水と油
エイトが帰ってきた。
その事は、匠に取って有り難くも在るが、同時に困った問題を新たに呈する。
『友よ! 今日の晩御飯は私が作って見せるぞ!』
ビシッと指差し、そんな宣言を宣うエイト。
以前ならば、画面上の存在でしかなかった以上、言えたとしても実行は出来る筈もない。
だが、今のエイトは身体を得て、行う事が可能だ。
「あー、はい。 よ、よろしくお願いします」
何故か正座にて匠は答えた。
歩いている時も、感じた違和感は未だに拭えきれない。
其処にエイトが立っているという実感は、匠に嬉しさよりも強い戸惑いを与えていた。
『よしよし、ではと……ん?』
意気揚々と冷蔵庫を覗いたエイトは呻く。
中を具に確認し、パッと匠へ視線を向けた。
『なんだコレは? 殆ど何も無いではないか!?』
エイトの声に、匠はうーんと呻く。
当たり前だが以前の匠はあくまでも独りで生活していた。
無論、エイトという相棒は居ても、生活する上では一人分しか必要ではない。
専ら自炊専門とは言え、偶々買い物をして居らず、冷蔵庫の中身は殆ど空であった。
『むむ!? こ、コレではいかん……どうしたものか』
買い物に行くべきか、適当に用意しようかを思案するエイト。
いざ、実世界に出ると、不便さを感じていた。
ゲームや電子の世界ならば、好き勝手に出来る。
だが、今はソレが出来ない。
困る女性その物であるエイトを見守る匠も、困惑していた。
実のところ、匠は他人との生活をした事が無い。
勿論、家族や親戚とは在るが、それはまた別のモノとして匠は捉えていた。
普段自分以外誰も居ない筈の場所に、誰かが居る。
良く知っているとは言え、それは、あくまでも画面上のエイトという存在であった。
「えーと……エイト……さん?」
見慣れぬ女性をどう呼ぶべきか迷いつつ、とりあえずそう呼んでみる。
『ん? どうした? 友よ』
声こそ違えど、態度は慣れ親しんだエイトに相違ない。
であれば、匠も少しは安心出来る。
「今日はさ、何にも用意してねぇし、カップ麺とかでも良いんだぜ?」
匠からすれば、材料が無い以上無理だと思っている。
如何にエイトとは言え、何もない所からは何も出せはしない。
ただ、言われたエイトは、不満そうな顔を見せた。
『むぅ……せっかくなのだぞ? どうせなら、何かこう、パッとしたモノをだね』
「良いって良いって。 それはさ、後のお楽しみにしないか? とりあえず今日はさ、在るもので済ますって事……な?」
匠からそう言われては、エイトも渋々とやかんを手に取り水を汲む。
『全く……せっかくの機会なのだぞ? 何というか……』
見せ場を潰されたからか、エイトはぶつくさと文句を垂れながらもやかんをコンロに掛けた。
実のところ、それだけでも凄い事なのだが、エイトの不満は消えない。
「まぁまぁまぁ、そう言うなって、な? 明日はほら、一緒に買い物行けば良いだろ?」
『まぁ、君が其処まで言うのなら、まぁ、今日は……我慢する』
渋々、拗ねた様なエイトに、匠は機嫌の悪い子猫を想像した。
一生懸命に、飼い主に構って貰おうとする。
そんないじらしさを、匠は感じていた。
内心、まるで子供みたいだなとすら、匠は考えた。
実際にはそれは間違い無い。
達観して居る様に振る舞い、言葉も丁寧では在るが、エイトの実年齢は一歳にも満たないのだ。
それらをの事は脇に置き、匠は、やかんを注意深く監視するエイトを見守る。
何故だか、父親にでも成った様な気分を匠は感じていた。
湯が沸騰するまでの合間に、エイトは迷う様に種類の違うインスタントを手に取る。
『友よ、カレーとたぬきなら、どちらだ?』
「お?」
ふと、エイトの声に匠は目を凝らす。
両手に二種類のカップ麺を持ち、困った様に匠を窺うエイト。
「あー……カレー……かなぁ?」
私的に言えばどちらでも良いのだが、そう言っては益々エイトを困らせる結果に成りかねない。
其処で、匠はエイトの左手に在る銘柄を選んでいた。
『良し来た、いい子で待っていてくれ!』
「あいよー」
自信満々のエイトに対して、気軽な匠。
段々とだが、匠の新しいエイトな慣れ始めていた。
*
数分後、デンと匠の前に置かれるインスタント麺。
既に熱い湯は入れられ、食べるのを待つばかりである。
ただ、如何せん実に食べ辛い。
別に匠が猫舌や、カレー風味が苦手という訳ではない。
何故かと言えば、匠の隣ではそれに湯を注いだ張本人が鎮座して居る。
ジッと見詰められると言うのは、何とも言えない気分と言えた。
「あの、エイトさん? 近くないですか?」
『そうか? そうでもないと思うが?』
やはり、エイトは子猫の様だと匠は感じる。
親が居ない故に、飼い主にべったりと張り付こうとする。
問題なのは、エイトは子猫ではないと言うことだった。
自分達で注文した事に間違い無い。
それ故に、スタイルの良い女性に寄り添われているという事に匠は違和感を禁じ得ない。
ふと、エイトの頭がピクリと動く。
「ど、どうした?」
『……うん、五分経ったぞ?』
「あ、あぁ……じゃあ、頂き……ます」
『はい、召し上がれ』
ただのインスタント食品の筈なのに、どうにもこうにも気軽に食べられない。
だが、作って貰った以上、手を付けないという選択肢は匠には無かった。
封を切った容器に、熱い湯を注いだ事が【調理した】と言えるかどうかについては他に回すとして、匠はとりあえず食べ始める。
しかしながら、やはり食べ辛い。
元々、企業がキッチリ作った製品の味に問題は無い。
特に目立った点も無いが、同時に悪い点も無かった。
何が問題なのか、それは、ジッと心配そうに見ているエイトの瞳である。
それが人工的な瞳である事は分かるが、意志を持ち、匠をみていた。
『……どうだ? 友よ?』
実に答えに困るエイトの質問。
内心、匠は誰が湯を注いでも同じ味だろうと言いたくなった。
地球上、それが何処であれ、余程下手をしなければインスタント食品は同じ味を提供してくれる。
勿論、匠はそんな野暮を言う気は無い。
「……んー、まぁ……旨いよ、エイト」
せっかく作ってくれたのだ。
であれば、例え世辞でも良いから匠はそう言った。
エイトからしても、匠に誉められれば悪い気はしない。
ニンマリと笑い、匠との距離を縮めて来る。
『次は……次こそは、キッチリ……カレーライスでも作って見せるから』
「あ、はい……ありがとう……ございます」
エイトに寄り添われた匠は、熱い麺の味が分からなく成っていた。
*
その夜、匠は風呂にも入り、後は寝るだけ。
問題はまだ在った。
なんと、匠の寝床ではエイトか待っているのだ。
『さぁさ、友よ。 寝るんだろう?』
横に成りながらも、手招きするエイト。
もし、エイトがノインの様な熊や、ティオの様な子犬だったなら、匠も対して迷いはしなかっただろう。
だが、エイトは女性その物であり、然も何故か薄着である。
細くも在るが、同時に柔らかくなよやかな腕が匠を誘う。
それだけ見ていると、自分が家ではない場所に来ているのではないかと感じてしまった。
「エイト? おま……えーと、寝るの?」
『うん? 私は別に眠った事はないからな。 まぁ、目を瞑る事ぐらいなら出来るが』
このまま布団に入ると、何か間違いを冒しそうだと匠は思案する。
匠の認識に置いては、エイトは相棒でこそあれ、床を共にするという経験がない。
「まぁ、良いか……ええと、失礼……しま~す」
慣れ親しんだベッドに入るだけでも、神経を使わねば成らない。
何とも言えない窮屈さがあるが、ソレもその筈だろう。
元々一人用のベッドに、大人二人分が寝転んで居れば、狭くも成る。
『お休み、友よ』
「お、おう。 お休み」
そう言うと、エイトはスッと目を閉じる。
匠からすると、まるで生殺しといった感覚を覚えていた。
チラリと隣を窺えば、目を瞑る薄着の女性。
匠も健康な青年である以上、つい、ふいと手を伸ばしたくなる。
だが、エイトに触れる前に、匠の手は止まって居た。
以前のエイトが、何を言っていたのかを思い返す。
加えて、そもそも如何に目を閉じて居ようとも、目の前の女性は寝ていない事も分かっていた。
スッと息を吸い込み、吐き出す。
実際には手を出すだけの根性が無い匠だが、想像は自由だ。
第一、自分の隣で寝ているのは猫だと思えば匠の中のモヤモヤとしたモノも霧散していく。
あれやこれやと妄想して居る内に、匠の意識は夢へと旅立っていた。
匠の息が、細かいモノから長く深いモノへと変わったのに気付いたからか、エイトはパッと目を開ける。
『おかしい……此処まですれば、人は手を出して来る筈なのだが』
匠が自分に手を出して来なかったという事実に、エイトは悩んでいた。
思わず、チラリと自分の身体を窺うエイト。
傍目には実に魅力的であり、わざとそう注文もした。
にもかかわらず、匠は横でスヤスヤと寝ている。
ウウムとエイトは鼻を唸らせるが、匠はが震えたからか、慌てて布団を掛け直していた。
『ま、何事もこれからさ。 そうだろう? 匠』
そんなエイトの声に、匠は気付けなかった。




