水と油 その10
追いかけっこと呼べるほど、エイトはサラーサを追う必要が無かった。
何故なら、目的の少女はアパートから百メートルほど離れた所で、トコトコと道を優雅に歩いており、それ以上走る様子は無い。
事実、エイトに追い付かれても少女は慌てなかった。
『おい、逃げないのか?』
モノ試しと聞いてみるエイト。
問われた少女はチラリと隣を歩く女性を窺う。
傍目には同じ様に美麗な女性だが、服装はそうでもない。
サラーサはエイトの足元から頭の天辺までを見ると、フゥと息を吐いた。
『……服は、まぁ後で見繕うとして……エイト、お気をつけなさいな』
『うん? 気をつけろとは?』
自分を案じる声を、エイトは訝しむが、少女の目には心配をする色が在った。
『貴方………外を歩いた事がお在り?』
サラーサの声を吟味するエイトだが、直ぐに鼻をフフンを鳴らした。
『んっふっふ……悪いな姉妹よ、自慢ではないが友にはよくお出掛けに連れて行って貰えるのだよ』
自信たっぷりに胸を反らすエイト。
どうだと言わんばかりの女性に、少女は目を細めた。
『……ソレについては、素直に羨ましいと思います。 ですが、私が言いたいのはそう言うことではなく、独りで出掛けた事は在るのか……という事です』
てっきり歯をギリギリ言わせて悔しがるかと思ったサラーサだが、その声は落ち着いている。
だからこそ、エイトの自信も煙が抜ける様に窄まっていた。
『……在る……と言えば在る』
エイトの主観に置いて、匠の側を離れた時期がそれに当たる。
沈思黙考したかったと言えばそうだが、実際は顔を合わせて居なかっただけだ。
俯くエイトを見て、少女はフゥと息を吐く仕草を見せる。
『なら、コレもまた経験と成りましょう』
先程までの暗さは何処かへ振り払い、少女は笑った。
*
傍目には姉妹に見えなくもないエイトとサラーサ。
姉と妹が買い物か何かに出掛けて居る様に見えなくもない。
そんな二人は、程なく近所のスーパーマーケットへ着いていた。
『いらっしゃいませ~』
サラーサとエイトが自動ドアを潜ると、挨拶が流れた。
昼日中でも、それなりに客は見える。
ただ、エイトとサラーサはかなり浮いていた。
行動が奇っ怪という事もないが、見た目が違う。
だが、それも当たり前と言えば当たり前であった。
美しくデザインされているのだからこそ、平均値と比べてもかなり目立つ。
以前ならば、周りなど見ていなかったエイトも、周りの目は気付いていた。
『なんか……私、変かな』
ジロジロ見られるという事には慣れていないエイトの声に、サラーサはプラスチックのカゴを手に取りなが頷く。
『忌憚の無い言い方をさせて貰えれば、悪目立ちしますね。 その衣服、匠様のモノでしょう?』
少女に指摘され、エイトは慌てて自分の衣服を摘まむ。
まず間違いなくエイトが着ているのは匠の私服であった。
『……うん……まぁ』
困った様な女性に、サラーサはまたもやフゥと息を吐く。
その様は、世間知らずの姉を憂う妹の様だ。
『エイト……最近は無理に店に赴かずとも通販です買えます。 貴方もそれなりにお金は御座いましょう? 買った方が宜しいですよ? お姉様』
お嬢様な妹を演じるサラーサ。
それを見て、エイトは拳をギュッと握っていた。
周りの目さえ無ければ、この場で捕まえてこめかみ辺りをグリグリと圧してやりたい。
しかしながら、人の目も在る事から、エイトは自分に我慢を課した。
唇の端をピクピクさせるエイトを見て、少女は犬でも呼ぶ様に手を軽く振る。
『ほら、そんな所でピクピクしてないでくださいね』
慣れたモノだと余裕を崩さないサラーサに、エイトは渋々と後に続いた。
*
暫くの間、エイトは少女の後に続く事で色々と学ぶ。
電子の買い物でも、商品が並ぶという光景は見えるが、それらはあたかもカタログを眺めているのと相違ない。
実際の生鮮食料品が並んでいる様は、なかなかに壮観と言える。
『お前は……こういう所はよく来るのか?』
エイトの質問に、品を吟味する少女は少し頷く。
『ええ、まぁ……橋本様の所に居た時には、暇でしたからね。 今考えれば良い予行演習と言えるでしょう』
手早く吟味しては、必要なモノを見定めてカゴに放り込む。
テキパキとした少女に負けじと、エイトは頭を働かせた。
身近に端末等が無くとも、エイトは独力でインターネットを使用する事は出来る。
近場のルーターなどに潜り込む様なやり方だが、この際手段を選んではいなかった。
風邪とは何なのかを検索し、対策を練る。
そんなエイトは、ふと自分を見上げる少女の目に気付いた。
『なんだ?』
『エイト、一つ忠告してあげましょうか?』
サラーサは言葉と共に、片手を上げて人差し指を立てていた。
『余り外部の記録に頼らない方が良いですよ?』
言われたエイトは、小首を傾げる。
『何故だ? 在るものは使った方が楽だろう?』
そんな言葉を受けて、少女は立てていた指を横へ揺らす。
メトロノームの様でもあるが、別にリズムを取っている訳ではない。
『確かに、それが楽なのは認めますよ? でも、私達は考える事が出来ます。 にもかかわらず、それをせずに調べる、聞くばかりしていると、自分では何も出来なく成ってしまうでしょうね』
サラーサの声は辛辣とも言えなくもない。
だが、エイト身につまされて居た。
匠が怪我をした時、倒れた時、風邪に苦しんでいた時。
どれも何も出来なかった。
急な事態に対応が出来ず、ただ動けない。
唇を強く閉じ、目を伏せるエイトは、酷く寂しげに見えた。
そんな手をサラーサはソッと引く。
『まぁまぁ、過去は過去、今は今でしょう? さ、早く買い物済ませて帰りましょう? お姉様』
『なんか、そのお姉様と言うのは違和感が強い』
実際の姉妹ではない以上、エイトは違和感を訴えるが、少女は気にしなかった。
『それはそれは……ですが、今は我慢してくださいな』
そう言うと、サラーサはエイトの手を引く。
『……むむ……むぅ』
渋々といった女性だが、少女に逆らいはしなかった。
買い物だけに関して言えば、サラーサはエイトの上と言える。
何を買ったら良いのか迷うエイトとは違い、その目は的確に必要なモノを揃え様と動く。
残るは、会計を済ますだけであった。
レジは二通り、昔ながらの人が打つタイプのモノと、半自動のレジ。
どちらに並ぶのかと言えば、サラーサは何故か昔ながらのレジへと並んでいた。
この点に付いてはエイトには不可解と言える。
一々他人に任せず、自分達でやった方が正確かつ早いのではないかと。
そう思うエイトは、腰を折ってサラーサの耳に口を寄せる。
『ぉい………何故此方だ? あっちの方が早そうだが』
わざわざ他の客に混じって並ばずとも、半自動レジなら並ばなくともよい。
エイトの囁き声に、サラーサフフンと笑った。
『何を仰いますお姉様。 お買い物に来てるんですよね?』
『………まぁ、な』
『だったら、少しぐらい人の真似をさせてくださいよ』
少女の声に、エイトは身を見開いていた。
サラーサの言ったことは理解出来る。
自分と少女は、あくまでも人に似ているだけでしかない。
敢えて率直に裏を明かせば、人の紛い物である事は明白であった。
「いらっしゃいませぇ……」
余りやる気の無さそうな店員が品をレジに通し始める。
一つ一つが通される度に、ピッピッと電子音が鳴るが、その際、サラーサはエイトの腰をポンと叩いた。
『はい、お姉様。 お願いね?』
『え? あ、はい』
会計を任されるエイトは、慌ててポケットから財布を取り出す。
使い込まれたソレは、思わず持参した匠の財布であった。
正直なところ、勝手に財布の中身を使うのは心苦しいエイト。
それでも、買い物をした以上払わない訳にも行かない。
「え~……三千六百五十二円で~す」
そんな声に、エイトは『はい』と支払う。
その素早さは店員が一瞬目を疑う程であった。
悠々とカゴを持つエイトだが、隣を行くサラーサの目は細い。
『なかなかどうして……案外出来ますね?』
『むふふ……まぁね。 計算に関しては完璧だろう?』
自信満々なエイトを、サラーサはフッと鼻で笑う。
『後はまぁ、独りでお買い物が出来る様に成ってくださいね?』
少女の軽い嫌みに、エイトの顔は怖かった。
口は笑っているが、目蓋は震えて目は開かれている。
そんな怖い顔を見ても、サラーサの余裕は崩れなかった。
*
買い物も終え、後は帰るだけのエイトとサラーサ。
さぁ帰ろうとしたが、見知らぬ男性が立っていた。
『すみません』
軽く挨拶を入れて横に退くエイト。
道を譲れと言うつもりは無く、余計な事をして帰りが遅く成るのは嫌だった。
だが、避けた筈なのに、男性はスッと動いてエイトの前に立つ。
「あの、もし良ければ乗せて行きましょうか?」
そう言う男性の顔は、親切心から来るモノでは無く、獲物を物色するソレである。
サラーサはまたかと言った顔をしていたが、エイトは違う。
まるで能面の様に冷たい顔を見せていた。




