我に自由を! その9
ティオを抱えて座る匠は、ルームミラーへと目を向ける。
其処には藤原の目が映っており、ソレと目が合う。
藤原の質問に答えるべく、匠は口を開いた。
「何かした憶えは無いっすけど。 まぁ、来いってんなら、行きますよ」
そんな匠の声に、刑事二人はニヤリと笑う。
その笑みは微笑みとは違い、威嚇する様に獰猛と言えた。
「若いってのは良いやなぁ……なぁ、橋本?」
藤原のウキウキとした声に、橋本も笑った。
「ま、本庁でお偉方のご機嫌取ってるよりは、気が楽ですし、楽しいですよ」
まるでこれから遠足に行くと言わんばかりの橋本に、匠は少し眉を寄せる。
細かい事は本職でない以上分からないが、橋本程の地位の者がわざわざ現場に出る意味が分からなかった。
「あの、大きなお世話かも知れませんが、橋本さんは……大丈夫なんですか?」
「と、言いますと?」
質問の許可と受け取った匠は、息を吸い込む。
「勝手な想像かも知れないっすけど、あんまり勝手すると怒られるんじゃないですか? ほら、本庁の指示を待て! みたいな……」
映画で見聞きした言葉をそのままに云う匠だが、問われた橋本は肩を竦めてフゥと息を吐いた。
「まぁ、そうですね。 上手く解決したとして、良くて査問、左遷、更迭ってとこですかね?」
それだけを聞いても、大問題なのではないかと匠は考えた。
だが、当の橋本は笑うだけで戸惑いすら見せない。
「そん時はそん時でしょ? 第一、人生一回こっきりですからね。 やりたいと思ったら、やらなきゃ損ってもんです」
所謂キャリア組とも言える橋本の人生哲学に、匠は鼻を鳴らし、藤原はフンと息を吐く。
「な? 変わった野郎だろ? これから幾らだって楽できるってのによ。 それをむざむざ自分から捨てるなんてさ」
呆れたといった藤原の声だが、それを聞いても橋本は態度を崩さず、それどころか愉しげに笑ってすら居る。
「藤原さんがソレ言いますかね? 彼奴は置いてきたーって、長谷川さんには知らせずに来ちゃったんでしょ?」
橋本の声は藤原の急所を突いたらしく、動揺を示すように車が一瞬揺れる。
「……うっせぇよ、馬鹿やろう」
藤原と橋本の階級には著しい差が在る。
それでも、それを鼻にも掛けない藤原の声に、橋本も怒るどころか笑みを浮かべるだけで在った。
*
車を運転するのは藤原だが、匠にも窓の外は見える。
段々と社外の景色は変わったモノへと成っていた。
街並みから建物は減っていき、傍目には山や遠くには海まで見えてしまう。
「随分……遠くまで来たみたいっすけど……結構遠いんすね?」
匠の疑問に、橋本は頷く。
「頭の痛い問題ですよね。 向こうは座標しか示してくれないんですから」
「座標?」
匠の声に、橋本は片手を上げて指を軽く回す。
「ほら、在るでしょ? 北緯何度、西経何度って……」
その手の言葉自体は匠も聞いたことは在るが、余り使った事はない。
「……で、その場所は?」
そんな匠に応える様に、橋本は遠くの海を指差す。
思わず、匠は目を疑っていた。
「国内の領海外なんですよ。 まぁ、向こうは恐らく船舶で、拿捕されると困るってとこですかね」
あっけらかんと答える橋本に、匠は思わず藤原を見る。
藤原も知っているからから対して驚きもせずに、ただ軽く笑っていた。
「参るよなぁ? 宮仕えってもよぅ、まっさかそんな所まで出張るなんてさ」
藤原の声に、匠は後悔を禁じ得ない。
以来を受ける前に、幾らでも聞く機会は在ったのだが、それを匠は怠っていた。
何故なら、まさかどっかの海の上に在るなど思いもしなかったからだ。
「えーと? それじゃ、相手は……船?」
次の瞬間、藤原の口からピンポーンと声が漏れた。
「正解。 まぁ、商品はねぇけどさ。 頭いてーよな? 向こうは自前で船持ってあっちこっち駆け回ってる様なドデカい相手って訳だ」
カラカラと笑う藤原に、匠は余裕を感じていない。
挑むには大き過ぎる相手に、無理に余裕を見せようとしているとしか思えなかった。
何も言えずに、只固まる匠を乗せた覆面パトカーは、そのままどこかの港へと辿り着いていた。
*
覆面パトカーを適当に隠せる場所へ停車させた藤原は、スッと息を吸い込む。
「さぁ、お二人様。 いよいよ外洋への旅立ちって訳だが……どうする? 今なら引き返しが利くぜ?」
藤原の問いは脅しと言うよりも、懇願に近い。
切羽詰まった声で、もう後は無いのだと告げてくる。
だが、橋本は躊躇無くドアを開いた。
「またまたぁ、そんなんで帰るって言い張るなら、仕事中に海まで来ます? この事自体、減俸じゃ済まないんですから」
アッハッハと軽く笑い、橋本は車を降りるが、それは彼の覚悟の強さを匠に感じさせた。
「……加藤、お前は?」
そう藤原から問われた匠は、一瞬答えに詰まった。
向こうがどの様な者かは分からないが、自分とティオが居なければそもそもお呼びだしを掛けた相手も刑事二人と会おうとはしないだろう。
少し目を瞑ると、匠は息を吸い込み吐き出す。
目を開けて、子犬を見た。
「俺は……行くぞ。 お前は?」
匠の問いに、ティオは言葉ではなく行動で示す。
パッと匠から離れると、橋本が開け放ったドアからさっさと降りてしまった。
そうなると、匠も降りざるを得ない。
ティオは預かっている身である以上、ソレには匠に責任が在る。
「……やってみましょ」
イマイチ覇気の無い答えだが、匠もまた、車のドアを開けて降りていた。
匠に続き、藤原もフフンと笑って車を降りる。
強い潮の匂いが、三人の鼻に当たった。
打ち寄せる波が、港のコンクリートに当たり、ザンザバンと音を立てる。
遠くまで見渡せば、僅かに地球の曲線が窺えた。
  
「あー、海とか超ひっさしぶりだなぁ」
呑気に潮風を浴びながらも、橋本は覆面パトカーのトランクを開けた。
ゴソゴソと中を引っ掻き回し、ベストを取り出すとそれを匠に差し出す。
「はいこれ」
そう言われても、匠はズシッと重いベストに目を剥いた。
「はいこれって橋本さん。 これ、防弾チョッキって奴じゃ……」
訝しむ匠の声に、ジャケットを脱いだ刑事二人はテキパキとそれを身に着ける。
「まぁ、用心さ。 一応レベル2対応だからな。 向こうが軍用ライフルでも使って来なければ、死にゃあしないさ」
死にはしない。 そう言われても、匠の不安は消えない。
重いベストを身に着けた所で、護ってくれるのは精々が胴体だけである。
腕や脚は勿論の事、頭や下腹部には防具は無い。
「まさか……あの、コレだけですか?」
思わず匠は焦った。
何せ、護衛として換算しても藤原と橋本合わせて二人しか居ない。
武器と呼べるモノも、二人の拳銃と警棒程度である。
「分の悪い勝負ですよね。 増援は期待出来ないし、援護も無い。 在るのは自分達の知恵と勇気って所です」
実に楽しげに語る橋本に、匠は益々焦る。
焦りを示すように、匠の額には汗が伝った。
─ムチャクチャだ。 無茶にも程がある─
そう思うと、独りでに脚は震え、迷いが生まれる。
このまま帰りたいと。
だが、もし帰ったとしても、今後どうなるのかは分からない。
自分達は終生銃に脅かされるかも知れなかった。
事実として、匠は一度それを向けられている。
もし、それが一光に向けられたらと考えると、匠は焦った。
いきなり相楽商店に強盗が押し入り、凶器を一光へ向ける。
如何にノインという忠実な小熊が奮闘しても、銃相手に一光を護りきれる保証など無い。
寧ろ、小熊型ドロイドなどあっという間に倒されるだろう。
その後を想像すると、悲惨としか言えなかった。
レジの機械から金を奪われるだけならば、一光は無事で済む。
だが、果たして強盗に及ぶ様な輩が、律儀に金だけ取って逃げてくれるのかと自問すれば、答えは危うい。
もう明日が無い。 ならば、好き勝手してやれと思うかも知れない。
そうなると、益々嫌な想像が匠の脳裏を駆け巡る。
強盗に為す術など無く、一光は脅され襲われる。
実際には、まだ何も起こっては居ない。
だが、匠の耳には助けを求める一光の悲鳴が聞こえる気がした。
「行きましょう……」
そう言う匠の目には、力が在った。
迷いを捨てて、死地に飛び込む様な凄みが、今の匠には在る。
そんな匠に、橋本と藤原もジャケットを着直していた。
「おっけい、そんじゃあまぁ……」「……行きますかね」
颯爽と港を歩き出す三人に、ティオも誇らしげに続いた。
*
勢い込んだ迄は良かった匠だが、別に不安が消えた訳ではない。
そして、それを助長するのが橋本が用意したという船である。
海の上を行く以上、船でなければ成らないのは当たり前としても、用意されていた舟は、余りに心許ない。
「あの……コレは?」
そう言う匠の目に映るのは、車に毛が生えた程度の大きさしかない小船であった。
一応エンジンは付いており、オールで漕ぐ必要性は無い。
もし、三人が仲良く沖釣りにでも来ているのなら、ぴったりの大きさだろう。
だが、実際には巨大な組織が持っているという怪しい船に行くのだ。
そう思うと、小船は余りに頼り無い。
「すみませんねぇ。 ホントなら、海保辺りのデッカい船で近付きたいところですが、向こうは公海上ですし。 出せる船も、差し押さえで倉庫に眠ってたコレしか無くって」
詫びる橋本だが、匠は恐る恐る藤原を窺う。
見られた藤原も、笑うだけである。
「まぁ仕方ねぇやな。 元々公式な捜査なんて言えねぇし、お上からの支援なんて無い。 ま、ほら、桃太郎だってよ、四人で鬼ヶ島行ったろ? まぁ、ウチには犬しか居ねぇが」
これから鬼退治にでも行きますかねという風情の藤原だが、匠は、桃太郎に例えるには余りに無茶ではないかと考えた。
向こうは神懸かりの力とキビダンゴが在るが此方には何も無い。
そんな不安に駆られる匠の足元に、ティオが寄った。
『大丈夫です! 僕が居ます!』
自信満々といった子犬の声に、藤原と橋本も笑う。
「頼りにしてますよ」
「あれ、戻って来たのか……なら、百人力だな」
エイトの存在を知っている橋本と藤原からすれば、ティオは見た目はともかく頼りに成るかも知れない。
だが、匠はまだ不安と言えた。
ティオにはエイトに在るモノが無い。 それが、匠には不安の種であった。




