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その甥と姪、そして私の両親に関して、気になることを思い出したので記述しておきたい。
私の実家には、ピアノがある。
私も幼少期からピアノを習っていた。
甥と姪が私の実家に遊びに来た時に、ひょんなことからピアノを弾こうということになった。
たしか、私の両親が言い出したことだったかもしれない。
甥も姪もピアノを習っているのだ。
私が最初に、一曲披露した。
次に、甥が「僕もやりたい!僕も弾く!」とノリノリでピアノを弾き始めた。
最後に、私の姪の番がきた。
姪は、私や私の両親、大勢の人の前でピアノを弾くのが恥ずかしいのか、渋っていたのである。
「私はいいや」と渋っていたのである。
その時である。
私の父親が、
「そんなことじゃいかん。こんな時に堂々と弾けないとだめだよ。」
と言って、無理やり、彼女にピアノに向かうように指示したのである。
どうしようもない行為である。
私の戦場で繰り広げてきた、厄介で、傲慢な「押し付け」を、ここでも「天使」に浴びせているのである。
「彼女がどうしたいのか。」
「何が好きで、何が嫌いなのか。」
に関心がないのである。
自分の思い通りに「弱者」をコントロールしたい。
ただ、それだけなのである。
その「天使」は、しぶしぶピアノに向かい、恥ずかしそうにピアノを弾いていた。
その演奏が終わり、私の父親は、
「もう少し、スムーズに弾けるといいね。」
というような、くだらない感想を述べていた。
子供の気持ちに寄り添えない彼が与えた、傲慢な「苦行」を、その「天使」は、なんとかやり切ったのである。
かつての私を見ているようで、胸が苦しくなった。
そして、私の姉(次女)が、その「天使」の母親であることだけが唯一の救いであると思ったのである。
帰省中の最終日。
空港まで私達夫婦を車で送迎する車中で、またまた、両親の「間接的罪悪感の植え付け」が始動した。
「今後、実家近くで働く予定はあるのか。」
「祖父(私の父親の父親)の家のこと、今後のことが悩みである。」
「私達が元気なのもあと十年だから。」
である。
彼らが暗に私達夫婦に植え付けようとする「罪悪感」について、説明の必要はないだろう。




