水と油 その17
一光ソレは、無知の蛮勇かも知れない。
それでも、アルを驚かせるには十分と言えた。
『……それはそれは、じゃあ、お待ちしておりますよ』
売られた喧嘩は買ったとばかりに、パソコンのディスプレイに浮いていた顔は消えていった。
それは、エイトも見ていたが、実は恥ずかしくも在る。
何故なら、本来一光の言葉を言うべきは自分であったと思うからだ。
にも関わらず、それを言えないどころか何も出来なかった事を悔やむ。
ただ、ほんの数秒でエイトは首を横へ振ると立ち上がった。
立ち上がったエイトに、一光は向き直る。
「で? 彼奴は何処に居るの?」
肝心な事を聞きそびれ、一光は戸惑うが、エイトはウンと頷く。
『大丈夫……場所は分かっているからね』
さぁ行こうかという姿勢のエイトだが、サラーサは座ってしまう。
何事かと目を向けると、顔は一応キリッとしていた。
『あ、では私お留守番してます。 ほら、匠様は動かせませんので』
至極真っ当といったサラーサだが、少女に対してエイトはビシッと指を差した。
『駄目だ』
速攻でサラーサの意見を却下するエイトに、少女はムッと鼻を鳴らす。
『お留守番は確かに必要だ……が、君は信用出来ない』
今までの経緯を考えると、匠とサラーサを残す事はエイトには選べない。
だが、病魔と戦いながら眠る相棒を、無防備に独りきりで残すというのも選びたくない。
たっぷり一秒掛けて、エイトはこの場で残しても問題無いであろう者に目を付けた。
『ノイン……頼めるか?』
ビシッと指名された小熊は、『キュッ!?』と鳴いた。
指名されてしまったノインは慌てるが、今の所他に信頼出来そうな者も見当たらない。
一光を残すという選択肢は、エイトの中には無い。
エイトとサラーサだけでも戦力としては規格外だが、万が一に備えるとなると、人の手が欲しかった。
だが、指名された小熊からすれば、まさか自分が残れと言われるなど思ってもみない事態である。
慌てて一光に駆け寄る小熊。
元々余り大きくない身体の為に、熊とはいえ迫力は無い。
その代わり、必死さは伝わる。
グイグイと自分の衣服を引く小熊を、一光はソッと持ち上げた。
「お願い出来る? ノイン」
主足る一光からもそう言われてしまうと、ノインは少し困った様に耳を垂れて居たが、直ぐに耳をシャキッとさせた。
自分が信頼されているからこそ、それを全うしたい。
小熊は、『キュッ!』と鳴きながら敬礼の仕草を見せる。
そんな周りの流れから、サラーサも渋々と立ち上がった。
『仕方ありませんねぇ』
本音を云えば、匠の側を離れたくない。
だが、このままでは匠の容態が良くなる保証も無かった。
となると、唯一の治療法を探す他はない。
しかしながら、サラーサは自分に向けられる目線に気付く。
『……あの、どうかしました?』
何故自分に疑わしい目が向けられて居るのか、サラーサは戸惑う。
そんな少女に、一光の鼻が唸った。
「あの……ね、大きなお世話かも知れないけどぉ」
『服はちゃんと着た方が良い。 でなければ、今の君はただの痴女だぞ?』
一光とエイトの声に、サラーサは自分を見る。
『………あら、コレは粗相を』
二人の声は、強ち間違いでもなかった。
今のサラーサは、薄手のワンピースしか纏って居ない。
ソレで外を歩くというのは、些か問題と言えた。
*
暫く後、といってもサラーサの着替え自体は数分で終わった。
用意もそこそこに、匠のアパート前に女性が三人立つ。
並んで見ると、エイトが一番身長が高く、次に一光が僅かに低く、どん尻にサラーサは二人より頭半分小さい。
そして、服装もてんでバラバラである。
男装というよりも、匠の私服を着用しているエイト。
普段からそれなりに心掛けて居るからか、一番女性らしい一光。
そして、何をトチ狂ったのか、ミススカートなゴスロリのサラーサ。
なんとも言い難い三人組である。
服装はともかくも、自分よりも身長が在る二人を見てサラーサが鼻を唸らせるが、そんな事はエイトと一光は文字通り鼻にも掛けて居なかった。
「勢い込んだのは良いけど……どうしよ?」
サラーサの鼻が唸った事よりも、一光を悩ませるのは足である。
無論、自分の脚の長さ云々ではなく、移動の為のソレだ。
生憎と匠は免許こそ持っては居ても、車が無い。
内心、一光はソレでは困ると別の事を考えて居るが、とにもかくにも、徒歩で移動するのは難しかった。
それは、エイトも同じである。
走っても行けなくはないが、ソレでは時間が掛かり過ぎる。
今の所ノインが居るからこそ、匠の事は多少ならば安心出来るが、いつまた悪化するかは予想しか出来ない。
『確かに……少し困ったな』
ぼそりと漏れたエイトの声に、サラーサが腰に手を当てた。
『タクシー呼びましょ! ハイヤーでもバスでも戦車でも良いでしょ!』
サラーサの声に嘘は無く、どうせなら戦車で殴り込んだ方が早いと考えて居た。
一光とエイトに比べると、サラーサは周りの被害に頓着が無い。
仮に町一つ灰燼帰しても、差ほど気にも止めないだろう。
『馬鹿者……そうも行くまい』
長い事、匠の側で過ごしたせいか、エイトの常識は人のそれに近かった。
それが枷と成ろうとも、守るべきモノでもある。
「うん……流石に………戦車は駄目じゃないかなぁ」
後の事を考えれば、一光にしても無謀な特攻はしたくない。
そんな二人は、サラーサに取ってはもどかしい。
『ではどうするんです! こんな所でぶつくさ悩んでいても、匠様は助かりません!』
在る意味、少女の見た目通りに迷い無いサラーサ。
もたつく二人とは違い、サラーサは短いスカートを揺らして焦っていた。
つい先ほどまで、邪魔が入るまではずっと匠の側にいたのはサラーサだ。
だからこそ、強い焦りが在る。
自分の腕の中で、苦しげに寝ていた匠の姿が、サラーサを余計に焦らせる。
苛立つ少女だが、ふと、在るモノを目で捉えていた。
それは、傍目にはただの通行車両と言える。
何処の道路でも走っている何の変哲もない普通の車。
しかしながら、高性能なサラーサの目と、人を遥かに超える記憶力は、その車に見覚えが在った。
『ちょっと待っててください!』
その場から爆発的に駆け出す少女という姿は、一光を驚かせる。
着替えたとは言え短いスカートのせいで脚が覗く。
健康的な脚が見えたか見えないかはともかくも、サラーサと同じ力を持つエイトは、その意図に気付いた。
『相楽一光。 君は、運や運命というモノを信じるか?』
「はぃ?」
エイトの急な声に、思わず一光の声は裏返った。
一光の認識からすれば、エイトやノインといった者達はそういった偶発的なそれらのモノとは対極に居るものだと考える。
『私は……ほんの少しだがそう言ったことを信じたく成ったよ』
「えぇと? そう言ったこと?」
『有り体言えば……奇跡って奴かな』
柔らかい笑みを浮かべながら、エイトはサラーサの行った先へ目をやった。
一光も釣られて其方を向く。
なんと、其処では車が一台止まっていた。
「……嘘」
思わず、一光はそう漏らす。
今時ヒッチハイクをいきなり試した所で、誰かが親切に車を止めてくれるかと云えば可能性は低い。
にもかかわらず、車は間違い無く留まっている。
一光は内心、世の中良い人も居るのかなと思っていた。
*
車が止まった理由は、実はそう難しい事ではない。
運転手が特別正義感に駆られた良い人という訳でもなく、その人は、以前エイトからつれなくされた男性であった。
この男性が、何故匠のアパート近くを車で走っていたのか。
偶々、買い物に出掛けたというのも在る。
加えて、以前逃げられた姉妹を探して居たのが半分と言えた。
そんな時、なんと探していた女性がにこやかに手を振りながら現れたのだから車を止めたのだ。
内心笑いたいが、運転手である男性は冷静な様を装う。
律儀にハザードランプを灯し、咳払いをして助手席側の窓を開けた。
「あれ? この前の……どうかした?」
如何にも【やぁ、奇遇だね?】と言わんばかりの男性に、在る意味可愛らしい格好をした少女は微笑む。
『良かったぁ……止まってくれて』
そう言うと、少女は急に困ったな顔を歪め、顎に曲げた人差し指を当ててキョロキョロと当たりを窺う。
「どうしたの? 何かあった?」
少女の困っている様子をみて、男性は千載一遇の機会と見た。
『えーと、急いでいるのだけど……タクシーも無いし、お姉ちゃんも困ってて』
捨てられた子猫の様な声に、男性は奇跡を信じた。
なんと、相手は如何にも困っている。
此処で男を立て上手く行けば、どんな未来が待っているのかとすら妄想してしまう。
「そりゃあ困ったなよねぇ。 あ、良ければ、俺……送るけど?」
男性は、【俺は良い奴だぜ?】と声を掛けた。
下心が在るか無いかを云えば、下心九割九分、親切心が一分である。
誘うような声に、少女は神が現れたとばかりに胸の前で両手を握り締める。
『ホントですかぁ? あ! でも、お姉ちゃんのお友達も……一緒なんです。 女の人なんですけど』
それを聞いて、男性の心はいよいよ火が灯った。
最初は、【んだよ、友達居るのかよ】と考えたが、その友達も女と聞けば、落ちていた気分は上昇気流が如く持ち上がり、勇気凛々である。
数は多ければ機会も多くなると、男性はいよいよ頬を緩めていた。
「なんだ、そんな事かぁ。 安心しろって、ほら」
男性は、片手を上げて自分の車を親指で示す。
「コイツは六人乗りだぜ。 三人ぐらいへっちゃらだよ」
『ありがとう御座いますぅ、直ぐ呼んで来ますね!』
ぺこりと頭を下げて、パタパタ掛けていく少女。
スカートがわざとらしく捲れ、脚が男性の目に眩しく映る。
この時ばかりは、男性は家族が居ないにも関わらず大きめのファミリーカーを買った事を自分に感謝していた。
【コイツは良い一日に成りそうだ】と、男性はルームミラーで髪型や服を確かめた。
チラリと窺うと、少女の言葉に嘘は無く、女性が三人歩いてくる。
こうなると、男性の心臓はエンジンが如く踊った。
【ウホ! 一人ちんちくりんだけど、他の結構イケンじゃん! いやいや、あのちっちゃい子も結構……】
声に鳴らない声が、男性の内側で騒がしい。
今日は人生で最良の日である。 男性は、そう信じて疑わなかった。
但し、それはあくまでもエイトと一光、サラーサが来る迄の話である。
何を思ったのか、男装の女性はスタスタと一目散に助手席ではなく運転席へ近付いてくる。
他の二人は、後ろへ。
何事かと訝しむ間も無く、運転席の窓がコンコンと叩かれた。
窓が、音を立てて下がる。
「えと、あの?」
『助手席へ移れ、時間が無い 』
「え? へ?」
『乗せてくれるのか? くれないのか? どっちだ?』
「……あ、はい」
有無を言わせぬ迫力を放つエイトに、男性は思わず従ってしまった。
のそのそと運転席から隣へ移る間、男は混乱の極みに居る。
せっかくの機会を無駄にしたくない。
しかしながら、男は勘違いをしている。
一光が女性である事になんら疑いは無いが、エイトとサラーサに至っては女性の姿をしているだけの話だ。
「すみませーん。 お邪魔します」
『お世話になりま~す』
呑気な声で、一光とサラーサも乗り込む。
全員が乗り込んだのを確認したエイトは、シートベルトを締め、顔だけが横を向く。
『シートベルトはした方が良い。 怪我をされても面倒くさいからな』
「あ……あの、はい」
そんな声に男は泣く泣くシートベルトを着用した。
何を間違ったのか、何かがおかしい。 全てが壊れていく。
最高の日だった筈なのに、それがボロボロと崩れていった。
そんな男性の悲哀を掻き消す様に、彼の愛車は今まで立てた事無い様な唸りを上げて発進した。




