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メリーゴーランド  作者: 湊 亮
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戦場を生き抜くために身につけた「他者を敵視する」私の特性は、大学入学後も変わらない。


それを助長するような出来事は、やはり父親の「間接的願望の押し付け」であり、「間接的恐怖の植え付け」であった。


年に一回程度、大学の長期休みには、下宿先から実家に帰省した。実家に帰ると、父親の「間接的願望の押し付け」が始動する。


父親は大学の教員をしていた。そして私に、帰省の度に、恩着せがましく、こう言うのである。


「学生が講義を聞かない。」


「学生がアルバイトに明け暮れて、講義中はずっと居眠りをしている。」


「学生がするアルバイトと講義の費用について考えよう。半期の大学の授業料が三十万だとして、講義が十コマだとすると、一コマ三万円の価値がある。その一コマの授業を学生が、アルバイトで疲れたからという理由で休むのは、けしからん。学生のアルバイトの時給が千円だったとする。深夜のコンビニアルバイトで深夜零時から早朝四時まで働いたとしよう。四時間なので、その日のアルバイト代は四千円。しかし、そのアルバイトのせいで、次の日のその一コマの講義をすっぽかしたとすると、学生にとって、三万 ― 四千円で二万六千円の損失である。けしからん。そんな簡単なことがわからない学生は、本当にバカだ。」


と、これまた、ばかにしたように、そして、私に強調するように訴えるのである。


今思うと、この話はおかしい。「自分の講義の方がアルバイトよりも金銭価値がある」という自分勝手な前提がある点である。


学生は、その講義を評価して学費を払っているわけではない。


通常、国公立・私立に関わらず、学費は予め決まっており、講義の質・評価によってその価格が変動するものではない。


つまり、講義の金銭価値を学費÷講義数で計算する、という考え方にそもそも無理があるのである。


学費以上の金銭価値がある講義をする教員もいれば、金銭価値ゼロの講義をする教員もいるのである。


おそらく、学生達は、「とてつもなく」つまらない講義にアルバイトを犠牲にしてまで行く必要がないと思っていたのだろうと思う。


私は父親の講義を聞いたことがないので、なんとも判断しかねるが、おそらくその判断は「とてつもなく」正しい判断だろう。


話を元に戻すと、これが「間接的願望の押し付け」であり、「間接的恐怖の植え付け」という、両親の専売特許である。


この訴えの裏にあるのは、


「大学では、アルバイトなんか、くだらないことしてないで、勉強しろ、つまり、良い成績をとれ!」という要求であり、「大学では、いい成績をとらないと許さない」という脅迫である。


二十歳を過ぎ、遠く親元から離れても、私は、その「得体の知れないもの」の正体に怯えて、支配されるのである。


体は大人になっても、心の中は、あの戦場で震えていた少年と変わらないのである。


「自分がわからない」二十歳の青年は、その支配にまた依存して、好きかどうかわからない「テスト勉強」を必死にやるのである。


その構造は、幼少期の戦場と変わらない。


自分と向き合うこともせず、「得体のしれないもの」の正体も突き止めようともせず、ただ、恐怖と不安に怯えて、走り続ける。


孤独に、ただひたすら走り続ける。


自分の内的な欲求に向かって走り続けるのではない。


自分の立てた目標に向かって走り続けるのではない。


ただ、「このままではだめだ!」という「劣等感」、「このままでは認められない。そのまま生きていてはだめなのだ」という「罪悪感」、「見捨てられる」という「不安感」に追い立てられ、逃げるように、ゴールのない競争に駆り立てられる。


当然、その競争に負けることは、私が「生きている価値がない」ことを意味するので、周囲の人間は、私を脅かす「敵」になる。


誰も信じることができない。


かと言って、信じられる「自分」もいない。そこにあるのは、「恐怖」と「不安」。


勝ち続けなけなければならない。


そして、認められなければならない。


それがその青年がこれまで掴み取ってきた生きるための「活力」なのだから。


「つらい」とか「苦しい」とか言ってられない。


ただ、机に向かわなければ。頑張らないと認められないのだから。


他者に勝たないといけない。


蹴落とさないといけない。


自分が生きるために他人を利用して、なんとか生き延びなければいけない。


「それが正解でしょ。」


「そうやってきたから、今まで生きてこれたんでしょ。」


「また、頑張れば、きっと認めてもらえるんでしょ。受け入れてもらえるんでしょ。」


そう自分に言い聞かせながら、二十歳の青年は、走り続けるのである。


その先に、明るい「未来」があると信じて。


その先に、追い求めている「希望」があると信じて。


しかし、いつまで経っても、その「希望」は見えないのである。


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