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その生活を続けて、大学四年生になった。
その青年は、「空虚な競争」に勝ったのである。大学の成績は、学年トップクラスだった。
しかし、そこに、「満足感」や「充実感」はない。
ただ、「恐怖」「不安」からなんとか逃げきったという「安心感」があるのみである。
殺人鬼からなんとか逃げきった被害者のような、そして、断崖絶壁を走り続けて、なんとか崖の下に落ちずに走りきったような「安心感」なのである。
私の学部は、工学部だった。
工学部の四年生になると、「研究室配属」がある。
文系でいうところの、「どの先生のゼミに入るか」を決めることである。
約五十の工学的研究を行っている研究室の中から、一つ自分が所属する研究室を選ばなければならない。
「自分がない」青年は、どの研究室を選べばいいのか、自分が何に興味があるのか、わからない。
「自分の興味」がないのである。
ただ、「劣等感」、「罪悪感」、「恐怖」と「不安」から逃げまわって疲れた青年が佇んでいるだけである。
疲れ果てた青年は、「楽な」研究室を選ぼうとする。また、あの「空虚な競争」にさらされるのは嫌だと思ったのである。
「楽な」という意味は、「研究室の規則が緩く、そんなに研究に没頭する必要がない環境」という意味である。
そこで青年は、昨年、始動したばかりの研究室を選択する。
まだ一年しか経っていない、この研究室では、「確立した規則」もないし、時間を拘束される「コアタイム」もない。
また、先輩もほとんどいないので、「支配」されることもない。
私は、この大学四年間の「空虚な競争」に疲れ果ててしまった。
「得体の知れない何か」の正体は突き止めようとせず、得体の知れない何かの「支配」から逃亡したかったのである。それは「心の自由が欲しかった」と言い換えられるかもしれない。
ただただ、「自由」を求めて、「得体の知れない何か」から逃げたかったのである。
何かを押し付けられたような「恐怖」「不安」からの解放を求めていた。しかし、その「何か」を突き止めることはしなかった。
する術もなかった。
青年には、「自分」がいないからである。戦場を生き抜く過程で「自分」を無くしたからである。
研究室に配属された後の私の特性も変わらない。指導教官(教授)に認められることのみを求めるのである。
「自分だけを承認してほしい」という欲求をひたすら満たそうとする。それが、その青年の生命線である。
研究室の仲間、先輩は、青年がその空虚な競争を勝つために蹴落とさなければいけない「敵」である。
青年が空虚な競争に勝つことを邪魔する「脅威」である。
「脅威」に心を開くことはできない。
素直になることができない。
私の弱みも見せることができない。彼らは「敵」なのである。
青年は、それが「空虚な競争」であることに気づかない。
青年は、周りの人に「甘えている」ことに気づかない。
青年は、「不安」や「恐怖」の正体がわからない。それを突き止めようとしない。
青年は、「他者からの承認」を求めて、ひたすら、その戦場を駆け抜ける。
「もっと認めてくれ」「もっと見てくれ」「もっとすごいと言ってくれ」そんな心の声をずっと体内全体に反響させながら、ひたすら、戦場を駆け抜けるのである。
彼に「自分」は、いないのである。
そのように走り続けることが、これまでの彼の「正攻法」であり、戦場を生き延びてきた「戦略」なのである。
その「戦略」なくして生きられない。彼は、そう思っているのである。
研究室配属から三年間、大学院修士課程修了まで、彼はこの「不毛な競争」を勝ち抜くべく、異質な努力を続けていく。
「異質」というのは、自分の欲求に基づく努力ではなく、他者承認欲求に基づく努力ということである。彼には「自分」がない。
「自分がない」彼にも、就職を選択しなければならない時が来た。
この時が、神様が与えてくれた二回目の「自分と向き合うチャンス」だったように思う。
しかし、彼はまたしても、そのチャンスを棒に振る。




