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十分にメリーゴーランドで遊んだことのない男と女が出会い、その「劣等感」や「欲求不満」を補う形で結婚し、子供が生まれた。
そこで生まれた子供にとっては、「悲劇」の始まりである。
その「悲劇」については、これまで散々述べてきたとおりである。
両親もその「悲劇」を経験してきたのだろうと思うが、何度も言うが、その「悲劇」を「弱者」で解消してはいけない。
しかしながら、「次女」についても書いておく必要もあると思う。
次女は生まれつきの聴覚障がい者だった。
両耳が、ほぼ聞こえないのである。
そのことで「彼女が自由に生きられなったら困る」「彼女がつらい人生を歩んだら困る」と両親は本気で思ったに違いない。
それは、ある意味では、「無償の愛」に近かったのではないかと思う。
「自分たちの」でなく、「彼女の」幸せを願った瞬間なのである。
次女には悪いが、このことは、神様が両親にくれた「最高の贈り物」だと言えるかもしれない。
両親は、次女を一生懸命育てるのである。
当時は「手話」がそこまで一般的ではなく、口の動きで相手の会話を読み取る「口話法」を次女に習得させることが、彼女が社会で生きて行くためには有利であると判断した。
それは、両親お得意の「押し付け」だったので、良かったかどうかは微妙なところだが、当時の彼らは、そのような「押し付け」を決定したのである。
その後、「手話」を習わせてくれなかったことについて随分、次女ともめていたようだが、私が受けた「押し付け」に比べれば、かわいいもんである。




