撃滅の七刃
特に大した計画も無く、ただの気まぐれだったが、皆んなで過ごした日々は意外にも楽しく。今まで何度となく盗みを繰り返して生きてきた彼らは、初めて人の温かみを知れた気がしていた。単なるお友達ごっこだったとしても、それで良かった。
「だから、どうした」
そう言って強くそいつを睨み返せば、ギリ、と食いしばった歯の狭間から音が洩れた。
「俺の友を穢すな」
「穢すな……?」
王子は、悠々とした表情に憐憫の笑みを湛えて、からからと乾いた声で笑った。
「勘違いも甚だしいな。俺らの国の善良な市民を穢したのは誰だ?」
彼の口元から笑みが剥がれ落ちた瞬間、一瞬にして戦慄が体を駆け巡った。まるで、冷たい刃を心臓に突きつけられているような錯覚。ローの視線が、彼のゆっくりと開かれる形の良い唇に注がれた。
「最後の光景だ。よく目に焼き付けておくといい」
友の名を呼ぶ男の絶叫が、森の深くに吸い込まれていった。
「君は、ヨク、だったか」
振り返った紅眼の男を、ヨクは憎しみに支配された目で鋭く睨んだ。
「よくもローを!」
怒気に煮え滾る目を血走らせて慟哭し、暴れるヨクを、鋭いグレーの瞳を持つ青年ヴェイドが押さえつけていた。彼の目の前には、もはや肉塊と化した友の姿。地面に突っ伏し、あられもない方向に曲がった屍の首には、少年の細い腕が巻きついていて、その白い腕が暗闇にやけに浮かび上がっていた。
「お前には、とりあえず牢に入ってもらおうか」
「……くっ」
「おっと。その手はとらせないよ?」
手慣れた様子でカルキが素早く布をヨクの口に突っ込み、自害を阻む。
「ふむふむ、毒は仕込んでないみたいだね」
彼はそのまま、ヨクの顎を片手で掴んで強引に口の中を確認し、確認し終えると乱暴に離した。その勢いでヨクは顎を地面で打ち、擦り傷ができた。
「……お前、本当に王子か」
目の前の男を見上げてそう言うヨクの声は、図らずも震えていた。自分は怯える仔羊のようではないか、と嗤えてくる。ウルバヌスの王子の評判は良く、その噂はどこにいたって耳に入ってきた。その従者達も大変見目麗しく優秀であると。これが、あの聡明で麗しい王子だとは、とても信じられるものではない。外見は兎も角、その正体はとんだ化け物だ。声を震わせるヨクの姿を見下ろしながら、カルキの紫色の瞳が線のように細くなり、くすり、と見惚れるような微笑を浮かべた。
「まあねー。レイは性格ひん曲がってるからね。あ、確かに外面はとても良いよ?」
「お前に一番言われたくねぇ言葉をありがとう」
紫色の眼を宿した、優しげな表情を浮かべる青年は、にこりとヨクを振り返る。その冷たい笑みに、ゾッとした。背筋が凍るとは、このことだ。
「とにかく、レイをそこら辺の王子と一緒くたにするのは見当違いってことさ」
「ヴェイド、頼む」
王子の命にこくりと頷いた銀髪の彼は、見た目以上の力で大柄なヨクを強引に引っ張り上げ、さあ歩けとばかりに押しやる。立ち去り際に振り向けば、ローを殺した少年が、骸となったローをずるずると引きずっていた。土には引きずった跡が残る。彼にはローは重すぎるのだろう。彼の代わりに、他の奴が運び始めた。その時、ふと顔をこちらに向けた彼と目が合った。声が出ず、ひび割れた息の断片だけがヨクの半開きになった唇の端から落下した。残酷とも思える程に、その表情はあまりにも無垢だったから。子どもの、遊び疲れてぼうっと空を眺めているような、興味のないものに視線を向けただけのような、表情だ。なぜ、こんなことを思い返したのかは、不思議だが、どこかでこんな絵画を目にしたことがある。そうだ。幼い頃に見た、街で商売をしに来たキャラバンが広場で売っていた、沢山の絵画のうちの1枚だ。地獄と化した戦場に、骸を踏み、血に濡れながら立つ天使。残酷でありながら、何故か強く心が惹かれる、そんな絵だった。彼がそのブルーの瞳であまりにも純粋に見るものだから、思わず目を逸らす。赤に染まっている彼の手が、服が、項垂れるヨクの視界を掠めていった。
城へと続く凱旋を通れば、人だかりが道の両脇にびっしりと出来上がっていた。彼等は口々に国の英雄達の名を叫ぶ。街路を歩く馬の蹄の音も、彼等の叫び声ですっかりかき消されている。
「今回も盛り上がってるねー」
7人は馬に跨り、城へと帰還の最中だ。いつも通り、レイは口元に笑みを浮かべながら先頭をゆく。その右脇を優しく笑い返すカルキが、左脇に無表情のリーカスが並ぶ。その後ろには、元気よく騒ぐミルガ、眉間にしわを寄せてミルガを蹴るジェノヴァ。そして、完全無視を決め込む眠たげなヴェイド、それを見て困ったように笑うライアの、4人が轡を並べている。
いつも通りの光景だ。凱旋も、王子とその従者達の立派な仕事の一つであった。そして、その彼らの行く先に通路を立ち塞ぐ、ひとつの影があった。
「お前ら、いつ見ても無駄に男前だなー」
「ユキさん!」
「よう」
ノースリーブにジーパンという簡素な出で立ちで、金髪を高い位置でポニーテールにした女性が、ひらひらと手を振っていた。笑った時に健康的な白い歯がのぞく。彼らの顔に笑顔が広がった。
「寄ってくかい」
そう言って、彼女は親指でぐっと後ろを指した。
町医者の彼女の家は、相変わらず雑多なもので溢れかえり、見知らぬ植物と見慣れぬ薬の入った棚で、部屋の大部分が占められていた。机には書類が広がり、床には布やら瓶やら、様々な物が落っこちていたりする。木目調の床は、彼らのブーツに踏まれてミシミシと歪な音を立てた。この劣化具合では、いつ底が抜けるか知れたものではない。レイとカルキ、ヴェイド、そしてリーカスは、ユキが出してくれた珈琲を飲みつつ、ソファーで雑談を始める。
「お前らはこっち」
そこに加わろうとする残りの3人の首根っこを掴んで、ユキは丸椅子に彼らを座らせた。
「ったく、なんでこの3人は生傷が耐えないかねぇ」
「だって……いってぇ!」
ぶすっとしたふくれっ面のジェノヴァの腕に、ユキは消毒液をたっぷり含んだコットンを躊躇なく押し付けた。痛い痛いと騒ぐのを、歯牙にもかけない様子。
「だって、じゃないよ!ったくもー、毎回毎回」
「いてぇぇぇ!おい、ユキ!もっと優しく治療してくれ!」
彼女の荒治療に、やはりジェノヴァがたまらず悲鳴をあげる。
「あたしの仕事を増やすお前に、優しくしてやる良心は持ち合わせてないんだよっ」
「おいっ!グリグリすんな!肉削り取るつもりか!」
彼女は、同じく不満顔のミルガと、恥ずかしそうに照れ笑いするライアにもテキパキと処置を施していった。
「はいっ、終わり」
「いてっ」
ライアの怪我を叩いて、彼女は器具を片しにかかる。救急箱を棚に戻しながら、彼らの主である男の背中に声をかけた。
「こいつらにちゃんと、怪我をしない闘い方を叩き込んでやれないの」
呆れた表情の彼女に尋ねられたレイは、彼は珈琲カップから視線をあげて笑う。首だけが、ぐるりとこちらを向き、大人びた顔が愉快そうにしていることに気付いた。
「そりゃ、無理だな。ユキ」
「この子達は不器用なんでねー。荒っぽいやり方しちゃうんだよね?」
ヨシヨシ、と腕をのばしてカルキに頭を撫でられ、むうっとした顔でジェノヴァは睨む。治療を終えた3人もいそいそとソファーへと移り、出されたココアを飲み始めた。