お悩み相談
日曜日の朝。
昨晩、散々エイトにゲームでボコボコにされた匠だが、案外気分は悪くない。
と言うのも、負ける度にエイトが少女の顔でにこやかに【頑張って! 】と声援を送ったからだ。
打ち倒す反面、応援するという矛盾。
だが、細かい事を気にしない匠だからか、負けてもなお清々しい朝を迎えている。
「……あぁ……よく寝た」
ベッドからのそっと身を起こすと、匠は早速とばかりにパソコンのディスプレイを窺う。
「うおーい、おはよー」
本来なら、独りの部屋に声を響かせても返事は無い。
声に反応するソフトを入れて居ない限り、パソコンに向かっておはようと声を掛けても返事は意味を持たない。
だが、匠の場合は違った。
パッと画面が灯り、エイトの丸顔が映る。
『おはよう友よ。 よく眠れたかね?』
嗄れ声の挨拶に、匠は少し不満を覚えたが、挨拶が返って来てくれる事は素直に有り難く感じる。
「……あぁ、お陰さんでな」
返事を返しつつも、匠は腕と背をを天井へと伸ばし、息をたっぷりと吸い込んでから立ち上がった。
「……ふぁ……よう、せっかくだから出掛けるか?」
そんな匠の声に、画面上のエイトは片目を窄める。
『ん? 昨日の続きでも私は構わんぞ?』
「ばっかやろう……昨日あんだけボコボコにして足りてねーのかよ?」
エイトと会話をする事に対して、匠の中の違和感は無い。
実体こそ其処に無いとしても、匠の寂しさは和らぐ。
匠の声を拾ったからか、スピーカーからはウゥムと低い唸りが聞こえた。
『出掛ける……か。 昨日は友に付き合って貰ったからなぁ。 よし! 今日は私が君に付き合おう!』
案外あっさりと了承を見せるエイトに、匠はフフンと笑う。
「おっけおっけ、用意するから待ってろよ?」
季節問わずTシャツにボクサーブリーフで眠る癖が在る匠だが、そのままでは外出は出来ない。
肌寒い云々以前に、下着のみで闊歩すれば変質者とされてしまう。
ウキウキと用意をしている匠を、パソコンに繋がれたカメラがジッと窺っていた。
*
匠からしても、今回のお出掛もまた新鮮であった。
ぱっと見では匠はお外用の出で立ちながらも、独りである。
だが、匠の主観から言えば【独り】ではない。
そして、彼の相棒はと言うと、手のひらの中の携帯端末に映し出されていた。
『おお~……外出とは、なかなかに風流ではないか?』
携帯端末のスピーカーからは、そんな嬉しそうな声が聞こえるが、匠からするとなんとも言えない気分であった。
俗に言う【ながらスマホ】であり、携帯端末を睨みつつ歩くというのが今の匠の姿ではあるが、彼の目は真っ直ぐ前を向いている。
「風流だか水流だか知らねえけどさ、どこ行きゃいいんだかなぁ」
『まぁまぁまぁ、それはおいおい考えようではないか。 少しは歩いた方が体にも良いんだぞ? どうやら君は……些か運動が足りない様に思える』
エイトの意見に、匠の顔は少し歪んだ。
笑っては居るのだが、それは実に苦い。
「おーう? 体調管理までしてくださるなんざ最高のこんびゅーたーだぜ」
『うむ、喜んで貰えて私も嬉しいよ』
エイトの嗄れ声に、道を闊歩する匠の眉間にギュッとしわが寄った。
「……なぁ、皮肉って分かるか?」
『勿論だ、私の言葉もそうだからな』
携帯端末を持つ匠は唇の片方だけを釣り上げ、対する画面に映るエイトもまたニヤリと笑っていた。
ほんの少しだけ険悪に成りつつも、とりあえず画面と睨めっこを止めた匠は歩き始める。
内心はこんな小生意気な携帯端末などはこの場で放り投げてやりたいのはやまやまなのだが、生憎とまだ貸付金は終わっていない。
少しぐらい生意気に成ったからと言って、むざむざと捨てる気は起きなかった。
それから暫くはトボトボとした足取りの匠だが、唐突に歩き方が変わった。
力無く歩いて居た筈の脚には、力が満ちている。
匠に持たれている携帯端末に映るエイトの顔にも、僅かに変化。
端末のカメラは、随時エイトへと周りの情報を伝えてくれる為に、僅かな風景もつぶさに察知する事が出来た。
カメラに映る周りの風景にはどうという事は無い。
強いてあげれば、時代に似つかわしくない店の姿だろう。
【相楽商店】という看板を掲げたこじんまりとした店。
其処はコンビニエンスストアといった類の多店舗というスタイルではなく、あくまでも個人が営んでいる懐古感感と同時に、郷愁を誘う懐かしさが漂う駄菓子屋と見えた。
『おお! 友よ。 どうやら時代がタイムスリップした様だぞ!』
「なんだよ、急にハイカラな言葉使いやがってからに」
『それこそ死語ではないのか?』
「あーいえばこーいうってか?」
そう言うと、匠はいきなり携帯端末をポケットへと押し込む。
その際、携帯端末からは『あ! 何をする!?』という声が僅かに響いた。
ポケットの中の騒ぎはともかくも、駄菓子屋に近づくなり、匠はそそくさと身形を正す。
その様は、まるで大切な人に会う様でもあるが、チラリと店の中を窺う匠の目に、懐かしい風景が映った。
ズラリと所狭しと並べられた駄菓子に雑貨、何十年前から動いているのか定かではない硬貨を用いるゲーム機。
それらは、匠に取っても望郷を感じさせてくれる。
早速とばかりに、匠は店の戸に手を掛けていた。
*
戸に取り付けられた小さな鐘がカランと鳴り、来客を告げる。
「お? いらっしゃい! ……って、たくっちかぁ」
匠が店に顔を覗かせると店の中からは軽い挨拶と若干の狼狽が届いた。
挨拶をくれたのは、匠に歳近く柔和な顔立ちの女性。
「なんだってのはご挨拶だな一光さん? せっかくの休みに顔出したってのにさ。 ま、ところで商売の方は?」
「ボチボチってとこだねぇ……ギリギリ食べて行けるくらいかな」
なるべく気楽な感じを装う匠に対して、女性も軽く微笑む。
女性の名は相楽一光と言い、匠とは旧知の仲では在るが、友達以上ではない。
あくまでも会社に勤める匠からすると、自営業の一光にはある種の羨望を抱いて居た。
「まぁ、ほら、何とか食べて行けるなら良いんじゃないかなぁ」
友人へと気を使う匠の声に、店内のカウンターに一光は肘を付いてフゥと息吐いた。
「まぁね……あ! そう言えばさ、たくっちゲーム上手くなった?」
匠の質問をいなしつつ、一光は、ハッと思い付いたままを問い掛けた。
「え? あー……」
一光の質問に、匠は答えを渋った。
実際にゲームをプレイし、一光と激戦を繰り広げたのはエイトである。
その横で、匠は蕎麦を食べていた。
だが、匠の中に小さな欲がムラムラと湧く。
どうせなら友人に自分をよく見て欲しい。
「……あー……そ……」
【そうだ】と匠が答えようしたそんな時、『いやぁん! お兄ちゃん! こっから出してぇ!』と、匠のポケットから甲高くわざとらしい悲鳴が轟いた。
それを聞いた途端、匠の顔は青ざめ、一光は首を傾げる。
「……あ、た……ち、ちょっとだけ……待ってくださいます?」
「え? あー、うん」
バッと振り返ると、匠は慌てて携帯端末をポケットから取り出す。
眼を剥いて画面を睨むと、其処には実に憎たらしい笑みを浮かべるエイトの歪な顔が映っていた。
「なぁ……お前さぁ……時と場所……って分かるか?」
『いやぁ、せっかく出掛けたのに真っ暗と言うのもつまらなくてな』
悪びれないエイトの声に、匠はいよいよ携帯端末をゴミ箱行きにしてやろうと企む。
「この野郎……」
匠は、携帯端末を振り上げようか迷う。
だがしかし、背後から「どったの?」という声に、破棄は未遂に終わっていた。
匠は、ぐるっとその場で百八十度回る。
「うん? なんでもな……」『こんにちは!』
エイトの存在を何とか隠そうとした匠だったが、ソレより速く、エイトの挨拶が店の中に響いた。