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メリーゴーランド  作者: 湊 亮
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新しい職場に移っても、それがゴールのない「迷走」である以上、私の心は晴れ晴れしないのである。


ここでも、また、断崖絶壁をなんとか崖に落ちずに逃げ切った「安堵感」のみである。


そして、イライラするのである。


その「イライラ」の原因はわからない。


それが職場の人々であり、職場環境だと思いながら、悶々と過ごすのである。


しかし、彼らに怒りやイライラをぶつけても、一向に私は、晴れ晴れしないのである。


ただ、どんよりとした「憂鬱」を抱えたままなのである。


その「憂鬱」からいろいろなこと、例えば「株式投資」を始める。


しかし、それでも心は晴れないのである。株式投資のみならず、いろいろなところに出かけてみても、その「憂鬱」は晴れないのである。


その「憂鬱」は、子育てにも影響する。


一歳になろうとする息子を「愛せない」のである。


「愛せない」というのは、「愛したい」と思いながら、彼の成長を無意識に喜べない自分がいる、ということである。


当時の私は、「息子も私のように苦しい人生を歩んでいくんだろうなー」という、これまた、「陰鬱」な感情を彼にぶつけてしまうのである。


「もう一回、息子のように一からやり直したいなー。息子はずるいなー。」という感情が、息子を私から遠ざけるのである。


それは、ある種の「嫉妬心」であり、「私自身が欲求を満たしたい」という、私の「わがまま」なのだが、当時の私は、それに気づかないのである。


今考えると、これまで書いてきた、私の両親そのものなのである。


私には、「得体の知れないもの」が棲みついていた。


それが、私の妻や息子に間接的に攻撃するのである。


私は、「得体の知れないもの」のせいにしているのではない。


それに気づこうとせず、気づく勇気も持てずに過ごしている当時の私をただ、情けなく思っている。


そんな「弱い私」が本当にどうしようもない奴だと思っている。


他の誰でもない。


私が悪いのである。


そして、その「陰鬱」な間接攻撃を否応なく受けさせてしまった、妻と息子に申し訳ないと思っている。


本当に大切なものに気づけなかった私は、情けないのである。


私が生きてきた道は、過酷な戦場だったのかもしれない。


不安な日々だったのかもしれない。


重くどんよりとした「おもり」をずっと背負っていたのかもしれない。


だからと言って、それを弱者で解消してはいけないのである。


その戦場で生きて行かざる状況は、確かに悲劇的な事だった。


しかし、それは「運命」なのである。「宿命」なのである。


それを受け止めなければいけない。


当時の私は、生まれつき盲目で生まれてきた青年が、「なんで自分だけ目が見えないんだ!」と叫んでいるようなものなのである。


確かに「目が見えない」ことは悲劇的なことである。


しかし、だからといって愛する人を「盲目」にしてはいけないのである。


それは、「弱い」人間のすることなのである。


押さえつけることで、そして、「罪悪感」を植え付けることで、自分の「弱さ」を押し付けてはいけないのである。


そのことに、ようやく私は気づいたのである。


そのことに気づいたエピソードを記していきたい。


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