30
長女は、大学卒業後、アメリカに移住し、結婚して、夫、子ども三人と楽しく暮らしているらしい。
しかし、私の戦場での「キーワード」である「押し付け」は相変わらずである。
長女は、年に一回、自分達の家族写真を集めて、一年分のカレンダーを自作している。
それをまた、恩着せがましく、日本の実家にアメリカから郵送してくるのである。
そのカレンダーには、長女家族が旅行に行った写真や、キャンプをしている写真等が「所狭し」と並べられている。
それを私の両親に送ってくることは、まだ理解できるのだが、「私のため」にも送ってくるのである。
それを受けとった母親が、これまた、恩着せがましく私宛に実家から、わざわざ送ってくるのである。
その長女の「押し付け」の裏にある意図は、正直なところ、わからない。
「幸せにやってます。」という見栄なのか、
「立派に子育てしてます。」という自慢なのか、
わからない。
しかし、重要な点は、私は、その「メリーゴーランド」に興味がないということである。
その「メリーゴーランド」に乗りたくないのである。
それを理解できない長女や母親は、また自分の「メリーゴーランド」を押し付けてくるのである。
何度も何度も押し付けてくるのである。
父親も母親も長女も、子供の頃に好きなだけ「メリーゴーランド」に乗らせてもらえなかったのである。
我慢して、大人の「メリーゴーランド」に付き合ってきた。
私も同じく、である。
しかし、その「メリーゴーランド」に乗れなかった「くやしさ」「みじめさ」「不満」を弱者に向けてはいけないのである。
「自分は好きなメリーゴーランドに乗せてもらえなかった」ということもあるだろう。
「自分は我慢して大人のメリーゴーランドに嫌々乗ってきた」ということもあるだろう。
そして、それはとても悲劇的なことである。
しかし、である。
それでもなお、その「くやしさ」「みじめさ」「不満」を自分で乗り越えなければならないのである。
「自分」というものに向きあい、反省し、自分の「弱さ」を認めなければいけないのである。
自分の「ずるさ」を認めないといけないのである。
決して、その背負ってきた「おもり」を弱者に被せてはいけないのである。
自分がその「おもり」を背負って、なお、「強く」生きて行こうと決意しなくてはいけないのである。
そして、愛すべき者を本気で愛さなければいけないのである。
それが、「大人になる」ということなのである。




