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メリーゴーランド  作者: 湊 亮
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私に欠如しているもの、失ってしまったものに気づいたエピソードも合わせて書いておきたい。


帰省中、両親と次女家族と私家族でレストランに食事に行った時のことである。


次女は、生まれつきの聴覚障がい者で、その夫も同じく、聴覚障がい者であるが、彼女の九歳の娘と五歳の息子は、健常者である。


彼らのやりとり・ふるまいに関することである。




レストランに入り、次女の娘たちがメニューを見ながら食べたいものを選んでいた。


彼らはすぐに「お子様セット」に決めたようである。


彼らの両親、つまり、私の姉夫婦は、まだ何にするか思案していた。


そのレストランには、店員を呼ぶためのブザーボタンが各テーブルに備え付けてあった。


次女の五歳の息子、すなわち、私の甥は、早くそのブザーを押したいようであった。


五歳の子供らしい、素直な欲求である。


「早くブザーを押したい」


「押して定員さんを呼びたい」


彼の表情を見るだけで、その気持ちがあふれ出る感じがこちらにも伝わってきた。


私の両親は、相変わらず、周りのことは見えていないので、自分らのメニューが決まった瞬間に、


「kちゃん、ブザー押していいよ。」


と私の甥に投げかけたのだが、


私の甥は、


「ちょっと待って」


と言ったのである。


彼の両親(私の姉夫婦)がまだ、メニューを見ながら思案していたからである。


つまり、耳の聞こえない両親がまだメニューが決まっていないことを察知して、


「どうしてもブザーを押したい」


という気持ちを抑えて、両親のメニューが決まるのを待ったのである。


彼は五歳児である。


その行動に最初に感動したのは、残念ながら私ではない。


私の妻だったのだ。


妻の指摘はこうだ。


子供は、周りのことなんか気にせずに「押していいよ」と言われたブザーを、そして、「どうしても押したい」ブザーを真っ先に押すのが普通ではないか。


自分のやりたいことを抑えてまで、両親のこと、ひいては、周りのことを考えれる、気遣える、私の甥は、すごいし、素晴らしい。


妻のその指摘を聞いたときに、私は「はっ」としたのである。


私の戦場には「周囲の人を思いやる力・気遣う能力」に対する評価基準がなかったのである。


私の両親も私も、甥のその行動を注視していなかったのだ。


私も妻の指摘がなければ、私の両親と同じように「甥の素晴らしい行動」を見過ごしていただろうと思った。


私の側で感動する妻を横目に、私は、妻の育った環境、彼女の両親の教育というものに敬服すると同時に、私の育った戦場の悲惨さを再認識したのである。


「世間体」という評価基準しかなかった私の戦場では考えられない、


「崇高な」評価基準で育った彼女と彼女の両親の素晴らしさに、


私がまた、感動したのである。


そして、私に欠如しているものを、まざまざと認識したのである。


九歳の姪に関しても、同じようなことがあった。


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