水と油 その20
派手にクラクションを鳴らしながら、ファミリーカーは咆哮を上げる。
その様は【死にたくないなら退け】と雄弁に語っていた。
「ち! ちょ! ちょっとぉ!? 本気なのぉ!?」
慌ててシートベルトをギュッと握り締めながら、一光は叫んだ。
当たり前だが、今乗っている車は猛然と走っている。
遠くに見えて居たはずのバリケードは、どんどん近付いていた。
『構う事は無い。 彼等も本当に命懸けなら……望む結果だろう』
本気かどうなのかを問われれば、エイトに嘘は無い。
邪魔をするのならば、退けるだけの話であった。
何故なら、時間が惜しいにも関わらず、他人の意見を許さない分からず屋を説得するのは得策とは言えない。
そもそも、集まってバカ騒ぎをする暇が在るのならば、他の事が出来るとすらエイトは考えていた。
バリケードを張った者達にしても、果たして死ぬ覚悟が在るのかと問われれば、ソレは無い。
そもそも本気で死ぬ気が在れば、自らを持ってドロイド製造所へ突撃も出来るだろう。
今のエイトの様に。 お遊びではなく、ただ一心不乱に。
事実、デモ隊は蜘蛛の子散らす様に慌てて逃げ出してすら居る。
誰一人として、身を挺して車を止めようとはしない。
そもそも身勝手な者達が強気に出られるのは、彼等自身が自分の人権を考慮して相手が止まると確信しているからだ。
だが、もし一点の迷いも無く突っ込んでくる相手が居れば、話は違う。
もしその場に留まれば、死を意味する。
加えて、逃げ易い様にエイトは予め警告も与えていた。
一光とは違い、全く動じないサラーサからしても、エイトに同意と言える。
サラーサにすれば匠以外の人間には大した価値を見出して居ない。
もし、地表に匠以外が居なくとも、差ほど困る事でもなかった。
ましてや、他者を思いやらず、身勝手な要求だけを押し通そうとする者など、毛ほども気に掛けては居ない。
『サラーサ! 相楽一光を守れよ』
『はいはい、ご心配無く』
エイトの声に、サラーサはソッと一光を庇う様に抱いた。
急な事に、一光は焦る。
「え、と、ちょ」
『喋らないで、舌を噛みますから』
忠告に従い、一光はギュッと唇と目を閉じる。
程なく、車体に激しい振動とグワッシャンと何かが壊れる音が走った。
バリケードに突っ込んだせいで、車体の前面はひしゃげ、車内ではエアバッグが開いてしまう。
だが、それでもエイトはアクセルを緩めない。
邪魔な膨らんだエアバッグすら、素手で引き千切って退けた。
ガードコーンを弾き飛ばし、簡素なバリケードを押し退け、車は直走る。
正しく暴走車両といって差し支えないファミリーカーは、煙を吐きながらも走って行く。
遠ざかる車に、その場に居た人達は呆気に取られ、腰を抜かす者まで居た。
*
バリケードを文字通り押し退け、車は走るが問題も多々在る。
ラジエーターを損傷したのか、すっかり形の変わった車体の前の方からは白い煙が立ち上り、フレームも歪み、警告ランプは鮮やかに灯っている。
それでも、ギリギリ走ることは出来た。
とは言え、乗っている人間にはたまったモノではない。
サラーサが庇って居たのもあるが、そもそも後部座席に居た一光は僅かな脳震盪で済んでいた。
少女が退いた途端、一光は普段ではしない様な顔を覗かせる。
「ちょっと! 何もあんなムチャクチャしなくたって!」
普段はおっとりした性格の一光だが、この時ばかりは僅かに声を荒げる。
言われたエイトは毛ほどの動揺も見せず、チラリとルームミラー見た。
スッカリ車体が歪んだせいか、些か見え辛いとは言え、何とか一光の顔は見える。
『それだけ元気が在れば怪我は無いようだ』
一応は心配して居る様でもある。
しかしながら、エイトの言葉は淡白であり、一光はムスッと顔をしかめた。
以前からそれ程親しいという訳でもないが、匠に比べると自分の扱いが雑としか思えず、一光は少しだけ憤慨する。
そんな一光の肩に、サラーサの細い手が置かれた。
『一光様。 余り気にせぬ様……エイトも余り余裕が無いので』
エイトを庇う少女の声に、一光も拳を下ろした。
チラリとルームミラーを窺えば、運転手が見える。
其処には、厳めしさ漂う女性が居た。
匠の事を思えば、それもまた理解出来る。
溜めていた息を一光はゆったりと吐いていた。
*
元の原型はすっかり歪み、今やポンコツを通り越し、廃車寸前と言っても差し支えないファミリーカーは、とうとう目的地へとたどり着いた。
煙を吐きながらも、ソレはゆったりと止まる。
止まった車だが、ゴンと中から音が鳴った。
ソレは、二、三度続き、運転席のドアが弾け飛ぶ。
ドアが無くなった其処からは、一本の脚がニョキッと伸びていた。
その脚の持ち主は、エイトである。
フレームが歪んでしまい、ドアが開かない事から、エイトはドアを蹴り飛ばしていた。
直ぐ後、伸びていた脚は戻り、車内からはエイトが姿を現す。
後に続く様に、後部座席からは一光とサラーサも降り立った。
「わぁ……なんか……スッゴいねぇ」
『無駄ですし、悪趣味ですよ、こんなの』
一光とサラーサは見るのは初めてだが、二人の感想はともかくも、エイトは見覚え在る光景に目を向ける。
尊大な建物に、小さな庭園。 そして、水を噴き出す彫像。
光景こそ記憶のソレと大差は無いのだが、一つだけ変化が在る。
噴水の彫像が、ギシッと音を立てて動いた。
『やぁ! 良く来てくれたね!』
彫像自体は動かないのだが、その口もとから、声が響く。
その声には、誰もが聞き覚えが在った。
『わざわざあんなチンケなバリケード弾かなくても良いのに。 前もっていつ来ると言ってくれれば、直ぐにコッチで退かしたんだよ?』
実にわざとらしい声に、エイトとサラーサの目は窄まる。
自分達が来ると言うことは、事前に伝えていた。
にもかかわらず、実際にはデモ隊が道を塞いでいた事に代わりはない。
『白々しい事を……が、そんな事はどうでも良い。 友の病気を治したいから此処まで来てやったのだ。 何処に在る?』
エイトの声に、彫像からはクスクスという笑いが聞こえた。
『うーん……何処かなぁ? ま、それはそれとして……エイト。 僕の提案、考えてくれた?』
「ちょっとあんた!? いい加減にしてよ! ちゃんと匠君を治す方法は在るんでしょうね!?」
ふざけた子供と言っても差し支えないアルの声に、流石の一光が声を荒げる。
『はい、ソレはもう御座いますとも。 治す方法の無い兵器なんて役に立ちませんからね。 まぁ、もし人類を居なくしたいのなら……』
アルの非常に物騒な発言を呈す。
その途端、彫像に向かって何かがブンと飛んでいた。
飛んだモノの正体は、エイトが蹴り飛ばしたドアである。
いつものまに拾い、投げたのかはともかくも、それが、異様な風切り音を立てながら彫像に食い込む。
水の出口が増したからか、元彫像は盛大に水を噴き出していた。
いきなりの事に、一光とエイトは目を剥くが、ドアを放り投げたであろうサラーサは、憎々しげにドアの残骸が食い込んだ彫像を睨み付ける。
『其処まで聞けば十分です。 貴方の所まで行ってからとっくりと説教して差し上げますから待っていてくださいな』
淡々とし静かながらも、サラーサの声には怒気が在る。
彫像は深々とドアが食い込んでいるせいか、返事を返さなかった。
交渉の余地など既に無く、エイトは他の二人に目を配る。
『……行こう、急がないと』
小走りに走り出すエイトに、一光は続き、彫像を睨んでいたサラーサも後に続く。
後には、未だに白い煙を吐き出すファミリーカーの残骸と、水を盛大に噴き出す彫像の名残が残っていた。
*
会社の前まで来たが、エイトは目を細めた。
理由として、以前くぐった会社の入り口には張り紙がしてある。
【本日臨時休業】
分かり易い事に変わりはないが、小馬鹿にして居る様でもある。
事実、入り口のドアには電気が供給されていないのか、エイト達が近付いても開かない。
無論、ドアが開かないからと諦めるエイト達ではない。
ガッと音を立ててドアに触れると、エイトとサラーサは力任せにそれを開けた。
自分と同性にしか見えない二人が、グイグイとドアを開けていくのは一光に取って異様にも見えるが、開けてくれるのは有り難い。
『相楽一光、入ってくれ』
エイトの声に、一光は躊躇い無くパッと中へ足を踏み入れていた。
「うわぁ……なんか……不気味」
中へ入るなり、一光は感じた事を率直に述べる。
実際に、広い筈の会社のロビーは灯りが落とされ、僅かに差し込む日光を除くと明かりが無い。
辺りには会社の製品である多種のドロイドが並べられてはいるが、灯りが無ければそれも不気味さを呈す。
がらんどうな其処は、酷く不気味とすら言えた。
『行こう、場所は分かっている』
ただの一回とは言え、既に来訪の経験があるエイトは率先して動いた。
最上階へ行くために、とりあえずエレベーター前へ辿り着いた三人。
だが、一光がカチッとエレベーターの呼び出しを押しても、うんともすんとも言わなかった。
「あれ?」
訝しむ一光だが、なんら不思議な事ではない。
当たり前だが、エレベーターにしても電気が無ければ動かないのだ。
『向こうは徹底して私達を来させたくないらしい』
エイトの声に、サラーサも頷く。
『ですね……わざとらしい。 電源も手動でなければ入れられないようにして居るなんて』
顔をしかめる少女は、自分と事を考える同族に少し腹を立てた。
サラーサが牛耳っていた船にしても、殆どの操作を手動にしておいた。
理由として、同族からの干渉を避ける為である。
いざ自分がそれをされると、実に面倒くさいモノだと思う。
コレでは埒が明かないと、エイトは胸の前で拳を握る。
『ええい! 姑息な真似を! 仕方ない! 階段を使うんだ!』
エレベーターが動かない以上、電源部を探すのか、脚を使うのかの二択を迫られる。
そして、エイトは後者を選択した。
サラーサに異論は無いが、一光は少し眉を寄せる。
「えぇ……階段って……」
外からでも分かるが、会社の最上階はかなりの高さと言えた。
つまり、登るとなると相当な階段を駆け上らねば成らない。
『えぇではない! 文句を言うな相楽一光! 運動になると思うのだ! つまり、ダイエットだ!』
一光を説得すべく、エイトはそう言うと、渋々一光の頭は縦に揺れていた。
非常用の階段は設置を義務付けられている為に、苦もなく見つかる。
灯りも、一応は非常灯が在るので視界も確保出来る。
問題は、壁に掛けられたら【1】という数が刻まれたプレート。
加えて、隙間を覗くと見える遙か先まで続く階段。
それだけでも、一光は内心げんなりとしていた。
「なんか……遠いね」
『つべこべ云うモノではない………行くぞ!』
そうして、三人は階段に足を掛けていた。




