撃滅の七刃
「ああっ……いやだ……あ゛ぁぁぁ!」
なんとも周囲の恐怖すら煽る、絶望と恐怖に満ちた絶叫があがった。その拍子に鴉達が木々から一斉に飛び立つ。体の至る所から血を流れさせ、また一人地に伏した。心底忌々しげに舌打ちする音が聞こえる。
「うるせぇんだよ」
鋭い瞳が眼光を放ち、その睨みは蛇の如く妖しい。
「……ヴェイド・ウォーカーだ」
ローは、ヨクの今までにない怯えた表情を見て、血の気が引いた。静かに近づき、蛇の様に相手をジリジリと精神的、肉体的に恐怖に貶める。故に、彼は『灰眼の蛇影者』と呼ばれる。彼の持ち味であるしなやかな剣さばきは、対戦した相手に剣が巻きつく錯覚を起こすのだ。そのすぐ隣で、ヴェイドと獲物を取り合うように白刃が閃いた。
「ひっ、たすけっ……」
「ごめんね。君、邪魔」
地面に伏せた男は、痙攣さえもしない。自分が事切れたことを知らずして、死んでいる。血と土で汚れ、乱れた戦場には全く似つかわしくない優しい笑い声を発するのは。
「カルキ・フェルドリア」
剣の技術に長けた天才。彼の性格上始終笑顔で、相手を瞬時に細身の剣で斬ることから『紫眼の刹烈者』と呼ばれる。
「相手は斬られたことに気が付かず死ぬらしい」
そんなヨクの言葉に、ローは切り傷が幾多も入った顔を引き攣らせた。紳士的な彼の微笑みを向けられた男達は一様に震え上がる。柔らかな笑みだというのに、戦場でそれを向けられることで、底知れぬ恐怖が彼らの背筋を這い上がった。何という不気味な笑みなのだろうか。
「うーん、手応えないねー」
そしてまた1人、戦場で剣を振るっているとは思えない異様に明るいテンションでそう笑うのは、育ちの良さそうな風情で、戦場が似合わない男。頰に散った赤が、浮いている。ミルクティー色の柔な髪を靡かせ、一歩を踏みしめた途端、奴との間合いはゼロ。
「奴はミルガ・オーデム」
そのずば抜けて高い身体能力を生かした、中剣を用いた空中戦を得意とする騎士で、複雑な地形が得意な変わり種。その圧倒的運動センスと常人には真似の出来ない跳躍による攻撃から、『翠眼の飛跳者』と呼ばれるそうだ。
「奴の跳躍に注意しろ!ありえんところから攻撃が来るはずだ!」
背後で、ひゅんっ、と切り裂くように細い旋風がローの耳を掠めた。
「だから。遅いってば」
ブルーが、足音さえ立てずに、駆けた。それは、風。気付けば、彼の後方で血飛沫が舞う。
「ジェノヴァ・イーゼルだ。まずい、逃げろ!」
唖然とするローに、ヨクはそう叫ぶ。
速い、速すぎる。
しかし、ローは自分の命が危機的状況にあるということを忘れて、思わずその剣さばきを見入っていた。狙いを定めるのも駆け寄るのも一瞬で、気付いた時には、彼は標的の間合いに入っている。小柄な体躯、身軽さと俊敏さを利用して、短剣を使った接近戦に持ち込んでいるようだ。珍しい二刀流の遣い手で、戦場を風のごとく駆けまわる様から、『蒼眼の旋風者』と呼ばれる。彼が通った後は、台風が通過したかのように、ばたばたと男達が倒れていた。
「お前等、1人ノルマ30な。今回は夕食の赤ワイン賭けようぜ」
そこに、深い声が響いた。
「な、なぜ奴がここに……」
「あいつは?」
「レイ・フューアンブルー・シュリアス。ウルバヌス国の第二王子だ」
「王子だと?」
ローは思わず目を見張り、その姿を食い入るように見つめた。血に濡れた麗しいその姿は妖艶であり、神々しくもある。彼が口角を吊り上げると、今にも獲物の喉笛に噛みつきそうな歯が覗き、纏う獰猛な気迫がロー達を圧迫する。ごくり。唾を飲むと、喉が鳴った。意図せずして彼の額を汗が伝い、顎から雫となって落下する。
「王子がなぜ、ここに」
「考えても仕方ねえ。今すぐに撤退だ。勝ち目はねえ」
彼らをまとめ、指揮しているかなりの切れ者。国政の方にも頭角を現している天才。荒れ狂う猛々しい紅の瞳が、男達を貫き、身の内から底知れぬ焦燥を焦がす。その奥にチロリと炎蛇が見えそうな、艶かしくもある瞳。彼は黒髪を靡かせ、豪快な剣さばきで目の前の敵を一刀両断。薙ぐようにして斬り倒し、道を作るようにして此方へ歩みを進めている。彼は、こう呼ばれる。
『朱眼の覇者』
王宮剣術を基礎とし、幾重もの実戦で叩き上げられた剣の技術を武器とする、無駄のない正当な剣さばき。荒々しく、動きが読めない彼の剣は、若くして既に指折りの剣士であった。
「おい……」
焦燥と諦念が入り混じって、呟きとなり、ローの口からぽとりと自嘲気味に落とされた。
「こいつらに会っちまった時点で、運が悪かったってことさ」
気付けば、その場に立っていたのは、ローとヨク、そしてその7人だけになっていた。
カン、と虚しい音を立てて弾かれたように転がったのは、ローの剣だ。彼の渾身の一撃を、大剣を持つライアが片手でいなしたのだ。いなされただけなはずなのに、予想以上の強い力を受けて、ローの手は震えていた。カタカタと、地面を転がった鍔がなんとも虚しい音を立てている。
「ぐあっ」
突然、背後から強烈な蹴りを受けて、彼は前のめりに地面に突っ込んだ。呼吸が詰まり、ぐ、と潰れかけた喉が音を鳴らす。彼を倒したその足はそのまま、ローの背中を地面に押し付けている。少し湿り気を含んだ土に、体がめり込んだ。痛みに顔を歪めて振り返れば、感情を映さない、深海のような双眸に、咄嗟に息を殺した。それはまぎれもない、怯え。
まさか、この俺が?こんな、若僧に?
昔から散々悪さはしてきたし、それなりに強い相手であっても、法に触れた取引でも、こなしてきたつもりだ。そうやって生きてきた。それなのに何なのだろうか。この胸を這い上がってくるような震えは。何故だろうか。この怯えを打ち消せないのは。
「お前に、いいことを一つ教えてやる」
地面に跪いた屈辱的な姿勢のまま、土に汚れた顔をあげた。王子の端正な顔が、憫笑にも似た笑いを浮かべながら、見下ろしている。否、王子というより、 悪魔の笑みだ。美しいだけに、余計その表情が際立ち、ローの心は絶望に塗り潰されていった。
「ここに居た奴ら、窃盗に加えて、この国で殺人までしたんだよ」
彼の氷点下の冷たい視線が降り注ぐ。反論しようとして開けた口は、呼吸のための空気を取り込んだだけだった。その様子を見て、憐憫にも似た冷笑を零す彼は、己の刃に付いた血に視線を落とした。徐に革の布を取り出し、剣を滴る血を拭いながらまたローとの距離を縮める。
「知らなかったようだな。ま、そいつ等が何の目的で殺人までしたのかは知らんが、ここでお前を静粛する事実に何等変わりはない」
仲間の顔が走馬灯のように次々に浮かんで行っては、消えていった。仲間達の死に様すら脳裏をよぎるが、自分には黙することしかできない。唇を強く噛んだ拍子に、鈍い痛みと共に口の中に苦い鉄の味がじわりと広がった。
「まあ、粗方、あいつらとは途中で会ったとか、そういうところだろ。剣の腕とここの回りが違う」
王子は傾けた頭を人差し指でコツコツと叩く。それはとても単純な仕草なのだが、彼にはたまらなく似合った。
実際、彼の言う通りだった。彼等は俺とヨクがたまたま立ち寄った隣国の、貧しい村の男達だ。最初は、連れて行く気なんて毛頭なかった。住む家も無く、衣服や食べ物も乏しい彼等を何とか食べさせられるようにと、ここまで連れてきたのは、確かに紛れもない、ローとヨクだ。