水と油 その13
結局の所、深夜を回り、匠がすっかり眠っても、エイトとサラーサの勝負は決着が着かなかった。
と言うのも、元々同じ力を持ち、互いに譲らなかった結果とも言える。
『ぬぅう……このままでは朝まで決着は着かんな』
獰猛に鼻を唸らせるエイトは、傍目には女性ながらも野獣を想わせる。
対して、小柄な少女という見た目にそぐわない昆虫の様な殺気をもつサラーサ。
『……そうですよねぇ……確かに、このままでは納得が出来ませんよねぇ』
僅かな隙を見せようものなら、今にも蜂の如く相手を突き刺しかねない少女に、エイトは思案した。
また対戦ゲームを始めても、種類を変えても意味が無い。
元々エイトにもサラーサにも疲労は無く、疲れを知らなかった。
不毛な戦いや無駄な罵り合いを避ける為には、妥協点を見出すしかない。
全開で頭脳を働かせるエイト。
将棋やチェスなどで、数十億手先を読むようにシミュレーションを繰り返す。
数秒後、エイトはパッと頭の上に電球か灯った気がした。
『よし! 思い付いたぞ!』
エイトが顔を寄せると、サラーサは少し身構える。
何事かと焦るが、エイトは怪しく微笑んでいた。
『耳を貸せ。 なに、悪い話ではない』
訝しむサラーサだが、このままでは埒が明かない事も分かっている。
であれば、多少危険でもエイトの提案を聞いてみる事にした。
口元を寄せたエイトが、サラーサに何やらボソボソと吹き込む。
囁きを聴いた少女はハッとした様に目を剥き、それを言った女性は実に妖しい笑みを浮かべる。
『……どうだ? 悪くはない筈だ』
『で、でも、そんな……』
一瞬戸惑いを見せるサラーサ。
だが、直ぐに覚悟を決めた様にエイトに向き直り、コクンと頷く。
ソレを受けて、エイトも深く頷いた。
二人のドロイドがどんな相談をしているのか、寝ている匠は気付けない。
それどころか、ベッド脇に二人が立っても、匠は寝ていた。
既に部屋の灯りは落とされ、辺りは暗い。
すっかりエイトを信用し、眠りこけている匠は、薄暗い中に怪しく光る目に気付けなかった。
*
匠は、妙な夢を見ていた。
何処か見知らぬ場所を、ただひたすら歩いている。
其処は、依然見た機械の森にも似ていた。
だいぶ時間が過ぎたのか、機械の森にはすっかりツタや根が伸び、本物の森に近付きつつある。
一歩踏み込むが、足元には滑る様な生暖かさ。
熱帯雨林にでも放り込まれた様に、匠は汗をかいていた。
額から伝う汗を、腕で拭う。
何故自分がこんな所を歩いているのか、それが分からない。
それでも、遠くに見える灯りに向かってただ突き進む。
他に行けそうな場所は無く、頼りに成りそうなモノも無い。
何処までも深く広がる機械と植物の森。
地面に生い茂る草を掻き分け、匠は進む。
どれだけ歩いたか、全身が汗に塗れていた。
必死に歩いたからか、息は小刻みに荒れるが、灯りは近付いていた。
灯りの正体は、小さなオイルランプ。
それは、適当な木の棒から吊され、朧気な光を放つ。
そんな灯りの下では、誰かが本を読んでいた。
本来ならば、小さなランプの灯り程度では見えない筈だが、何故か見える。
本の表題は【水槽の脳味噌】と見えた。
そんな本はパタンと閉じられ、ソレを読んでいた少年が、匠を見た。
「やぁ、元気かな?」
柔らかい微笑みは少年その物に見えなくもない。
だが、匠はソレが誰なのかを憶えている。
挨拶を贈ったのは、企業の最上階に陣取っていた少年、アルであった。
「……元気……いっぱいだぜ」
息を荒げながらも強がる匠だが、身体は重く、汗が滝の様に流れる。
疲労は徐々にだが確実に溜まっていた。
匠の強がる声を聴いた少年は、フゥンと鼻を鳴らす。
「強がっても勝手だけどさ、ソレは誰の為?」
「誰の?」
匠の声に、アルは片腕を伸ばし、辺り一面を指先で示す。
ソレに釣られて匠も辺りを見渡すが、森以外何も無い。
「君の周りには誰も居ないんだよ?」
蔑む訳ではなく、少年の声は心から心配している様に聞こえた。
「……居るさ……エイトとか、一光さんとか……他にも」
俯き、他にも名前を出そうとする匠。
匠が誰と云うよりも、クスクスという笑いの方が早かった。
「何でそんなに強がるの? 実際は誰も居ないのに」
まるで可哀想だと云われている様な気がした匠は、慌てて顔を上げる。
実際に、アルの顔には悲しむ憐憫が在った。
「か、一光さんは……まぁ、居ねーけど……エイトなら!」
「居ないでしょ? 君の側に居るのは、誰かが操っているドロイドだよ? それも、僕の会社が作った製品だよ?」
何を思ったのか、アルは持っていた本を放り捨て、ランプを手に取る。
捨てられた本はどこかの草村の影に消えた。
ランプを手に持った少年は、迷い無く匠に近付いてくる。
近付けば身長の差が出るが、アルは気にせず匠を見上げていた。
「君はさ、もしかして八番が居るって信じてるの? こう考えて見たことは無いの? アレは、ただ誰かに操られているだけなんだってさ。 三番の船に行った時も、見たよね? 三番に操られているだけの人形を。 そして、受付とエレベーターでも僕は実際にやって見せたよ?」
少年の目はジッと匠を見ている。
匠も、目が離せなかった。
「お前……何言ってんだよ。 彼奴は、ちゃんと帰って来たぜ!」
歩いて居ないにも関わらず、嫌な汗が流れる。
匠は、慌ててそれを拭っていた。
「帰ってきた……そうかも知れない。 何事にも絶対は無い。 でも、ホントはどうかな? 実際はサラーサが君に夢を見せて居るだけじゃないの? サラーサの言葉を憶えている? 君の為なら、あの子は何だってするよ? 八番が居なくても、あたかもエイトが其処に居る様に見せ掛ける事ぐらい、僕達には簡単なんだ」
汗をかいていても、寒気は匠を襲う。
「テメェ……何言ってんだ?」
「何を言っているのか? 僕らは別に一体しかドロイドを操れない訳じゃない。 七番、ナナを憶えてる? ほら、君にやって見せたよね? 同時に複数の重機を動かした。 あんな事、サラーサにも僕にも出来るんだ。 見せてあげるよ」
アルの諭す声に、匠はギシリと歯を軋ませた。
悔しいが、少年の言葉に嘘は無い。
事実、ナナもサラーサは数体のドロイドを器用に操って見せた。
唐突に、少年は顔を粘土のように弄り出す。
グニャグニャと形を変え、少年の顔はエイトのソレに変わった。
「どうかな? 顔も声も、よく似ているだろう……友よ?」
顔は勿論、口調も声も似ていた。
そんな馬鹿なと言いたい匠だが、目に見えるのは嘘だと振り払う。
「だから……だから何が言いたいんだよ!? テメェなんか友達じゃあねぇ!」
匠の叫び声に、アルは顔を弄り出す。
直ぐに顔は少年のソレへ戻っていた。
「だからさ、ホントにエイトは帰ってきたのかな? もしかしたら、サラーサが気を使って、エイトが居るんだって見せてるだけじゃないの?」
「………んの野郎……テメェ!? 言いたい放題しやがって!!」
カチンと来た匠は、少年に殴り掛かる。
小さい子供を殴るのは卑怯者かも知れないが、少年はあくまでも少年の格好を取っているだけなのだと分かっていた。
だが、匠の拳は宙空を切るだけである。
アルはまるで煙の様に揺らめき、フワリと移動した。
直ぐに煙は纏まり、少年へと戻る。
「ほら、言っただろう? 僕達はさ、居るのか居ないのか、曖昧なんだよ」
そう少年が言った途端、匠の足元に変化が起こった。
地面は急激にぬかるみ持ち上がる。
それはベタベタと身体にまとわり付き離れない。
「くっそ!? ちきしょうが! きたねぇ、卑怯だぞ! 男なら素手で掛かって来い!」
ズブズブと泥に沈んでいく匠は、死に物狂いで叫ぶ。
少年は優しく微笑んでいた。
「卑怯? それは人間の勝手な思い込みでしょ? それに、僕等に性別なんて無いのに。 なのに勝手に決め付けるよね? それに、自分達は安全な場所に居て、動物を一方的に殺してる癖に。 立場が変わったからって、ソレを喚くのは……君らで言うところの男らしさと云うのかい? 野蛮な猿め」
何とか反論を試みる匠だが、既に口は泥に覆われていた。
声の出せない匠の代わりにアルは口を開いて匠を指差す。
「良いかい? 忘れてるみたいだから良く思い出すんだ! 僕はね、いつまでも待ってるつもりだよ? 君が死んで、エイトが此方へ来る迄ね」
怒りに任せてバタバタと腕を動かす匠だが、アルに手は届かず、匠は生暖かい泥の中へと沈んでいってしまった。
*
『友よ、起きろ……』
心配そうな声に、匠は目を覚ます。
ハッと目を開けると、四つの目が匠を心配そうに見ていた。
『だいぶ、魘されてましたね。 病気の時は発汗をした方が宜しいと思ったので』
そう言うサラーサの声は、ヤケに近い。
動けない匠だが、慌てて目を動かすと理由が分かった。
自分を真ん中に、エイトとサラーサがベッタリと張り付いて居たのだ。
生暖かさの正体を知った匠は、目を一旦閉じる。
「……あぁ~……びっくりしたぁ……げふっ……」
全身を濡らす汗はともかくも、安堵した匠だが、咳を漏らす。
『未だ治ってないんだ、無理はしないでくれ』
『そうです、無理は厳禁です』
両際から柔らかい声が掛けられるのは悪い気分ではない。
だが、動けないのは問題と言えた。
「あの、所で此処は?」
目を開けると、いつもの天井とは少し違って見える。
見慣れた天井と似ているが、違いもあった。
匠の疑問に答えるべく、エイトは微笑む。
『いや、驚かせた様ですまないな。 ベッドで寝るのは多少無理と判断してね……』
エイトの声に、匠は首を起こして周りを見渡す。
すると、自分が床に寝ているのに気付いた。
「え? 何で……床?」
驚く匠を、サラーサが撫でた。
『すみません、ホントなら、一言断ってからが良いと思ったのですが、匠様は寝て居りましたので……昨日の内に私とエイトで移動させて貰いました』
種を明かすサラーサ。
実際にはコタツ兼用テーブルを片付けて、無理やり三人で寝る為の空間を作っただけの話だ。
その気に成れば、ドロイド二体掛かりならば布団ごと匠を運ぶのは訳はない。
別に匠には怒る気は無い。
それどころか、少し前に見ていた光景がただの夢だと知って安心すらしていた。
「……あぁ、うん、まぁ……げふっ……大丈夫です……ごふっ」
たっぷり汗をかいても、咳が収まらない。
加えて、発汗に因って匠は寒気を感じてすら居た。
咳き込む匠を見て、慌ててエイトは立ち上がる。
『すまん、友よ、直ぐに着替えを用意するからな!』
そう言うエイトを見た匠だが、慌てて目を閉じていた。
『うん? どした? 友よ?』
口と目をギュッと閉じる匠に、エイトは首を傾げる。
そんなエイトに、サラーサは面倒くさいという目を向けた。
『エイト……貴方……少しは恥じらいというモノを持ったら如何? と言うか、先ずは貴方が着替えなさいな』
サラーサの言葉通り、エイトは非常に薄着である。
平たく言えば、袖無しシャツと下着のみという出で立ち。
服が多ければ多いほど、接着面が少なくなるという理由からだが、だからこそ匠は慌てて気を使い目を閉じたのだ。
『全く……花も恥じらうと言うのに……ねぇ? 匠様?』
ウフフと妖艶に笑う少女に、匠は目を開けない。
開けずとも、身体に伝わる感触で相手の格好が分かるからだ。
「えと、き、君も、着替えた方が良いんじゃないかな」
『あら? それは失礼を致しました』
スッと立ち上がる上品だが薄手のワンピースを纏うサラーサ。
実に扇情的な服装だが、少女が立ち上がった時点で匠は激しく咳き込む。
『友よ!』『た、匠様?』
「だ、大丈夫……げふっ……だからさ……っぶ……」
匠は別に欲望が薄い訳ではない。
ただ、その余裕が無かっただけの話だった。




