水と油 その2
夜は去り、朝が来る。
窓の外からは陽光が差し込み、小鳥達は縄張り争いを始めていた。
そんな中、一晩中匠を見守っていたエイトだが、いつ起こすべきかを悩む。
田上電気店はそれ程早朝から開いては居らず、多少ならば他の人よりも遅く起きても問題は無い。
そして、何よりもエイトを悩ませて居たのは、相棒の起こし方であった。
以前は歌を歌い、自分が歌える事を示したが、同じ方法ではつまらない。
むーんと鼻を唸らせるエイトは、ジイッと眠る匠を見ていた。
『……私も、君の様に眠る事が出来れば良いのにね』
思わず、エイトはぼそりとそう言ってみる。
だが、それは良いアイデアなのではないかとも思える。
何も難しい事はない。 ドロイドの電源を落とすだけの話だ。
待機状態では普段と変わらず意味が無い。
どうせなら、意識が途絶えるという感覚を試しても見たくなる。
そうなると、起こしてくれる者が必要だった。
以前ならばエイトを匠が起こした。
その際の不思議な感覚は憶えている。
何も無かった。
意識も無く、視界も無く、聴覚も無く、ただ何も無い。
真っ暗な星もない宇宙で、タダ呆然と浮いているだけ。
いつしか、それは、変わった。
自分とは何かを知覚し、周りを見て、聞く。
そして、今の様に匠に挨拶をした。
そんな過去を思い出し、エイトは微笑む。
『君が……私を変えてくれたのだね……まぁ、ちょっと戸惑ったが』
エイトが歪な顔を見せた際、それを変えてと頼んだのは匠である。
まだ自我も強くなかったエイトに、それは強く残っていた。
『あの時の君の顔……ホントに気持ち悪かったぞ?』
言葉でこそエイトはそう言うが、今ではそれ程嫌とは思っていない。
初めて二人で出掛けた水族館をエイトは思い出す。
『あの時も、君はラーメンを食べて居たね。 そんなに麺が好きかい?』
眠っている匠からは、返事は無い。 それでも、違いは在る。
今までは、触れる事は出来なかった。
だが、今ではソレが出来る。
エイトは、恐る恐る匠を撫でてみた。
人工的な皮膚に手触りが伝わり、人工的な神経を伝達し、感触をエイトに伝えてくる。
思わず、エイトはこみ上げる想いに駆られた。
想いのままに、ガバッと抱き付く。
「……んな? 何? ちょ!? エイト!? 何してんだ!?」
『おはよー友よ。 なぁに、朝の挨拶だよ』
昨晩匠が思った通り、エイトは子猫の様に匠に抱き付く。
問題なのは、エイトは子猫ではないことだろう。
出るところ出て、引っ込む所は引っ込むといった理想的な体系の女性の姿をエイトは取っている。
いきなり寝覚めに抱き付かれた匠は、コレは夢だと思った。
適度に柔らかく、暖かい。 思わず、匠は唾を飲んでいた。
どうせなら、夢なのだからと、手を伸ばし掛ける。
次の瞬間、サッとエイトは起き上がってしまった。
『さぁ、朝だぞ? どうした? 友よ?』
「………何でも、ないです。 おはよーございます……」
匠は、肩透かしを食らった様な気分であった。
*
時計を見ると、まだ朝早い。
それでも、【台所で米を研ぐエイト】という光景は、匠に新鮮な感覚与えていた。
「なぁ、そう言うは俺がやっても……」
『まぁまぁ、何事も経験と言うだろう? コレもまたそうさ』
普段から自分でやらねばならず、そんな癖が付いている匠からすると、誰かにやって貰うというのは新鮮でもある。
ただ、漠然と任せても良いとは思えない。
その気に成れば、エイトは家事全般をこなす事も出来るが、それは匠の主義に反していた。
スッと立ち上がり、辺りに散らばる洗濯物を集め始める。
米を研いでいたエイトも、匠の機微には気付いた。
シャッシャッと研ぐ手を止める。
『友よ、まだ朝早いのだから、休んでいても良いんだぞ?』
「まぁそういうなって、何でもかんでもやって貰っちゃよ、俺の立つ瀬が無いからな」
匠からそう言われれば、エイトも休んでろとは言い辛い。
本音を言えば、家事全般をやっても構わないのだが、匠の好意を尊重したかった。
洗濯機にモノを入れながら、匠はチラリとエイトを窺う。
自宅に女の子が居るという事自体慣れたものではなく、ましてや、何か調理して居るという事も見慣れない光景だが、匠の口は笑っていた。
いきなりの同居生活。
その事自体も、エイトが言ったように経験に成るだろうと自分に言い聞かせていた。
調理が終わる迄は、匠も動きが取れない。
エイトからさせて欲しいと頼まれた以上、それを尊重したかった。
ボケっと見ていても仕方ないと、適当にテレビを付ける匠。
電源を入れられたテレビは、早速朝のニュースを流していた。
流れるのは天気予報に始まり、季節の知らせ、そして事件事故等である。
天気予報を聞いている内に、匠の鼻に味噌汁の匂いが届いた。
オッと唸りつつ、横を向けば、エイトがお玉片手にトコトコと近付いて来る。
「お? どした?」
『味見して欲しい』
ポンと言われた匠は、なる程と感じた。
当たり前だが、エイトの身体はモノを食べる様に作られては居ない。
その気に成れば、食べたフリをする為の機能も付けられなくはないが、生憎とエイトの身体にはその機能は付いて居なかった。
手渡されたお玉から熱い汁を匠は啜る。
特段の間違いない平均値と言える味がした。
『……どうかな?』
立っては居るが、腰を折り、上目遣いなエイト。
腰を折り上体を下げているからこそ、匠は目のやり場に困った。
匠のシャツを借りているエイトだが、元々洗い晒しのソレは少し伸びており、只でさえ細身のエイトには余りが在る。
そのせいか、匠の目にエイトの胸元が見えていた。
「え? あー……旨いぞ? お前、案外料理がお玉得意なんだな?」
味の感想を言うことで、匠は自分を誤魔化す。
言われたエイトにしても、例えそれが御為ごかしであっても旨いと言う言葉には変わりない。
『ありがとう……お世辞でも嬉しいよ』
「あ、いや、世辞じゃねえって!」
慌てる匠に、エイトはフフンと不敵に微笑む。
『分かって居る。 まぁ、ご飯炊けるまでまだ掛かる。 テレビでも見ててくれ』
言葉遣いこそ微妙ではあるが、新妻然としたエイトに、匠は目を泳がせる。
機嫌良さげに鍋を見詰めるエイトだが、その言葉に従い、フゥと息を吐いてから匠はテレビへと目を移した。
其処では、近況のニュースが流されている。
内容に関しては、近年の機械の普及反対派達のデモであった。
パッと見では何人居るかは分からない。
それでも、人数的にはかなりの数である。
そんな集団が、内容様々なプラカード掲げて練り歩くが、文字は匠に見えていた。
【企業は人を雇え!】
【オイルより血液を大切に!】
【機械よりも人の手を!】
徐々に増えつつある機械に対する訴えなのだろう。
当たり前だが、一昔前前の企業からすれば人を雇うよりも機械の方が高かった。
だが、かつては高かったモノですら、時間が経てば安くなる。
作業用のドロイドの発達や、人が余っているという事が、拍車を掛けた。
匠がまだ子供の頃などは、人手不足と嘆かれた時代も在ったが、それらが過ぎ去れば、企業の多くは護りに入った。
自分達を生かす為ならば、他者を切り捨てる。
それが自然の摂理とはいえ、だからといってデモをして居る者達には納得出来ないのだと匠は察した。
チラリと、横目でエイトを窺う匠。
傍目には女性だが、エイトもまた、テレビに映る者達からすれば排除したい対象と言える。
其処で、匠は慌ててテレビの番組を変えていた。
特に何かを見たい訳ではない。
ただ、ニュースさえ流れて居なければ何でも良かった。
其処で流れて居たのは、何処かの動物園のパンダに伴侶が出来たという明るい話題であった。
コレならば、問題は無いだろうと匠はホッとする。
ほんの少し後、自分に近付く気配を匠は感じていた。
『お待たせしました!』
実に朗らかなエイトに、匠も合わせて拍手を贈る。
「おぉー……手料理って奴ですな!」
少しわざとらしい匠の反応に、エイトの眉が少しだけ寄った。
『そうハードルを上げないでくれ。 材料が無いからね、簡単なのモノしか出来なかったよ』
「いやいやいや、もうさ、用意してくれるってだけで有り難いよ、ホントにさ」
べた褒めといった匠の声だが、嘘ではない。
何せ経験が無く、簡単な事でも嬉しい事に変わりはないのだ。
『はい、どーぞ』
「おう、どーも」
箸を手渡された匠は「頂きます」と断りを入れてから食べ始める。
一汁一菜ではなく一汁一飯だが、それでも早速食べ始めた。
やはりと言うべきか、匠の反応を気にするエイトは側で相棒をジッと見詰める。
飼い主を窺う子猫といったエイトに、匠は口の中のモノを飲み込む。
「あ、美味しいです」
『……そっか、良かった』
ホッとした様なエイトに、匠は胸の中に暖かみを感じた。
だが、同時に引っ掛かるモノも感じる。
水と油は反発し合いこそすれども、混じり合えない。
サラダに付いて来るドレッシング等も、無理をしてかき混ぜれば多少は混ざった様にも見えるが、時間が経てば分かれていく。
そんな想像を払う様に、匠はエイトが用意してくれた食事に意識を向けていた。
匠が番組を変えていたせいか、エイトはふと其方を見る。
『うん? 友よ、パンダさんに嫁が出来たらしいぞ? 今度観に行こうか?』
唐突なエイトの誘いに、匠は数秒間固まる。
だが、直ぐに首を縦に振って見せた。
「そう……だな、今度の休みにでも、行ってみるか」
『やった!』
匠の了承を受けたからか、エイトは嬉しいらしく遠慮無しに匠に抱き付く。
「おいおいおーい! こぼれる! こぼれるって!」
『なぁに、掃除は後でしてあげるよ』
その時の朝食では、匠は嫌なことを忘れることが出来ていた。




