り付けに手早く大銀貨を渡すとクリスティーネはさっさと馬車の中へ入っていった。
「まいど。数10分後には出発しますんで。」
そう言って再度老人は轡に視線を戻し、作業を再開した。
クリスティーネの後を追うようにテトラも馬車の中へ乗り込んだ。中にはモノクロをつけた神経質そうな男が本片手に黒いローブを身につけ座っている。身長は170前後で健康的な成人男性に見える。
その隣には軽鎧を着込み、赤みがかった金髪をショートで揃えた、元気溌剌そうな少女が暇そうにしていた。少女の傍らには身の丈はありそうな大剣(一目見て業物とわかる程の)が立てかけられている。
「王都までの間よろしく頼むは。」
「よ、よろしくおねがいします」
クリスティーネが声をかけると…
「よろしくねー!お二人さん!」
溌剌とした少女から元気な返事が帰ってくる。
「短い間ですがよろしくお願い致します。」
一瞬挨拶に顔をあげた男はすぐに本に視線を戻した。
挨拶を終え席に腰を下ろしたテトラとクリスティーネは馬車が出発するのを待った。