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就活の時には、「自己分析をやりましょう」ということが、ステレオタイプのように言われる。
彼もまた、「自己分析」を開始するが、その「自己分析」ができない。
「自分」を殺してきた彼には、自分を見つけられないのである。
「本当の自分」なんて「ばからしい」という感覚があったのかもしれない。
そう解釈することで、殺してきた「自分」に向きあうことを恐れていたのである。
「自分がわからない」というか、「自分をわかりたくない」「自分と向き合いたくない」という感覚。
「今まで、他者のために生きてきたんだから、他者が決めてよ」という感覚。
「ああ、社会に出ると辛い生活が待っている。自由がなく、支配されてしまう」という感覚。
「また、他者を蹴落とす競争をしなければいけない」という感覚。
就活という、自分を見つめる「大チャンス」においても、彼は、ただ立ち尽くしているのである。
しかしながら、彼は彼なりに、「救い」を求めていた。これまでの工学部での「空虚な競争」に嫌気がさしていた。
「思い切って、文系の職種に就職しよう。女性もたくさんいるし、出会いもたくさんあるだろう。」
自分と向き合うことから逃げて、ここでもまた、「空虚な競争」や「恐怖」から解放される「逃亡」という方法を求めたのである。
本当の自分に向きあう勇気がない。
ただただ逃げたいのである。
この「空虚な競争」からの安易な「逃亡」を試みた結果、彼の文系職種への就職は、かなわなかった。
彼は、「その職に就きたい」のではなく、「その場から逃げ出したい」のである。
リーマンショック後の不景気な時期に、安易に選ぼうとした私の理想的な「逃亡先」はなかったのである。
また、この頃は「競争する」ことからも逃げていた。
「これまで散々、競争してきたではないか。もう他人を敵対視しながら、競争にさらされるのは嫌だ。」「競争に負けるのがみじめで悲しい。」と思っていた。
就職試験の筆記試験の勉強は、ほとんどしなかった。
「こんな試験、勉強するなんてばからしい。」という弁明を自分に言い聞かせながら、就職試験という競争から逃げた。
「私を採用したければ、企業から言ってこい!」という傲慢な考えも頭にあった。
「自分のやりたいことがわからない」「筆記試験の勉強をしない」傲慢な彼の安易な「逃亡先」は、なかなか見つからなかったのである。
この頃、企業へのエントリーシートの添削を父親に依頼したことがある。
ここまで来ても、私はその「支配」に依存してしまっているのである。
それだけ、少年が怯えていた戦場は悲惨だったのである。エントリーシートを父親に見せていた経緯を述べていきたい。
「自分がわからない」私の進路選択には、常に「支配」があった。
つまり、どのように歩んでいけばいいのかを直接的、または、間接的に決められていたのである。
当時の私は、その支配が当然だと思っていた。
その支配に違和感がなかった。「相談」という名目で、自ら「支配」されに行っていたのである。
もう一つある。




