お悩み相談 その4
画面上で厳めしい顔をするエイトを見ていたからか、匠は、ウンと鼻を鳴らした。
「なんだよエイト。 そんな怖い顔してさ? お前と俺で捕まえるんじゃないのか?」
『……だからだよ』
「んぁ?」
何がなにやらといった匠に、エイトはスッと顔を匠へと向ける。
画面上に目が在ろうとも、それは目とは言い難いが、エイトの目は、匠をしっかりと見ている様であった。
実質的には車内の防犯カメラを通して見ては居る。
つまり、顔の向きと視線の位置、それらを統合するだけの計算力が在ることをエイトは示す。
とは言え、見られている匠はと言えば、真剣なエイトの顔に見入った。
真剣そのものではあるが、いつもの歪な丸よりも今の方が好みと言える。
主が何を考えているかはともかくも、画面の中のエイトは口を開いた。
『友よ。 恐らく向こうにも、私と同じか……同格のモノが居るらしい』
「あ? お前みたいなスンゲーのが居るってのかよ?」
匠の主観的にも、エイトが【凄い】と言うことは分かる。
上手く扱いさえすれば、世界すら牛耳る事も容易いのではないかと。
だが、根がそれほど悪でもない匠にも、気持ちは理解出来た。
目が眩む程の金銀財宝すら、手に入れる事も恐らくは夢ではない。
美女を侍らせ、最高の料理や酒を鱈腹喰らう。
一瞬はそれを想像し、思わずニヤリと笑う匠だが、それをエイトは見ていた。
『友よ。 何か邪な事を企んでは居ないかい?』
窘めるエイトの声に、匠は慌てて口を袖で拭う。
「え? いや、ぜーんぜん」
実際には色々と企み始めていた匠ではあるが、慌てて邪念を打ち消していた。
よくよく考えれば、自分だけが得をするという事の結果は分かる。
図らずとも、一光にも迷惑が掛かるのは明白で在ろう。
そして、匠は、一光や友達が困ったり泣いたりする姿を見たいとは思わない。
「んなことより! サッサと悪党退治に行こうぜ!」
元来の気質故か、胸に固まった【大切な気持ち】の為なのか、匠は、義憤を募らせる。
それを聞いてか、エイトは柔らかく微笑む。
『うん。 ソレで良いんだ……友よ』
造られた筈の笑顔は、画面越しでも吸い込まれそうな魅力が在る。
匠は、思わずエイトに見入った。
*
匠があんな事やこんな事を考えている内に、タクシーはゆったりと目的のビルの前へと辿り着く。
さっそくとばかりに、タクシーと携帯端末の接続を外した匠は、車外へと降り立った。
見上げる程の豪華なマンションに、匠はホゥと息を吐く。
「なんつーかさ、スンゲーよな? 住む所が違うって言うか……」
『そうか? 別に私はあのアパートでも良いと想うんだが』
「いやー、出来れば俺だってさぁ……」
エイトからすれば、ビルが高い部屋が広いという事に頓着は無い。
カメラを通して見る分には、建物が如何に豪華でも差が在るとも思えなかった。
「所でさ、こういう高級なとこって……簡単に入れないだろ?」
『いや、入れるさ。 まぁ見てろ』
エイトの声に導かれ、匠はマンションの入り口に立った。
すると、豪華な出入り口に設置されたカメラが匠を捉える。
『御用の方は、住人に入室の許可を取ってください』
エイトに比べると実に事務的な音声に、匠は目を窄める。
防犯の為なのだろうと察しを付けるが、匠には其処に住んでいる知人は居ない。
「おいおい、どうすんだよ?」
『安心してくれ友よ。 どうやら此処の防犯設備は古風なモノらしい。 何、直ぐに開けるよ』
エイトの声と共に、小さな変化が起こった。
匠の姿を捉えていた筈のカメラが、グリグリとのた打つ様に動き、直ぐにガクリと力を失った様に垂れる。
ポーンという音と共に、堅牢な筈の入り口はそれをあっさりと開けていた。
『な? 簡単だろう?』
「なってお前よぉ……これ、無断侵入って言うんじゃねぇの?」
当たり前だが、匠の声に間違いは無い。
細かい理屈抜きにせよ、エイトが無断で何かを操作した事は分かる。
如何に自分を含めた人々の金を取り戻す為とはいえ、匠は無法の行為という事に憚りを感じていた。
『友よ。 君の気持ちは分かるが、事を為すに当たり、多少の事は目を瞑るべきではないか?』
エイトの声に、匠はウゥンと鼻を鳴らした。
考えてみれば在る意味は当然の事の様に思える。
スピード違反の車を追うのに、法廷速度を厳守していては追い付けない。
相手が凶器を持っているからと言って、素手で組み伏せるのは難しい。
相手と対峙するには、多少の覚悟が要る。
「オッケー……腹ぁ括ったぜ」
決意を決めた匠に、エイトは軽く微笑む。
『何度も言うがな、案ずるな友よ。 私が付いている』
甲高くも頼もしい声に、匠は、マンションへと足を踏み入れていた。
*
如何に堅牢なマンションといえども、入ってしまえばそうでもなかった。
想像していた自動銃座は無く、地雷や機械の番兵の姿も無い。
それ故に、匠は悠々と足を進めるが、見慣れない景色に目を見張る。
「はぁ~……金ってのはさぁ、在るところには在るんだねぇ」
豪華な内装に、匠は思わず溜め息を漏らす。
よく磨かれた床は大理石らしく、壁の木目も美しい。
そして、天井も細工が施されていた。
『こんなモノが良いのかね?』
美点という事に頓着が無いエイトからすれば、豪華なロビーには興味がない。
ソレよりも、他の事を案じていた。
『いつまでも此処には居られないぞ? 君の言った通り、私達は不法侵入だからね』
「おいおい、おっかねー事言うなよ?」
慌てる匠を導く様に、携帯端末に映るエイトはソッと顎をしゃくった。
『悪党を捕まえに来たのに、自分が捕まるのはゴメンだろう? さ、行こう』
「あぁ、とっちめてやるぜ」
相棒とも言えるエイトの声に、匠は内心ウキウキとしていた。
ずっと昔、まだ親の手を焼いていた匠にも夢が在った。
漫画やアニメで見た正義の味方。
世の為人の為に立ち上がり、悪党を退治する姿。
だが、成長するに当たり、それは夢でしかないと匠は悟った。
化け物や怪人など、この世には居ない。
戦うべき相手が居なければ、正義の味方など意味が無い。
何ものにも成れず、ただこのままいつか死に逝く。
そんな日々に嫌気が指していた匠からすれば、今の状況は正直楽しかった。
無人のロビーを進み、エレベーター前へと辿り着く。
至る所まで丁重に鍍金が施されたそれは美しくもあるが、それを見た匠は、まるで自分が魔王の居る城へと忍び込んで居る気分であった。
「さぁてと? エイト、その野郎は何階に居やがるんだ?」
エレベーターの呼び出しを押す匠の質問に、エイトの目はグイッと上を向く。
『最上階だが……まだ向こうは此方に気付いては居ない様だ』
「よっしゃ、行くぜ相棒」
匠の声に合わせて、エレベーターが迎えを寄越す。
「……鬼が出るか、蛇が出るかってな」
早速とばかりにカゴへと入るが、やはり広い。
エイトの導きに従い、匠は最上階のボタンを迷うことなく押す。
戸は閉まり、匠とエイトを乗せたカゴがゆったりと上がり始めた。
*
最上階までは案外時間が掛かるものだと考えていた匠だが、在ることに気付く。
如何に高いマンションとは言え、そうそう何分も掛かるものではない。
にもかかわらず、一向に到着しない事に首を傾げる。
「おい……幾ら何でも遅くねぇか? 見た目と違ってポンコツかよ?」
気楽な匠だが、画面の中のエイトは違う。
窄めて居た目を、カッと開いた。
『……不味いな』
「あん? 何が?」
『友よ』
「お?」
『何かに掴まってくれ』
僅かな会話の後、匠は、体がフワリと浮かんだ気がした。
実際には匠が浮いたのではなく、エレベーターのカゴがいきなり降下を始めたからだが、それは著しく速く落ちるという方が正しかった。
「ななななな……なんだよいきなり!?」
急に身体を襲った浮遊感に戸惑う匠だが、エイトが映る携帯端末は放さない。
その匠に応えるべく、エイトの目がギュッと窄まる。
匠を襲っていた浮遊感は止まり、エレベーターのカゴは停止していた。
急激な安堵から、匠はへたりと座り込む。
「あーびっくりした……なんだよ? 事故かぁ?」
しきりに辺りを窺う匠と、顔をしかめるエイト。
『違うな……近付き過ぎたか、向こうも此方に気付いたらしい』
「気付いたってお前……」
『友よ、繰り返しになるが、恐らく向こうも私と同じ様なのが居る様だ』
エイトの真摯な声に、匠は、ふと在ることに気付く。
以前、エイトは自分を【八番】だと語った。
つまりそれは、同じ様なモノが複数存在する事を示しても居た。
「おいおいおい、てこたぁ……」
訝しむ匠の耳に、ザリザリと雑音が聞こえた。
『あーあー、もしもーし! 聞こえてるかなぁ?』
誰とも思い付かない人を舐めた様な声に、匠は、ムッと顔をしかめる。
『よう? お前さ……フホーシンニューって分かってやってるよな?』
「誰だテメェは!?」
余裕綽々な声に、匠は思わず天井を睨む。
其処には、小さな監視カメラが在った。
『誰だ? ソイツはコッチの台詞だぜ? お前、何勝手にマンションに入って来てんだよ? あ?』
脅す様な口振りだが、エイトの存在と気が高ぶる匠は怯まない。
「やかましい! だいたいテメェが人様の金盗んだからだろうが!」
匠の怒声の後、僅かな間が空いた。
『……あ?何のことだよ?』
「何とぼけていやがる? わざわざエレベーターまで弄くって見せたのは。 俺にそっちに行かれると困るからだろうが?」
『………コノヤロウ』
「ほほう? 悪党が尻尾出しやがったぜ! オイコラ! 今すぐそっち行くからな! 待ってやがれ!」
一切の妥協無しに匠は凄む。
自分は脅しなど屈しないという態度を示すと、舌打ちと共に雑音は止んだ。
エレベーターの降下も止まっていることから、匠はホゥと息を吐きつつ、胸を撫で下ろす。
『……うむ。 だいぶ厄介な事に成りそうだが……どうする?』
急な質問に、匠は画面上のエイトと向き合った。
「どうするってお前……なんだ急に」
『コレは……私の問題かもしれないからな。 君を危険には晒したくない』
いつものおふざけとは違う真剣なエイトの声。
それを聞いた匠は、ニヤリと笑う。
行くか退くかしかないのならば、匠は前に行きたかった。
「今更だぜ……彼奴をとっ捕まえるさ。 なんとかしてくれるよな? エイト」
匠の真面目な返事に、エイトの瞳が僅かに輝く。
それは、ただの映像だとしても美しく在った。
『勿論だ、友よ! さ、行こう』
力強いエイトの声に合わせて、下がっていた筈のエレベーターが登り始めていた。