お悩み相談 その2
「え? 今の声……誰?」
店に響いた挨拶に、一光は訝しむが、それも当たり前だろう。
今のところ相楽商店の中には匠と一光の二人しか居ない。
にも関わらず、第三者の【こんにちは】が響いたのだ。
「えーと……」
実に気まずい笑みを浮かべる匠。
その手の中には携帯端末が在る訳だが、その画面にはエイトの顔が映っていた。
この時、エイトにしても何故自分が一光へ挨拶を送ったのかは分からない。
除け者されたからといって、エイトからすれば何の問題にも成らない筈なのだが、何故かふと、【ジャミング《割り込み》】がしたかった。
『まぁまぁ友よ! せっかくなのだから私を紹介してくれたまえ!』
本来であれば、エイトの存在は他の人間に知られるべきではないだろう。
未知のテクノロジーそのままであるエイトを誰かに明かすと言うのは、匠の身にも危険が及び兼ねない。
だが、当の匠はと言うと、其処まで神経質な質でもなかった。
「ぇあ、実はさ、最近……手に入れたというか、出逢っちゃったというか」
長い溜め息を漏らしつつ、匠は、ソッと一光に携帯端末を見せる。
画面に映る美少女の顔に、一光は、眉を上げて目を寄せていた。
『こんにちは エイトと申します』
「あ、こんにちは」
初対面だからか、手の平サイズの機械から聞こえた挨拶に一光は思わず自分も挨拶を送る。
匠から頼まれた訳ではないが、エイトは自ら少女を演じていた。
それが何故なのかはエイトですら分からない。
が、それを見る一光にしても、理解を超える光景に眼を剥く。
「えーと? たくっち……コレ……これ……この……人? 誰?」
どうすべきか迷う事態に、一光は、思わず持ち主である匠に尋ねた。
尋ねられた所で、匠にも答えは無い。
勝手にペチャクチャ喋るエイトを人と形容すべきかどうか、匠に取っては謎であった。
それでも、友人の為にと必死に答えを紡ぐ。
「うーんとな……最新の……お喋り……アプリ? なんだけど」
精霊や幽霊といった存在を信じては居ないが、他にエイトを形容出来そうな言葉が思いつかなかった。
『なんだ、堅苦しいな友よ? どうも! 昨日のゲームのお相手を勤めさせて頂いた者です!』
甲高い声ながらも、キリッとしたエイトの声に、一光はウーンと鼻を鳴らした。
以前匠がエイトに話した様に、喋る機械というモノも無くはない。
だからなのか、一光は寄せていた眉をヒョイと上げた。
「へぇー……最近のアプリって凄いんだ! ゲームも出来るの?」
単純ながらも、在る意味真理を突いた一光の声に、今度は匠とエイトが揃って唸った。
固まり、何も言えない匠に代わり、エイトかコホンと咳払いを一つ。
『はい、まぁ……』
一光の微妙な反応に、寧ろエイトが気圧された。
驚き戸惑う一光の姿を想定していた筈だが、寧ろ真逆の対応に苦慮する。
本来の予定ならば、今頃は一光が卒倒するかバタバタと走り回る筈だったのだが、平然と興味津々と覗いてくる一光に、エイトの中に困るという感覚が生まれていた。
エイトの顔を見ていた一光だが、ふと、手をパンと鳴らす。
彼女の顔には、何かを思い出した様な色が在った。
「そう言えばさ! ちょっと聞いてくれる?」
一光の声に、匠とエイトからは「『はい』」と答えが漏れていた。
*
ちょっと此処で待っててという言葉と共に、匠の前には缶コーヒーが二つ置かれていた。
二人分としては当たり前なのだが、匠とエイトに出されたそれに、主と携帯端末からは低い唸り。
「二人分って言うけどさ……」
『……飲めるわけないだろ?』
匠の困った声に応答するのは、あの嗄れ声である。
それが匠に取っては不満と言えた。
「つーかさ、さっきまではアッチの格好だったのに、なんで今はソレなんだ?」
白黒の歪な顔に、素直な不満を匠は漏らす。
不満を言われたエイトだが、画面の顔はニヤリと笑うだけであった。
『友よ、前にも言っただろう? これでも電力量には気を使っているのだと』
「はいはい……分かりましたよ。 ところでさ、スマホでもゲームとか出来るよな?」
『ん? 無いぞ、そんなもんは?』
何気なく暇つぶしをしようとした匠ではあるが、エイトの返事に「うん?」と鼻を鳴らす。
「いや、無いぞってお前……どゆこと?」
少し慌てる匠に、エイトの目は窄まる。
『容量の関係でな。 必要の無いモノの殆どは私と転換させて貰った!』
「……は?」
『だが、案ずるな友よ! 重要なアドレス帳はキチンと残っている上に、大抵のアプリケーションならば、私が代用可能だ!』
自信タップリといったエイトの声に、匠は、必死に頭を巡らせる。
何とか必死に噛み砕いては見たが、要約するとアドレス帳以外のデータは何も残っていないとも解釈出来た。
「えぇとだな、エイト」
『何だ? 友よ?』
「あー、お前の言葉通りなら……お前……何が出来るんだ?」
匠の声に、エイトは目を丸くする。
『友よ……健忘症かね? 言っただろう? 大抵の事なら出来ると』
エイトの語った大抵という言葉に、匠は引っ掛かっていた。
具体的に何が出来るとは明言されてはいない。
逆に捉えるならば、大抵の事は出来るという事に繋がる。
其処で、匠はふと思い付いた。
「あー……じゃあ、その辺にミサイル落とせって俺が頼んだら?」
『可能だ。 現在稼動中の基地か戦艦、もしくはミサイルを搭載した何かにでも接触すれば数分後には殆ど誤差無く当たるだろう。 が、友よ。 着弾地点の人に危険が及ぶぞ?』
あっさりと答えるエイトに、匠は、一瞬寒気を覚えた。
以前、匠は冗談で核ミサイルを打つ気かと尋ねたが、その際エイトはその気は無いと語っている。
ただ、逆を言えばそれが出来るという事実に、匠は唾をのんだ。
自分は何かとんでもないモノを手に入れてしまったのではないかと。
『友よ? どうした?』
「え? あ、いや……何でもないんだ、なんでも……」
匠の迷いはともかくも、バタバタとした足音にハッと顔を上げる。
店の奥から、一光が慌てた様に走って来ていた。
「あ、ごめーん! 急いでたんだけどさ」
謝る一光の声に、匠は「大丈夫だ」と言いながら手を軽く振る。
今の所、匠はエイトの危険性に付いて危ぶんで居り、他の事を吟味している暇がない。
動揺する匠だが、一光はスッと取って来たモノを匠に見せた。
「……通帳?」
「そう、見てよコレ!」
匠の言葉通り、一光がもって来たのは紙製の預金通帳であった。
それをパッと開き、残高の項目を見せる。
急いで数字に目を通した匠は、ヘェと感嘆の声を漏らしていた。
「……凄いじゃん。 俺より貯金在るぜ?」
素直に誉める匠に、一光は露骨に顔をしかめる。
「違う違う! 此処だよ此処! ほら! 三十円足りないの!」
「は? 」
一光の焦った声に、匠はもう一度通帳に目を落とす。
すると、確かに残高から【三十円】足りなかった。
「……んー、でもさ、手数料? とか、なんかで引かれたんじゃ」
「そんな事無いってば! ちゃんとキチンと見てたんだから!」
案外細かい事を気にするんだなと、匠は思う。
今、仮に財布から三十円無くなったとしても、自分も気にするかと言えば曖昧であった。
偶々飲み物を買おうと、百円玉を落とした経験も匠には在る。
その時ですら、匠の感想は【あーあやっちまった】とその程度であった。
「一光さん……でもほら、偶々印刷が間違うって事も……」
『違うな友よ』
匠が一光を宥めようとしたが、美少女の姿を取ったエイトはソレを止め、二人の視線が、携帯端末へと集まる。
「えっと? エイト……さん?」「お、おい? どうした?」
慌てる二人とは違い、画面に映るエイトの顔は厳しい。
『友よ、君の口座番号は分かるか?』
「お、おう。 ちょっと待ってくれ……えーと……」
甲高くも在るが、厳めしさを窺わせるエイトの声に、匠は慌てて財布を取り出すと、自分のキャッシュカードを見て番号を教えた。
匠が口座番号をエイトに教えてから数秒間、携帯端末の画面には何かを念じる様なエイトが映っていた。
『……やはりだな。 友よ。 君の口座からも……三十円が消えた様だ』
深刻なエイトの声に、一光は味方を見つけ出した様に顔を明るくさせた。
「ほら! 何したか知らないけど、やっぱり変だよね?」
嬉しそうに語る一光とは違い、匠は相も変わらず困った様に眉を寄せる。
「いや、まぁ、でもさ……三十円位なら」
【三十円】という金額は匠にとっては余り重要ではない。
それが仮に今手元に在っても、出来る事は些細な事でしかないからだ。
だが、エイトの溜め息は聞こえた。
『……友よ。 よぉく考えるのだ。 君と相楽一光の二人合わせて六十円。 ならば、百人なら三千円。 一万人からなら三十万、百万人なら三千万、一億人からなら三十億だぞ? いや、世界中からなら、途方もない額になるだろう』
エイトが出したのは、あくまでも単純な例だ。
だが、単純だからこそ、匠と一光にとっては恐ろしく思えていた。