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メリーゴーランド  作者: 湊 亮
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「押し付け」というのは、私が生まれ育った戦場ならではの「キーワード」だと言えるのかもしれない。


父親は、昔から「写真を撮る」ことに執着していた。


いつでも、どこでも、「写真!写真!」なのである。


彼の言い分を説明すると、「家族との思い出・自分の思い出を大切に保存したい。いつまでも残したい」ということである。


それは、彼の「両親との思い出や両親の愛情が乏しかった」ことに起因する「執着」であり、「わがまま」であると思う。


そこには、ある種の「悲劇」や「悲しさ」はあるが、その悲劇を弱者に押し付けるのである。


その悲劇的な執着を弱者に押し付けてくるのである。


写真を拒むと、不機嫌になり、怯えた少年を威圧する。


威圧された少年は、仕方なく写真に写るのである。


私の会社員時代に、父親の母親、つまり私の祖母が亡くなった。


父親は喪主だったので、大好きな「写真」が撮れない。


そこで、子分の私に「とにかくたくさん写真を撮れ!」と要求してきた。


私は彼の「執着」を満たすべく、写真を無心に撮った。




先日、帰省した際、父親の姉夫婦を訪ねた。


そこに来ていた、私のいとこの娘が、「写真を撮ってた人ですよね。」と言ってきた。


祖母の葬式で、「父親の執着」を満たしていた私は、


葬式に来ていた彼女にとって、ただの「写真家」になっていたのである。


そのことを思い出し、父親の執着を満たすべく歩んだ私の人生は何だったのかと、不思議な気持ちになったのである。


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