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メリーゴーランド  作者: 湊 亮
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父親は、昔から自分の「作文能力」を、これまた、恩着せがましく私や母親に自慢していた。


次女の学校の推薦入学書類や次女の旦那の就職の際のエントリーシートも彼が作成・添削した結果、すんなり通ったらしい。


客観的に考えると、「父親が添削したからうまくいった」というのは何の根拠もない「うぬぼれ」なのだが、長年、父親に支配されていた私や母親は、その「うぬぼれ」をすっかり信じてしまっていたのである。


また、時には、父親の「承認欲求」や「恩着せがましい感謝要求」を満たすのも、私の役割の一つであった。


「子のエントリーシートの添削を依頼した時の父親の嬉しそうな表情」を機敏に察知しないといけなかった。


エントリーシートの添削を依頼すると、「忙しくて、あまり時間がとれなかった。」という文言と共に、添削されたエントリーシートが返ってくる。


ポイントは、「時間があまりとれなかった。」「忙しい。」等のネガティブな「言い訳」を付け加える点である。


その背景には、自分がその「最終責任をとりたくない」という間接的意思表示があり、子供への罪悪感の植え付けがある。


「責任はとりたくない。でも、立派な父親だと褒めてね。感謝してね。」という相反する「感情」を「罪悪感の植え付け」という行為に乗せて、私に渡すのである。


就職してからも、「あのとき、エントリーシートをたくさん見てあげた。」と、恩着せがましく言われた。


「罪悪感」を背負った息子は、また何も言えなくなるのである。


私がここで言いたいことは、「父親への批判」ではない。


「私もまた、父親と同じ弱い人間だった」という自分への批判である。


弱い父親が子供を支配し、また、その子供が弱くなる。弱い子供は弱い父親に依存する。


弱い子供は、依存している限り、その弱さに気づかない。


その弱さに気づくことなく、「行きたい場所」を委ね、「やりたいこと」を委ね、「エントリーシート」を委ねるのである。


そして、その弱い子供もまた、「最終責任はとりたくないが、褒めてほしい」のである。


その「弱さ」に気が付くことが「精神的自立」の第一歩なのだと思う。


しかし、その当時の私はそれに気づかなかった。自分を見つける気がないのだから、仕方がない。


結局、私の実家の近くにある企業に技術系社員として入社する。


そして、実家から会社に通勤することにしたのである。


「戦場」を「逃亡先」に選んだのである。


これが、自分と向き合ってこなかった私の、安易な逃亡先を模索し続けた私の、新たな悲劇の始まりでもある。


「得体の知れないもの」の「支配」から逃げ出したいと望んでいながら、そこから抜け出せない、私の「弱さ」があった。


私自身もその「弱さ」に気づいていない。


ただ、陰鬱な雰囲気が彼を包み込むのである。


私は、その陰鬱の原因が、「社会からの支配による恐怖」と「理想的な逃亡先がなかった」ことにあると思っていた。


もっと言うと、「逃亡先」という観点もなかった。


「理想的な職種・職場」で働けない陰鬱。


しかし、それは大きな誤解であり、その陰鬱の原因は「自分がない」ことであった。


「他者に操作されて生きてきた虚しさ」だったのである。


当時の私は、大いなる「勘違い」をしていたのである。



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