幕間~平穏なる日常② カフェテラスにて②
昨日に引き続き何事もない日々。こんな日々がいつまでも続けばいいのですけれど。
そうは 問屋でなくとも作者が卸しません。
振りだした雨は木々を濃く染めるように降り続いている。
朝は晴れていた空は重く垂れ込める雲に天の主役を譲っていた。
西側と南側を強化ガラスで外から区切っているいつものカフェは、天気が良ければオープン席も学生たちで賑わうのだが、さすがに今日は閉じられている。
天気予報では雨の心配はないと言い切ってくれたお陰で、傘は常備していた三つ折の折り畳み傘しか持ち合わせていなかった。
今までならばそれで事足りたのだが。
本来なら目的の講義を受けた後は、さっさと帰宅して夢の住人になる予定が、少々どころか大幅に狂ってしまった。
事の発端は朝の陸との会話に遡るが、一番の原因は正面の席でテーブルに突っ伏していびきをかいている『バカ』のせいだ。
清藍は込み上げてくる欠伸を手をかざして噛み殺す、とこちらも眠そうにしている陸に視線をずらした。
テーブルに突っ伏している『バカ』の隣で、恨めしそうに彼を見下ろしている。
これから夏に向かおうとしている時期なためまだ外は明るい筈なのだが、降り続いている雨のせいか暑く垂れ込めている雲のせいなのか外は大分暗かった。
「どうしよっか?もう諦めて濡れて帰る?」
「昨日に続いてまたドロだらけになるのか……」
「ああ、そういえば今朝もすごい有様になってたね」
つい昨日の出来事がなんだかもう遠く感じている。
「一日に二度もドロだらけになるとかできたら遠慮したいんだけどな。……こいつは平気だろうけど」
そういえば、陸はわりと潔癖症だったなと清藍は思い返した。けれど丸一日以上寝ていない頭は仕事をするのを拒否しているのだろうか、なんだかうまく思考がまとまらなかった。
徹は陸に小突かれても変わらず眠り続けている。結構な力で小突かれたのか、いびきだけは一時的に止まった。けれどきっとまた再開するだろう。人の多く出入りするこんな場所で、平気で眠りこけることができる神経の太さに腹が立ってくる。
さすがにお昼時間や人の集まるピーク時のような込み方はしていなかったが、それでも今もこのカフェは結構な人の出入りはある。
睡魔を必死に堪こらえている自分が馬鹿みたいだ。
清藍は胸ポケットに刺したままだったシャープペンシルを普段とは逆に握って、ノック部分で徹の頭をつんつんと突付いてみた。
「……んがっ」
一応反応はするものの突付かれているのも気付いているかどうか。振り払おうともしない。
そもそも必須の講義は午前中最後の講義のみだった陸と清藍が、雨が降り出すこの時間まで大学にいる原因そのものが、徹に付き合わされたからだ。
一人で黙って聞いていたら間違いなく講義で寝てしまうから付き合ってほしいとなきついてきたのは徹の方だ。正直、泣き付かれなくとも付き合うつもりではいたのだけれどそれはそれというものだ。
なのに終わって早々に一人だけ安眠を貪っていると思うと腹も立ってくるというものだ。
「幸せそうに眠っちゃって。なんか腹が立つ……」
「確かに。もう、こいつ捨てて帰るか」
声に出しながらもシャープペンシルの頭部分で突付くのをやめていない。尖って痛そうな先で突付かないあたりが清藍の優しさだろう。
「そうね、待ってても雨やまなそうだし。陸一人なら小さい折り畳み傘でもなんとか帰れるかもね」
「せいら、傘持ってたのか」
「持ってたというか、ロッカーに置き傘してたのがあっただけなんだけど」
と、かばんに入れていた、三つ折式の小さな折り畳み傘を見せる。
「だいぶ小さいな」
「三つ折式だからっていうのもあるけれど、確かに小さいよ。女の子一人でも肩とかちょっと濡れるくらい。三人じゃ絶対無理だから出さなかったんだけど」
二人ならまあ多少濡れるくらいで済むかもとは思うが、本当に徹を捨てて帰るならの話だ。
「三つ折式なんてあるんだ」
綺麗な水色のビニールテープで縁縫いされた折り畳み傘は、陸が言う通り小さく、陸の掌、指の先から手首までの長さと同じくらいしかない。
その折り畳み傘を清藍から借りて物珍しそうに陸はためつすがめつしている。
「珍しいかもしれないね。これは駅の中のお店の中で買った気がする」
「駅の中?」
「あら知らない?最近は改札口の中でもお店がある駅があるのよ」
「あーそうだっけ?電車なんて数えるほどしか乗ったことがないかもな」
「こっちに戻って来る時には乗らなかったの?」
「乗ったけれど、そういうのは見当たらなかった」
途中下車しなかったのだろうと清藍は納得した。この街の最寄り駅は、この地方では最大の大きさを誇る駅だったが、残念ながら小さなキオスクと立ち食い蕎麦屋がある程度で、おしゃれな小物を買い物するようなお店はなかった。
「そういえば、陸と徹って以前はどのあたりに住んでいたの?」
「あぁ、ここに来る前にかい?」
未だつんつんをやめておらず、小刻みに頭の揺れる徹の頭に目をやってから陸は答える。
この様子では目覚めるのはまだ時間がかかりそうだと思ったのだろうか。陸はいつもより穏やかに見える表情で言葉を継いだ。
「奈良の田舎の方だよ。鹿と戯れてた」
「鹿?」
思わず徹を突付く手すら止めて噴出す。
「5年も鹿と戯れてたんだ?」
「そうそう。鹿せんべい取り合ったりしてね」
「鹿せんべい!あれ美味しいの?!」
「美味しくないよ。なんだか変なにおいするし」
「何か食べたことありそうな口ぶりね」
苦笑いをする陸を見て、清藍も微妙な表情になる。
「僕がというより、徹がね」
「あぁ、何か確かにやりそうよね」
「うん。しかもまずいからって僕にも無理やり食べさせようとするし……」
鹿せんべいを片手にやりあっている二人の姿が目に浮かぶようだ。
二人で見下ろす先にはまだすうすうと寝息をたてる大男の姿がある。
「……何か腹立ってきたな。大体いつもこいつのせいで、スルーできる筈の揉め事に巻き込まれるんだよな」
今度は陸が指で徹の頭をつんつんし始める。
「巻き込まれるの上手そう」
「そう思うだろ、ホントに……」
「ううん。陸が」
「僕?」
「徹は巻き込む方でしょ。陸は何かちょうど徹が揉め事を起こした時に傍にいそう」
「……嫌だな、それ」
「まぁ、宿命?」
大げさなと陸はため息を付いているが、その指摘はあながち間違ってなさそうな気がした。
それが本当なら僕はこれからも徹の起こす揉め事に巻き込まれ続けることになるのかなと、陸はすこしだけ気分が重くなった。
その気分の分だけぼさぼさの頭を突付く指に力が込こもる。
「いてててて……何だ……頭が……」
今までされるがままになっていたぼさぼさ頭が自ら動き、痛みを発する場所にぬっと手が伸ばされる。
すんでのところで手を引っ込めた陸は、やっと目覚めたらしい大男に視線を戻した。
寝ぼけ顔のまま頭を起こす徹には今まで何が起こっていたのか、頭の痛みの原因を含めて良く判っていない様子だ。
「おはよ、徹。もう夜だよ」
少しだけ嫌味を込めてにこやかに清藍は微笑みかけた。白々しい程のにこやかさだ。
まだ痛むのか陸の指でぐりぐりと突付かれていた辺りを手で擦りながら徹は周囲を見回し暗くなりかけているのを確認したようだ。
「うわっ、俺こんなに寝てたのか」
この状況を見ればいくら鈍い徹でも判るというものだ。眠ってしまったまま目を覚まさない彼を呆れながらも待っていてくれたのだろう。
慌てて二人に謝罪の言葉を口にした。
「ホントよ。こっちだってもう限界だっていうのに一人で気持ちよさそうに寝てて」
「大体考古学の講義付き合ってくれって泣きついて来たのは徹の方だろう?」
口々に今までの不満を口にする二人に、徹は謝ることしかできない。
「ホントにすまん。この通り」
テーブルにこすり付けんばかりにぼさぼさ頭が下げられる。けれど二人の溜飲は簡単には下がらない。
「謝るだけなら、猿でもできるご時世だぞ、徹君よ」
「そうよ。この借りは安くないんだからね」
「そこを何とか!」
「だめ!ハンバーガーセットサラダ付きじゃなきゃ許さないわ!」
「じゃあ僕はオニポテ付きでよろしく」
「ちょ……!今月ピンチなんだって」
三人はめいめいに荷物を取ると騒ぎながらカフェを出て行く。
折りよく雨は小降りになって来ていた。
この小説の書き方として、「小山の~」がそうでしたが、基本舞台には二人しか登場しないという手法(?)で書いておりました。
これは私が拙いせいで複数の人物を同時に動かすのが苦手だからというのが一番大きな原因ですが、実はもう一人理由があって、この小説は極端に登場人物が少ないのです。
というのも最初のコンセプトが投稿用の単発で、最初の原稿を書いた時には後に続く要素がまったくなかったからです。
その全くまとまりのない駄作を根気良く読んでくれたのが私の数少ない悪友の一人です。この場をお借りして彼女に感謝を。
流石にメインキャストがほぼ三人しかいないこの状況では、茶番を書くくらいが関の山というもの。
次回作を書くに当たっては、どうしても新たな登場人物を考えなくてはいけません。
割と設定には凝るタイプの高杉です。実は主人公たちの苗字が簡単な文字を多く使っているのにも理由があったりします。ここでは述べませんけど(笑)
簡単な文字を使っている名前だからといって適当に考えているわけではないのです。
意外にお思いでしょうか。もしそうならばそれも思惑の範疇ということですよ、ダンナ。へっへっへ。
と言うわけで長々と書いておりますが、次回作が始まらないのは一重に、新キャラの設定が固まらないからです。(そうか?)
悪いのは私ではなく、固まってくれないキャラです!(結局責任逃れ)
すみません。そんな奇特な方はそれ程いないと思うのですけれど、次回作をお待ちいただけている方いらっしゃいましたら申し訳ありませんが本当に気長におまちくださいませませ。