水と油 その18
暴走寸前の速度で、エイト達を乗せた車は走る。
その為か、車の持ち主は酷く困っていた。
「あ、あの……運転なら、俺……するけど?」
何事とモノは試しという言葉も在る。
いきなり見ず知らずの女性に車を半ば強奪される形で運転されるというのは、男性に取って気持ちの良いモノではない。
『必要無い』
即座に男性の意見を切り捨てるエイト。
氷点下が如く冷たい声もさることながら、何よりも男性を困惑させるのはエイトの運転の仕方であった。
ドカッと運転席に腰掛け、腕を組んだままジッと前を睨む。
それだけでも、車の持ち主に取っては目を疑う光景と言えた。
アクセルもブレーキも操作することなく自動運転に任せる。
その事自体は、この時代では差ほど珍しいモノではない。
問題なのは、男性からするといつ、自動運転に切り替えたのかという事だった。
記憶には間違い無く自分で操作していた。
本来、自動運転に切り換える為にはそれなりの操作が必要なのだが、運転席に鎮座する女性がそれをしたのを見た憶えない。
にもかかわらず、車はまるで見えない何かに操られる様に勝手に動く。
「あの、えと……ほらでも。 色々在るっしょ? その、信号とか、警察とか」
『問題無い』
何とか女性を止めんと試みる男性だが、そんな言葉はエイトにバッサリと斬り捨てられる。
「いやー、でも」
『気にすることは無い』
気にするなと言われ、はいそうですかとは思えない男性。
恐る恐る前を向くと、奇妙な光景が見えた。
運が良ければ、信号に捕まらない時も在ることは男性も知っている。
だが、今見える光景はソレとは違った。
車が信号に近付く度に、わざとらしく青へと変わって行くのだ。
「………なにコレ?」
まるで、街その物がただ一台の車の為に道を譲るといった光景。
現実とは思えない男性は慌てて自分の腕を抓るが、鋭い痛みが見ているソレが現実なのだと告げていた。
本来、エイトは街を操るという事は好まない。
何故なら、それに因って様々な事が起こると分かるからだ。
通行を妨げられれば、それだけでも困る人も居るだろう。
他にも、物流なども滞るかも知れない。
また、下手をすれば救急車などの通行を妨げ、それに因って害を被る人が居るという可能性も捨てきれない。
だが、今のエイトに取ってはそれらは考慮に値していなかった。
全てはただ一人の友の為であり、他は思考から切り捨てている。
奇しくも、アルが語った通りエイトは持ち前の力を存分に振るっていた。
市街地を抜け、車は一路在る場所へ向かう。
目指すは高速道路。
それは、速度を落とす事無く高速道路への入り口へと近付く。
「あの……スピードが出過ぎでは?」
流石に突っ込むのは困る男性だが、実際に車を操って居るエイトは動じない。
『全く問題無い』
平然と車を走らせるエイト。
通常の人間を遥かに超える胴体視力と、そもそも外部の殆どをその力の元に置いているエイトからすれば、男性の悩みなど考慮にも値しない。
段々と、高速道路の入り口は近付いてくる。
他の車両が如何に道路を譲っても、爆走しているせいで車の持ち主からすれば入り口に突っ込むのではないかと錯覚すら覚えた。
「スピードォ! スピード落とせってば!」
『落ち着け』
シートベルトを守り神の様に掴み、男性は焦る。
如何に男性が慌てても、エイトからすれば【喧しい】という言葉しかない。
どうせなら助手席などに乗せて置かず、その場に置いてくれば良かったとすら考えていた。
*
高速道路を、完全に速度制限を逸脱しながら走るファミリーカー。
エイトが操る車がまるで緊急車両であるかの如く、道が空いていく。
そんな光景にも動じず運転席にて仏頂面で佇むエイトに、見える光景に戸惑う助手席の男性。
そんな前席の後ろでも、問題が起こっていた。
車に揺られる事、数十分。 そろそろ一時間に届くかどうかと言う時。
エイトやサラーサはともかくも、一光は悩んでいた。
苦しげに顔を歪め、額に脂汗を浮かべる。
『あの、一光さん? どうかしまして?』
匠の友人を案じるサラーサ。
一光が女性であろうとも、それは関係無く、性別など問わず心配する。
問われた一光は、ウーと呻きつつ、重い口を開いた。
「………あの、途中……休憩して貰える?」
自身に何が起こっているのか、一光にとっては答え辛い。
もし、エイトが男性を置いていけば、一光も或いはソレそのままを答えたかも知れないが、人の目というのは、流石に憚られる。
生理現象という事に関して言えば、それを止めるのは難しい。
『エイト……』
本来なら、一分一秒も惜しい。
だが、それを無視した場合、一光に取っては大問題である。
心底渋々といった様子で、エイトは仕方なく頷いた。
『分かっている』
そう言うエイトが、チラリと車のナビに目をやる。
一睨みしただけで車は目的地を変更していた。
遠いアルの居城から、近場のパーキングエリアへと。
さほど時間も関わらず、ファミリーカーは駐車場の空きへと止まる。
「ごめんなさい! 直ぐ戻ってくるから!」
車が止まるなり、慌てて駆け出す一光。
パタパタとトイレへ駆け込んでいく背中を見ながら、そもそもの車の持ち主は、恐る恐る運転席から動こうとしないエイトを見た。
相も変わらず、仏頂面でエイトは外を見ながら腕を組んだまま動かない。
在る意味、そんなデザインの彫像の様でもある。
ともかくも、ようやく車が止まった事から、男性は意を決して口を開いた。
「な、なぁ、乗せる……とは言ったけどさ、何処へ行く気なんだよ?」
当たり前だが、今乗っている車は自分のモノであり、好き勝手に走り回られても困る。
どうせなら、降りて欲しいとすら考えていた。
『教えても構わないが、どうするつもりだ?』
「はぃ? いや、だって……コレ俺の車なんですけど?」
見知らぬ女が如何に怖かろうとも、はいそうですかとは譲れない男性。
何せ愛車は彼の足でもあり、無くては困る。
取り付く島もないエイトに変わり、サラーサが助手席に目を向ける。
『もし、すみませんが』
「……な、なんすか?」
唐突に、細い腕が後ろから男に向かってニュッと伸びた。
白く艶めかしい肌はともかくも、何事かと焦る。
『宜しければ、この車売ってくださいな』
「はぁ?」
いきなりの事過ぎて、男性の理解が追い付かない。
良い日だと信じていたのに、車は勝手に走るわ暴走させられるわ、ろくな事が無い。
そして、終いには車を売れという。
「あ、あんたら、何なんだ! 勝手に人の車乗り回すわ、売れだって?」
『えぇ、このままでは貴方も納得出来ますまい? なら、私にこの車売ってくださらない?』
そんなサラーサの声に、エイトはチラリと横目で細い腕を覗きながらもフンと鼻息を吹いた。
本来、他人の金に頼るといった事は好ましくはない。
それでも、このまま男性を乗せたままにして大きな問題に発展させるぐらいならば、とっとと降りて貰った方がマシだと理解していた。
『問題は御座いますまい? 生憎、持ち合わせでは少々少ないので、宜しければスマートフォンを貸してくださいな。 振り込みますから』
そんな少女の声に、男は半ばやけっぱちに成った。
「ははっ、まぁ買ってくれるってんなら……ほら」
やれるモンならやってみろと、男性は嗤いながら上着のポケットからスマートフォンを取り出し、サラーサに手渡した。
本来なら、画面に指を走らせ、あれやこれやと操作しなければ成らない。
だが、実際には少女は画面を見ているだけだ。
それでも、画面上には目にも留まらぬ速さで情報が駆け巡る。
実質的な作業は、五秒程で終わった。
『はい、確認してください』
そんな声に、男は渋々スマートフォンを受け取り、ポンポンと画面を叩いてアプリケーションを起動する。
文明の進歩は、わざわざ銀行へ行かなくとも預金の残高確認を可能にしていた。
「……嘘だろ」
画面に表示される自分の口座を見て、男は目を疑う。
其処には、今まで無かった筈の数字が羅列されていた。
金額にして、今の車を新車で二台は買える程の額である。
『はい、買い取りましたよ……そろそろ、友人も戻って来るでしょうから……降りてくださいな』
思わず、男性は慌てて後ろの席を確認するが、其処には、妖艶に笑う少女が座る。
「お前………いったい」
運転席に座る女性と、後部座席に座る少女がただ者ではない事は男性にも分かる。
そんな訝しむ目を向けられても、サラーサもエイトも動じない。
『私達が誰なのか、そんな事は関係ありませんよね? タクシーを呼んで帰っても、十二分に余る筈です。 それに、口止め料も込めて多めにしといたのですから……サッサと降りてくださらない?』
サラーサは笑みを消し、冷たい声を放った。
こうなると、男性も思わず首を縦に振らざるを得ない。
*
暫く後、トイレから一光が駆け戻ってくる。
バタバタと走りながら、乗ってきた車を目指して一目散に。
「ごめん!」
予め開けられたドアから、一光は車へ乗り込むが、ふと車内の変化にも気付く。
「……あれ? 其処に居た…ひとは?」
一光の疑問に、エイトは前を向きドアを閉める為にカチリとスイッチを押す。
『降りて貰った。 あのまま居られても困るからな』
「え? でも……」
エイトの説明は、余りに雑であり一光にしても納得が行かない。
その代わりにと、一光の隣に座るサラーサが声を掛ける。
『大丈夫です。 ちゃんと買い取りましたから』
そう言うと、サラーサはポンとシートを軽く叩く。
「えぇぇぇ……あ、そうなの」
その場で車が取引出来るのかはともかくも、一光からすれば、男性が居なくなっても差ほど困らない。
寧ろ、まぁいいかとすら考えてしまった。
全員が乗り込んだ事を確認したエイトは、車を動かす。
『時間が無い! 飛ばすぞ!』
そんな声と共に、車は駐車場を素早す抜け出し、またしても凄まじい速さで高速道路を走り始めた。
ぽつんと独り、パーキングエリアに残されてしまった男性は、走り去る元愛車に寂しそうな顔を向ける。
今一度スマートフォンを調べでも、多額の金が振り込まれて居ることに間違いは無い。
金も大事だが、何かを失った気がする。
そんな金と引き換えに、もっと大事な機会を失ってしまったのではないかと、男性は思った。
金では嫌だと、あの三人について行けば自分の人生は何かが変わったかも知れない。
だが、全ては後の祭りである。
多く増えた口座の額を見ながら、取り残された男性は長い長い溜め息を吐いていた。




