水と油 その8
帰り道の中、途中何度か休憩をした匠と田上。
だが、匠の体調は良くならなかった。
喉が乾いただけだろうと、飲み物を飲んでみても、咳が出てしまう。
最後の休憩の後など、匠はすっかり体調を崩していた。
「すんません……暖房入れて良いですかね……っ…」
咳き込む匠に、田上は心配そうにしながらも車のスイッチの幾つかを弄った。
運転はともかくも、機械の操作をエイトは出来ない。
「今入れたよ。 ってか、お前ホントに大丈夫か?」
「……はぃ……大丈夫っげふ………」
大丈夫とは言うものの、咳き込んでしまう匠。
そんな相棒を、エイトは心配そうに見ていた。
病気というモノに関する知識は在る。
だが、エイトは体感的にそれを理解する事が出来ない。
調べ様にも、今の所には乗員の体調を調べる機能は付いて居なかった。
『友よ、大丈夫なのか?』
田上に続き、エイトも心配そうな声を掛ける。
本来ならば今すぐ自分で何とかしたいエイトだが、今のところ手足が無く、文字通り手の出しようが無かった。
「大丈夫大丈夫だって……帰ったら、薬飲んで寝ますよ」
「おいおい……医者行った方が良いんじゃねぇか? なんだったら、このまま先にどっか適当な所へ行って貰おうぜ」
そう言うと、田上は車の画面に映るエイトを見た。
「なぁ、先に医者やってくれ。 コイツの事だ、面倒くさがりだから下手すりゃ後で良いって言い出して行かねーだろうからな」
田上の声に、エイトはチラリと匠を窺うが、事実として匠は目を泳がせていた。
ソレを見て、エイトは目を細める。
『了解した。 先に病院へ行こう』
「えぇ~……マジかよぉ」
エイトの声を聞くなり、匠は露骨に嫌がる。
どうやら、ホントに医者に行く気が無かった事が窺えた。
ソレを聞いたからか、画面上の少女はビシッと匠を指さす。
『えぇ~ではない! ちゃんと連れて行ってやるから行くんだ!』
怒声に近いエイトの声に、匠は「はぁーい」と返事をした。
*
バンは病院へ辿り着いた。
早速とばかりに匠はドアに手を掛けるが、ソレを見て田上は口を開く。
「お? 付き添いに言ってやろうかぁ?」
一応は後輩の体調を気に掛ける田上だが、言われた匠は良い顔をしない。
「結構……げふ……ですよ。 それくらい一人で出来ますよ……っごふ」
相も変わらず咳き込みながらも、匠はバンから出て行った。
車内に残った田上は、ソッと暖房を止める。
寒がる匠と違い、寧ろ田上には暑かった。
「ふぃー……参ったな……ではと、エイトさんよ?」
田上の声に、車内の画面が灯る。
匠がエイトをスマートフォンに呼び忘れたせいで、置いてきぼりを食らっていた。
『何か?』
匠に向けられるソレと比べると、エイトの声は些か硬い。
ただ、それは匠を案じての事だと田上は好意的に聞いていた。
「まぁまぁまぁ、風邪ぐらいじゃ人間死なないって。 そんな事よりも、あいつ……家に帰ったら一人だろ?」
画面の中の少女は顔を横へ振った。
『いいや、匠は独りじゃない。 私が居る』
そう言う少女の顔は、真摯なモノに見えた。
画面越しではあるがエイトの意志は田上に垣間見える。
ならばと、田上は顎を引いてエイトと目を合わせた。
「でもさ、病人の世話とか……」
『私がする』
確固たる意志を見せるエイトに、田上は微笑む。
田上の笑みを見て、エイトは少し眉を寄せる。
『何か……変かな?』
如何にも困った少女といったエイトを田上も困らせるつもりは無い。
「いや、前にも教えたっけ? あんたが入ったってパソコン。 俺が組んだ訳だけどさ。 もし……」
そう言うと、田上は一旦言葉を止める。
もし、たら、れば、そんな話は意味が無いと田上は思う。
まかり間違えば、エイトは田上の側に居たかも知れない。
だが、結果としてエイトは匠の側にいた。
『……もし?』
「それは忘れてくれ。 とにかく、じゃあ頼んで大丈夫なんだな?」
田上そう問いかけると、画面上の少女は胸をポンと叩く。
『勿論だよ』
「こりゃ頼もしいや」
エイトは、匠以外の友人という関係を始めて持てた気がしていた。
*
匠が医者に行ってから数十分後、バンに匠が戻って来た。
ただ、行った時とは違い匠はマスクをして紙袋を抱えている。
「……うぅ……げふ……すんません………えふっ…お待たせしました」
咳き込みながらも、詫びる匠に、田上はウーと鼻を鳴らす。
「でと? お医者さんはなんて言ってた?」
田上の質問に、エイトも心配そうに目を向け、匠は少し唸る。
「……うー……風邪気味みたいですねぇ……薬出しときますから……とか」
そんな匠の声は、扁桃腺が腫れているのか少し重い。
とは言っても、風邪と聞いて田上は肩の力を抜いていた。
「良かったじゃあねぇか。 風邪ぐらいなら寝てりゃ治る。 とりあえず有給って事にするからよ。 二、三ち休めって」
「……げふっ……すんません」
咳き込みながらも詫びる匠に、エイト顔には安堵は見えない。
『ともかくも車を出すぞ? 田上殿、すまないが、友の自宅に車を寄させて貰う』
一方的な言い方ではあるが、エイトの声に田上は頷く。
「あいあい、それで大丈夫さ」
そんな声に合わせて、バンは静かに発車していた。
*
数十分後、バンは匠のアパート近くまでたどり着いた。
途中、相も変わらず咳き込む匠の様子を、エイトは心配そうに見る。
そんな二人を見て、田上は微笑ましいとも感じた。
田上からすれば、エイトは画面上の存在に過ぎない。
にもかかわらず、生身の人間以上に匠を案じる。
まるで、親が風邪を患ってしまい心配する子供を思わせた。
『……友よ、着いたぞ?』
エイトの声に、匠は閉じていた目をうっすら開く。
「ああ、わかった……げふっ……それじゃ……田上さん……お疲れ様です」
苦しげな匠の声に、田上はウンと頷く。
「分かった分かった、早く寝ちまえよ」
先輩の心配そうな声を聞きながらも、匠は今度は忘れずにスマートフォンを車の画面に近付ける。
車の画面から少女は消え失せ、パッとスマートフォンが代わりに灯った。
『では、田上殿。 何か在れば、また』
「おーう、お疲れ様」
エイトの挨拶に合わせて、匠はバンを降りていく。
少女が居なくなると、画面には通常のナビゲーションが映っていた。
アパートへフラフラ歩く匠を見ながらも、田上はコソッとナビを操作してみる。
だが、エイトが居ないソレは、あくまでも普通の状態でしかない。
ポンポンと画面を叩いて操作しても、特に何も無かった。
ソレが、田上は興味深いと鼻を唸らせる。
幾ら知り合いに成ったとは言え、田上に取ってはエイトとは未知の存在に違いない。
「こりゃあ、やっぱすげーよなぁ」
感嘆先輩の声を出しながら、田上は帰宅の為に極普通に戻ったバンに目的地を入れていた。
*
遠ざかる田上電気店のバン。
その車内からは田上が手を振っており、匠も軽く頭を下げる。
先輩を見送った匠だが、それは精一杯と言えた。
診断こそ受け、薬も買った。 だが、体調は良くならない。
咳き込み出した時と比べると、体調は明らかに悪化している。
「……うぅ~……参ったなぁ」
体の重さに、匠は思わずそんな弱音を吐く。
すると、作業着のポケットから声が響いた。
『頑張ってくれ! 後少しだ!』
匠を鼓舞しつつも、エイトは内心焦った。
自宅の部屋にはエイトの身体とも言えるドロイドが充電中である。
その気になれば、今すぐ其方へ移り匠に肩を貸したい。
だが、心配だからこそ離れたくないという気持ちも在る。
どちらにしようか迷うエイト。
ノタノタと歩きながら部屋に向かう匠。
そんな匠とエイトが部屋の前まで来た時、隣の部屋のドアが開いた。
隣人のお出掛けかと匠は頭を下げようと其方を向く。
だが、開いたドアから顔を覗かせたのは意外な人物であった。
『あ、どーも』
ぺこりと頭を下げる少女は、何故かインスタント蕎麦の箱を抱えている。
箱の中身はともかくも、匠にはその顔に見覚えがあった。
「あれ? 確か……」
『お忘れですか?』
寂しそうな顔と共に、酷く悲しげな声。
ソレを聞いて、匠は熱に負けず記憶を呼び起こす。
「……サラー…サ?」
当てずっぽうに近いが、何とか絞り出した匠の声。
それを聞いた少女は、先ほどの暗さをパッと跳ね退けた。
『はい! 長らく、橋本様の所に厄介に成っていたのですが……このまま居着いてもご迷惑でしょうし、それに、匠様……なかなか呼んで頂けないので』
そう言うと、少女は箱を差し出す。
『私の方から来ちゃいました!』
そう言うサラーサは、何とも言えない柔らかい笑みを称えていた。




