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メリーゴーランド  作者: 湊 亮
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長女は、大学卒業後、アメリカに移住し、結婚して、夫、子ども三人と楽しく暮らしているらしい。


しかし、私の戦場での「キーワード」である「押し付け」は相変わらずである。


長女は、年に一回、自分達の家族写真を集めて、一年分のカレンダーを自作している。


それをまた、恩着せがましく、日本の実家にアメリカから郵送してくるのである。


そのカレンダーには、長女家族が旅行に行った写真や、キャンプをしている写真等が「所狭し」と並べられている。


それを私の両親に送ってくることは、まだ理解できるのだが、「私のため」にも送ってくるのである。


それを受けとった母親が、これまた、恩着せがましく私宛に実家から、わざわざ送ってくるのである。


その長女の「押し付け」の裏にある意図は、正直なところ、わからない。


「幸せにやってます。」という見栄なのか、


「立派に子育てしてます。」という自慢なのか、


わからない。


しかし、重要な点は、私は、その「メリーゴーランド」に興味がないということである。


その「メリーゴーランド」に乗りたくないのである。


それを理解できない長女や母親は、また自分の「メリーゴーランド」を押し付けてくるのである。


何度も何度も押し付けてくるのである。


父親も母親も長女も、子供の頃に好きなだけ「メリーゴーランド」に乗らせてもらえなかったのである。


我慢して、大人の「メリーゴーランド」に付き合ってきた。


私も同じく、である。


しかし、その「メリーゴーランド」に乗れなかった「くやしさ」「みじめさ」「不満」を弱者に向けてはいけないのである。


「自分は好きなメリーゴーランドに乗せてもらえなかった」ということもあるだろう。


「自分は我慢して大人のメリーゴーランドに嫌々乗ってきた」ということもあるだろう。


そして、それはとても悲劇的なことである。


しかし、である。


それでもなお、その「くやしさ」「みじめさ」「不満」を自分で乗り越えなければならないのである。


「自分」というものに向きあい、反省し、自分の「弱さ」を認めなければいけないのである。


自分の「ずるさ」を認めないといけないのである。


決して、その背負ってきた「おもり」を弱者に被せてはいけないのである。


自分がその「おもり」を背負って、なお、「強く」生きて行こうと決意しなくてはいけないのである。


そして、愛すべき者を本気で愛さなければいけないのである。


それが、「大人になる」ということなのである。


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