表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メリーゴーランド  作者: 湊 亮
29/45

29

父親の「写真を撮る行為」というのは、「メリーゴーランドに何度も乗りたがる子供の行為」と同じなのである。


子供が大人とメリーゴーランドに乗る。


楽しい。もう一回乗りたい。


「ねぇねぇ、お父さん、もう一回乗ろうよ。」と、大人にせがむ。


大人は、しぶしぶ「いいよ」と言い、もう一度メリーゴーランドに乗る。


子供はやはり、楽しい。また乗りたいと思う。


大人に「また乗りたい」とせがむ。


そして大人はエンドレスに子供とメリーゴーランドに乗る羽目になる。


大人は、嫌だが、子供のために「しぶしぶ」付き合うのである。


そして、遊園地の閉演時間になる。


最終的には「もう帰るよ!」と言って、子供を説得する。


大人は、経済力、体力もあるので、子供は逆らうことができない。


子供は「しぶしぶ」納得し、メリーゴーランドを降りることになる。


これは、どこにでもある、普通の親子関係だが、その役割が逆転してしまったときには「悲劇」に変わる。


つまり、「大人」が「メリーゴーランドに乗りたい」と言い出した場合である。


子供は、絶対的な弱者である。


その弱者が「メリーゴーランド」に興味がなくても、


本当は乗りたくなくても、


「大人」と一緒に乗らないといけないのである。


なぜなら、子供は自分の「生存権」を「大人」に委ねているからである。


子供は嫌でも、「大人」が飽きるまでメリーゴーランドに乗らないと、ご飯が食べられないのである。


そして、嫌々ながら、メリーゴーランドに乗っていた少年は、「嫌だ」という自分の本来の感情を消してしまい、メリーゴーランドに乗ることが「普通」になるのである。


しかし、そのメリーゴーランドが大好きな「大人」は、子供もそれが楽しい、と思っているのである。


もっと正確に言うと、子供が楽しいか、楽しくないか、は関係ないのである。


「自分が楽しければそれで良い」のである。


それは、子供だと普通に許される行為だが、「大人」はしてはいけない。


しかし、その「大人」はそのことに一向に気づかないのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ