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帰省中の両親の「罪悪感の植え付け」は、他にもあった。
私の息子は、帰省時、一歳になったばかりだった。
その一歳の息子に、また恩着せがましく、私の両親が「有償の愛」を注いでいた時の話である。
両親は、しきりに私の息子の名前を呼び、「はーい!」と言わせたかったらしい。
しかし、私の息子は、反応しない。
「バイバイ」もさせたいらしいが、私の息子は反応しない。
その様子にいらだった私の両親は、あからさまに「落胆の表情」を私や妻や息子に見せるのである。
これが、いわゆる間接的「罪悪感の植え付け」である。
自分たちの思い通りにならなかったときに、露骨な不快感を、どんよりとした雰囲気と共にプレゼントする。
決して直接的に「だめだ」とは言わない。
またしても、妻と息子は、その間接的攻撃を正面から受けるのである。
私は、否応なく「免疫」があるが、妻や息子には、かなり効く「パンチ」になっただろう。
その両親の行動の裏には、
「孫は健康な赤ちゃんではないのではないか」
「一歳の赤ちゃんならこれくらいできてもいいんじゃないか」
という、彼らの、傲慢な、独りよがりの「不安」を息子夫婦に被せる意図があり、
そして、暗に責める意図があり、
そうすることで、自分たちが優位に立ちたいという、おぞましい、邪悪な考えがあるのである。
そのように間接的に不快感をあらわにすることで、他者を「支配」しようとするのである。
私は長らく、その「支配」から逃げられずにいたのである。
彼らの恐ろしい点は、目に見える暴力で支配しないことである。
「不安」や「恐れ」という、目に見えないもので、他者を支配する点にある。
暴力による傷は、あからさまに見えるが、「不安」や「恐れ」による傷は、残念ながら外から見えないのである。
だから、「健康そう」に見えるのである。
そして、身体的に健康なはずの自分と、心の中をボコボコにされた不健康な自分の矛盾に悩むのである。
「おかしいなー」と思うのである。
私は、長らく、この「おかしいなー」に悩まされてきた。
友人もいた。
恋人もいた。
結婚もした。
子供も生まれた。
でも、「なんかおかしいなー」だったのである。
そのおかしさの原因が「自分がないこと」に気づいたのである。
「罪悪感」「劣等感」「不安」「恐怖」に「支配」されてきて、長らく「自分」を失っていたことに気づいたのである。
自分が走ってきた戦場、そして逃亡の歴史にようやく気づいたのである。
私は長らく、「自分」を失っていた。
体は大きくなっても、心の中は、息子と同じ「一歳児」なのである。
そのように私を育ててしまった、両親の罪は重いだろう。
しかし、両親のせいではないのである。
それが私の「宿命」だったのだと思う。
「弱い」両親の下で育った「弱い」自分。
その結果は、誰のせいでもない、自分のせいなのである。
運命として受け止めないといけない。
そして、「一歳児の私」を私が育てていかなければならないのである。
しかしながら、弱弱しく見える「一歳児の私」も「タフ」だったのではないかと思う、今日この頃である。
あの不安定な戦場の中を、自分を歪めながらでも、一生懸命走ってきたではないか。
そして、素晴らしい「妻」と「息子」に出会えたではないか、と思うのである。
そして神様は私を見捨てずに、いつまでも「チャンス」をくれたではないか、と思うのである。
命のバトンを次の世代に渡せたではないか、と思うのである。
私がその「命」を何としても大切にしなければいけないと思うのである。




