撃滅の七刃
七刃
東の森。その深い森に流れる川沿いで、大柄な男達が歓喜に沸きつつ、焚き火を囲んでいた。日に焼け、傷跡を多く残す肌をさらす男達の周りには、大量の大きな麻袋が乱雑に転がり、開いた袋口からは金や宝石が溢れ出ている。彼らの薄汚れた風貌には、随分と不釣り合いな品々であった。
「ロー、乾杯しようじゃねえか」
「おぉ、ヨクか」
並々と酒の注がれた瓶を二つ手に持った男が、ローの隣にどかりと腰を下ろした。双方とも、筋肉隆々とした巨漢であった。ヨクという男がニッカリと不揃いな歯見せて豪快に笑い、ローの骨太な肩を嬉々として叩いた。
「ここまでうまくいくとは正直期待していなかったんだが、運がよかったぜ」
「そうだな」
コツン、と合わせた瓶が小さな音をたて、縁から泡が散った。
「お前が町一つ奪いに行くっつった時は、正直驚いたけどな」
ヨクは苦笑する。
「最近は皆まともに稼げていなかったからな」
ローはそうぼやくと、また酒を呷った。
盗賊である彼等は、ウルバヌス国の地方のある町を襲い、金品を根こそぎ奪ってきたところであった。
「……しっかし、国外れの田舎のくせに、なんでこんな金目のものがごっそりあるんだか」
同意するように、ローは首を竦めてみせた。
「流石は富の国ウルバヌス、ということか」
ウルバヌス国は、貿易やら技術革新やらを興すことで財力を蓄えている。大陸でも随一の大国ウルバヌスの町を襲うことは、一か八かの賭けであった。この時代、富の国なれば必然的に軍の国でもあり、また逆も然り。強盗の界隈でも、ウルバヌスで盗みを働くことは、死を賭した勝負だと言われている。言い換えれば、ロー達はこの賭けに身を投じなければならないほど、追い詰められていたと言えた。
不安を払拭するかの如く、手に持っていたくすんだ色の瓶を、ローは豪快に煽る。口の端から漏れた冷たいビールの水滴が、つた、と顎に沿うように流れた。
「ここで浮かれてらんねぇな。ここまで追っ手も来ないとは思うが念のため、もう暫く休んだら移動するか」
──それはできねぇな。
突然投げ返された言葉に、彼ら盗賊は一同、目に見えて動揺し、その面貌に焦燥感を走らせた。
「だ、誰だ」
皆、咄嗟に自分の武器に手をかけてその場で立ち上がり、目を鋭くさせて周囲を見渡す。
迂闊だった。気配がしなかったのだ。
「……来る」
目を凝らしていた先の薄靄がかかった暗闇から、数人の白い軍服を纏った男達が現れた。
「まさか、あれだけの人数が居ながら気配を消していたってのか！」
人数に応じて必然的に気配は濃くなり、察知に容易いはずなのだが、それを全く感じさせない気配の消し方は、常人のなせる業ではない。今更言い訳がましくそんなことを言っても、どうしようもないが、言っておきたい。決して、注意を欠いていた訳ではないのだ。
「ねー、腹へった。朝飯の余りまだあったっけ」
「……黙れ」
「おい、締まりが悪くなるだろ！」
「その発言がもうアウトだと思うよ」
しかしそんな男達の心境に反して、突然現れた彼等はなんとも気の抜ける声音で、至極不真面目な会話を交わしている。
「何分割けばいい？ 俺これからチェスする予定があるんだけど」
「それ、休憩ですよね」
「まあまあ。すぐ終わらせて帰ろう？ ね？」
霧でぼんやりとぼやけた視界の中に、ゆらり、陽炎のような七つの影が揺れ、歩みを止めることなく近づいて来る。
場違いな雰囲気の彼等に、男達の動きは意を突かれて固まったが、瞳だけは大きく見開かれることとなった。
「じょ、冗談じゃねぇよ。まさか、奴らって……」
"撃滅の七刃"──。
ぽつり、と呟いた誰かの言葉に、男達の表情は一気に強張り、自然と震える四肢は微動だにすることを許さなくなった。それは大陸にその名を轟かす、ウルバヌス国の精鋭部隊の呼称。彼らの左胸の、銀のバッジが鋭く光を乱反射した。
「おいおい、随分な人数だな。報告に来た奴は数が数えられねえのか。えらい違えじゃねえか」
黒髪から覗く紅眼が際立つ男が、軽く眉を顰めた。しかし、彼の口調はそんな表情とは食い違って、楽しそうで、さして嫌がってはいない。彼の肩から広がり、風を纏ってはためくマントが、場違いな白さを放っていた。
「流石、リーカス。お前の予想だけは外れねぇな」
「当たり前です」
彼が愉快そうに声を弾ませて言えば、側に立つ黒縁の眼鏡をかけた男が即答した。
「さて、と。どうしようか」
赤眼の男は軽い口調で目尻を緩め、口角をニイッと持ち上げるているが、張り詰めた気配には全く隙がない。引き下がらないとばかりにローが彼を睨んでも、いかにも余裕綽々といった様子で彼はその視線を受け止めている。
「ここ、俺らの領域なんでね」
不敵な笑いが唇から零され、僅かに細めた彼の紅い瞳が光を宿した。それは、赤い、恐怖。身が震えるほどの、威圧感。
「出て行ってもらおうか」
彼がそう言った途端、仲間の１人が錯乱状態に陥ったのか、大声を上げながら彼らに突っ込んで行った。
「こんなところで！ 冗談じゃねえ！」
目を血走らせ、刃物を手にしたその男が迫っていても、彼らは誰一人として動かない。その事実が、ローの脳裏に名状し難い不安を過ぎらせた。紅の瞳の男の笑みが、無言で、来いよ、と告げている。
「待てっ」
ローが制止の声を上げるも、虚しく。伸ばした手は空を掻き、その身から血飛沫をあげた男の瞳が一瞬にして色を失ってゆく様を、ローはしっかりと目撃した。ドサリと男が崩れ落ちたのを皮切りに、彼等と盗賊の男達の衝突が始まった。ローは、その血で土を濡らして次々に倒れて行く仲間の姿を見て、その悔しさとやり切れなさに唇を強く噛み締めた。圧倒的な力量の差は、言わずもがな、見て取れる。
「ロー。俺そういえば、彼奴らのことを少し詳しく聞いたことがあるんだ」
ローとヨクが互いの背中を合わせて剣を構えた時、ヨクが周囲の斬撃を警戒しながら、半ば叫ぶように言った。突撃派のローに対して慎重派のヨクは、仕事前になるとしばしば酒場や城下町に足を運び、強盗先の情報を仕入れていた。その時にでも耳にしたのだろう。一人、また一人と、悲鳴をあげて地面に伏してゆく姿を直視出来ず、目を細める。いとも簡単に倒される仲間の姿に、悲しさと恐怖が心を支配した。
「やってられっか！」
奪ってきた金品を掴み取るり、一目散に逃げようとした男の前に大きな影が立ち塞がった。光を浴びた燃えるようなオレンジ色が、彼の怯えに揺れる瞳に映り込む。
「ここを通すわけにはいかねぇな？」
がぁぁぁ！ と絶叫をあげて途端に男の身体から力が抜け、そのまま落命した。崩れた男の前に立つのは、きりりとした目鼻立ちの快活そうな男前。
「ライア・ヘイリス……。『黄眼の守護者』じゃねえか」
一国の軍の守護神たる男だ。ローは、既にその絶命した体躯から黒い血溜まりが作られてゆくのを見て、すぐに顔を歪め、視線を逸らした。オレンジの瞳がギラリギラリと光っている。大きめの口から覗く、綺麗に揃った歯は、地面を染める色に反して輝くほどに白い。唸り声をあげて空を切る剣は、大きさに比例した重量のある剣で、あれほどの重さの剣は単に大柄な男を持ってしても振れさえしない。持って生まれた長身と天賦の才、そして鍛え抜かれた力の強さを利用できるからこそ、この大剣を持って戦うことができるのだ。
突然、二人の目の前で鮮やかな血煙が舞った。寸分違わず胸を射抜かれ、側にいた男達ががくぐもった声をあげて生き絶えた。その先には。
「なめてもらっては困ります」
「奴はリーカス・ケイだ」
少しずれた黒縁の眼鏡を、すらりと長い指で押し上げる仕草は、彼にぴったりだ。主に軍師の役割を担い、撃滅の七刃の頭脳とも謳われる、王国屈指の秀才。『黒眼の叡智者』と呼ばれるほど秀才なだけではなく、正確な弓矢の技術を兼ね備えた、エリートである。
