我に自由を! その7
最近は富に奇妙な出来事に遭遇して居る田上ですら、子犬が喋るという事態には目を剥く。
後輩に奇妙なパソコンを送ってからと言うもの、田上の人生には今までの価値観が通じなかった。
「喋るの? その………わんこ」
田上の声は、訝しむというよりも呆気に取られたという方が近い。
以前、匠の相棒であるエイトの存在にも驚いたが、犬が挨拶をしてくれると言うのは初めての体験と言えた。
田上は息を吸い込み、それを長く吐く。
「……なんかさぁ、お前にアレやったの、悪くないと思えるよ」
そんな田上の声に、匠はティオを抱えたまま少し笑った。
「いやぁ……それもこれも、田上さんのお陰って奴です」
匠の声に、田上も笑う。
胸の中に痒みにも似たが、嫌ではない感覚が広がった。
「おうよ、精々感謝しろよ? コレからも色々在りそう気がするからな」
「えぇ、はい」
笑い合う田上と匠。
そんな二人の真ん中に挟まれた形のティオは、興味深く二人を見る。
両親は穏やかだが、逆に言えばそれだけであり、変化に乏しい。
感情を全く持っていない訳ではないが、ティオの両親であるフィーラとフェムは植物の様に静かですらある。
親から匠に預けられたティオは、別世界を楽しんでいた。
効率だけを重視すれば、両親に人間は遠く及ばない。
フェムとフィーラに無駄は無く、完璧ですら在る。
だが、ティオは何故エイトが匠に惹かれるのかわかった気がした。
完璧とは単調でしかなく、平坦でしかない。
何処までも綺麗だが、起伏に欠け、何も無い。
ソレとは違い、匠と共に過ごす内に、ティオは微妙な起伏を楽しんでいた。
談笑は暫く続いたが、いつまでもそうしては居られないと、田上が咳払いを一つする。
「……おっと、ところで匠。 お前が休んでる間もさ、そっち系の相談が溜まっちまってるんだがな?」
匠が休むと成ると、エイトも必然的に休みに成ってしまう。
機械の整備や修理ならば、田上も得意では在るが、ソフト面といった事に関しては不得意であった。
本来ならば、エイト不在の匠では力に成れない。
元々機械が不得意な匠にエイトが力を貸していた。
だが、今の匠には子犬が付いている。
傍目こそ小さな子犬だが、その力はエイトに劣らない。
「大丈夫……だと思います。 な?」
匠の頼る声に、子犬はつぶらな瞳を田上へ向ける。
『頑張ります!』
短い故に、敬礼としては些か不格好だが、その仕草はティオの意志を示すには十分だろう。
それを受けて、田上は早速立ち上がった。
「よっしゃ……一仕事行きますか、カアチャンに怒鳴られない内にな」
まだ見たこともないが、匠は田上が奥さんの尻に敷かれているのではないかと少し心配していた。
*
その日から田上電気店のトラブルバスターが再開された。
ティオもまた、初仕事を任され鼻からフンと吹いて息巻く。
誰にも言わないが、頑張るぞと自分に発破すら掛けていた。
何よりもティオを奮起させたのが、頼られると言うことである。
自分が必要とされ、それに答え応じる。
その事は、ティオに自信を喚起させた。
親と過ごす内には感じられなかった充実感を持って事に当たる。
作業員と子犬が揃って仕事に当たるという珍妙な光景が、何件の家からも見受けられた。
だが、問題点が無いわけでもない。
エイトが匠の側に居た時は、専らスマートフォンの画面に映っているだけであり、他人がそれに気付く事はなかった。
ティオの場合、子犬型ドロイドという実体を伴っており、それが時に問題を生んでしまう。
家に犬を入れると言うことを嫌がる客も勿論居た。
「あのぉ、困るんですけど? 犬とか連れてるんですかぁ」
口調こそ丁寧だが、その声色には明らかな侮蔑が在った。
その際には、匠がティオを胸に抱えて頭を下げる。
「あ、すみません。 コイツは犬型ドロイドでして、機器と兼用なんですよ。 ほら、自立可動のロボット掃除機……みたいな」
匠の説明で渋々納得してくれる者も居れば、それでも嫌だと喚く客も居る。
そんな事から、ティオは学んだ。
人には良い人も多いが、同時に嫌な奴も半分は居るのだと。
この時、ティオは自分の両親が何故我慢などして居るのだと思った。
その気に成れば、其奴の後を辿り、潰してしまうことも容易い。
預金全てを吹き飛ばしてやるのも面白いだろうと考える。
だが、ティオはそれをしようとはしなかった。
自分を必死に庇い、頭を下げてくれる匠と田上。
そんな二人にまで、迷惑は掛けられない。
こうして、ティオは我慢を学んでいた。
時計の針が昼に近付く頃、匠に抱えられる子犬は考える。
どうして、エイトは匠から離れたのかを。
本人から直接聞かされ、問い掛けもしたが、やはり分からない。
「よぅ、疲れたか?」
物思いに耽るティオに、そんな匠の声。
匠に抱えられる子犬は、首をグッと持ち上げた。
『疲れると言うのは僕には在りません。 ですが、充電させて貰えると助かります』
そんな子犬の声に、匠と田上は顔を合わせる。
「そういや」「そろそろ昼っすね」
犬同伴では入る事が出来る店は余りない。
ティオに充電させるのは車のソケットから可能だが、田上と匠はそうも行かなかった。
「ま、なんか在るだろ」
とりあえずドライブスルーならば、車中でも買い物が出来ると、田上は適当な店へ車を回す。
とは言え、車自体は自動運転であり、行き先を決めただけだ。
自分に合わせようする匠と田上に、子犬は戸惑う様に首を振る。
『あの、僕に合わせて貰わなくても大丈夫ですけど?』
そんな子犬の声に、匠は笑った。
エイトが不在の中、今や子犬は大切な同僚とも言える。
「そう言うなって、合わせられるなら合わせるってのも人情ってもんさ」
匠の語った思想はティオには実に複雑怪奇と言えた。
人間が栄養補給を必要として居るのは知っている。
だからこそ、自分は車の中で待つことも吝かではないのだが、そんな自分にすら合わせようとして来る。
ティオの身体は犬である以上、微笑むのは難しい。
だが、内心では暖かい何かを感じる。
少し後、車内にてハンバーガーをパクつく作業員二人に、充電用コードを咥える子犬というなんとも珍妙な、光景が見受けられていた。
*
ティオの活躍のおかげさまか、午前中の内に仕事の大半は片付き、田上はホクホクとした顔である。
一件幾らで仕事を受けている以上、やればやるだけ稼げた。
対して、匠は少し寂しそうな顔である。
ティオが居てくれるだけで仕事は順調に運び滞りは無い。
それでも、操作しても操作された分しか動かないスマートフォンは、匠に寂しさを感じさせた。
「そういや、まだ帰って来ないのか?」
後輩の顔を見るなり、田上はそう尋ねる。
そんな問いに、匠は力無く首を縦に振った。
「えぇ、まぁ……何処いっちまったんだか、さっぱりですよ」
フゥと息を吐く匠だが、ティオはエイトが何処に居るのかを知っていた。
厳密に距離を計る事は出来ないが、居るのは分かる。
匠と田上には感じ取れないが、エイトは確実に匠の側に居る。
それが分かっていても、ティオは言い出せなかった。
エイトからも頼まれている以上、無碍にそれを踏みにじる様な真似はしたくない。
歯痒いという感覚に、子犬を目を伏せていた。
軽く午後に数件の仕事を片づけ、【田上電気店】とステッカーが貼られたバンは休憩がてら適当なコンビニエンスストアの前へと帰り着く。
車を降りるなり、柔軟体操を始める匠と田上に合わせて、何故か子犬迄もが伸びを始めていた。
「それ、必要か?」
ふとそんな事を聞いてみる匠に、子犬は『なんとなくです』と答えた。
その様は、幼い子が大人を真似たがる様子に似ている。
何とも微笑ましい光景に、匠は少し微笑む。
その途端、乾いた破裂音が辺りに響く。
「うお!? なんだ!?」
慌てる田上に、匠も急いで子犬を抱き上げる。
「くそ……なんだ?」
匠は何事かと辺りを見渡し、音の正体を探った。
いきなりの事だけに、匠の心臓は早鐘の様に打つ。
そして、匠と子犬の目は、破裂音の正体を捉えていた。
コンビニエンスストアから慌てて逃げてくるのは、老人であった。
但し、老人は慌てて逃げ出した訳ではない。
手には硝煙漂う拳銃を持っており、それが破裂音の元だと分かる。
緊急時、咄嗟に動ける者は多くない。
過酷な訓練を終え、万全の装備を整えた特殊部隊ですら、最低で六秒は反応するのに要する。
一方、ただの作業員でしかない匠は、頭が真っ白に成っていた。
逃げれば良いのか、戦えば良いのか、それが分からない。
顔面を歪ませ、必死な様子の老人は、銃を振り上げそれを匠へ向けた。
「おい! その車を寄越せ!」
正しく強盗らしい声に、匠はただ動けない。
崖っぷちに立たされたのと変わらない匠。
そんな時、タイヤの擦れる音が響いた。
強盗は何事かと其方を窺うが、見れば一台の乗用車がノーブレーキで突っ込んでくる。
一転して窮地に立たされた老人だったが、やはり動けない。
僅かな瞬間、匠の目は、まるで縋る様な老人の目をジッと見ていた。
グシャリと嫌な音を立てて、乗用車は老人へと突っ込む。
勢いは凄まじく、乗用車はコンビニエンスストアにも食い込むほどであった。
ギリギリ撃たれる事はなかった匠だが、其処へ田上が走ってくる。
「おい! 匠! 大丈夫か!」
後輩の首が僅かに縦に揺れたことから、田上はホッとしながらも、暴走して来た乗用車を見る。
それに退かれた老人は、とても生きている様には見えなかった。
「あっぶねぇなぁ………でもよ、逆に助かったのかな?」
「……そ、そうっすね……」
安堵する田上と匠だったが、匠に抱えられる子犬は知っていた。
誰が匠を護るために、走行中の乗用車を勝手に操作したのかを。




