新たなる同居人? その5
水族館にて在る意味では有意義な時間を過ごした匠は、路上にてフゥと息を吐く。
「……あぁ~……そういや明後日は月曜日なんだよな」
『ん? 月曜日に何か在るのか?』
エイトの顔が元の歪な丸で在ろうが、嗄れ声だとしても、今の匠に取っては問題ない。
小電力化云々はともかくも、いずれは休日が終わるという事に彼の気は向いていた。
「なんつーかな……疲れるって分かるか?」
『疲労の事か?』
「あん? あー、あぁ、そうそう、そうだよ。 在る?」
『無い』
即答するエイトに、匠は肩を竦め力無く首を横へ振った。
「やっぱり羨ましいわぁ」
『そう思うか?』
手の中の携帯端末からそう問われた匠は、それを持ったまま腕を組み、ウンウンと鼻を唸らせる。
だが、いつまでもウジウジしていても仕方ないと、匠はポンと在ることを思い立ち、エイトが映る携帯端末を見た。
「そうだよ、そう。 なぁエイト。 ゲームって出来るか?」
『うん? 何だ急に? まぁ、出来ないことはないだろうな。 コントローラーを介して……というのは無理だが、直接操る程度なら』
「めんどくさい理屈は抜きだぜ? よっしゃ、まだ休みは終わってねぇからな、急いで帰ろう!」
エイトの返事を聞くなり、匠は携帯端末を衣服のポケットへと丁重に収め、急いで帰宅の途へと着いていた。
*
「ぐぁぁぁぁわぁぁ!?」
土曜日の夜。 あるアパートからは悲しげな声が僅かに漏れる。
部屋の中では機械に因る虐殺が続いていたからだ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ……なんでだよぉ……」
今際の際のだと言わんばかりの声を上げる匠。
彼の目には、あっという間に減っていくゲージが映っていた。
自宅へと帰るなり、早速とばかりにあのヘンテコな形のパソコンを用いてエイトと対戦ゲームを始めた迄は良い。
一人プレイも出来なくはないが、どうせなら対戦もしたくなる。
無論、ネットワークを用いて遠くの人達と対戦も出来なくはないが、匠はエイトの実力を試したかった。
だが、その結果は無残でしかない。 結果を言うのであれば【42-0】といった戦績である。
勝率で言えば、エイトの勝ちが百パーセントであった。
『ふふん? どうだ、友よ? まだやるかね?』
「おうおーう、やるよ? やるに決まってんだろ? 人間の意地を舐めるなよ!? コンピューターめ!!」
勝ち誇るエイトの声に、匠の鼻息は荒い。
技術的な観点はともかくも、パソコンに繋がれたディスプレイにはゲーム画面が映し出されて居る。
だが、同時に右上辺りには、あのエイトの歪な顔が浮かんでいた。
匠がこれほどまでに完膚無きまでに負けているにも関わらず、ゲームを止めずに意地に成るのは、勝てばご褒美が在るからだ。
最初は、匠もエイトが自分に勝てれば御の字だと勝手に踏んでいた。
だが、蓋を開けてみれば、あっと言う間に匠の操るキャラクターはエイトが乗り移ったらしいキャラクターに、瞬く間にボコボコにされてしまう。
腕前がどうのこうのという段階の話ではない。
匠の想像の範疇に無いキャラクターの動きは、まさしく水を得た魚。
無論、負けた匠も、最初は何かの間違いに違いないと踏んでいたが、続けざまに戦いを挑んではボコボコにされるという展開が続いていた。
数十回戦った所で、匠が【もうやだ! 止める!】と、泣きを入れた為に仕方なしに、エイトはある約束を匠と交わした。
せっかく始めたゲームである。 どうせなら楽しみたい。
相手をボコボコにするのが案外楽しかったのか、もし、一回でも匠が自分に勝てたのであれば、三日間【エイトたん】のままで過ごしてやろうと。
今の匠の脳裏には、在る光景が浮かんでいる。
歪な丸顔は頭上に王冠を掲げ、似合っていないマントを羽織る。
それはまるで魔王の如く大きく隆盛を誇り、その傍らに、あの【エイトたん】を捕らえて高笑いを放って居たのだ。
「うぉぉぉぉぉぉぉお!」
裂帛の気合い。
自分の妄想から、匠はエイト操るキャラクターを魔王の部下だと想いコントローラーを握り締める。
匠の脳裏には【エイトたん】を勝ち取る勝利の想像が浮かんだ。
『友よ……遅いね』
怪しく響く嗄れ声。 現実は非情であった。
エイトの反応速度は人間の匠を遥かに上回り、キャラクターの動きは匠には有り得ないモノに見える。
通常の人間でも、ある程度習熟度が高ければそれなりの動きを見せるが、エイトのそれは匠の理解の範疇を超えていた。
「ぃぃいぃぃぃいぃ!? うっそだろう!?」
自らの操るキャラクターは、画面の中で空中へと放り出され、為す術もなくエイト操るキャラクターにコテンパンにのされてしまう。
がっくりとうなだれた匠。
力無くコントローラーをその辺に置くと、すっくと椅子から立ち上がった。
『お? もう降参かな?』
「あーあーそうだよ。 チョイとストーリーモード? まぁ、一人でやっててくれ」
半ば投げやりに時計を睨むと、既に午後八時であった。
在る意味では楽しい時間を過ごしたと思えば良いのだが、如何せん負けっぱなしの為に、匠の心中は重い。
コンピューター同士が戦うのは意味が在るのかと考えるが、ただ考えて居ても食事の用意は整わなかった。
「さてと、飯食って風呂入って……寝るか」
匠からすると、負けっぱなしのままでは終わりたくないが時間という絶対的なモノからは逃げられない。
そんな時、スピーカーからピロリンという軽い音が響いた。
『お? 友よ、誰かが対戦申し込みをしに来たらしいが……』
そんな興味深げなエイトの声に、匠は画面をどれどれと見た。
「んー……あー、知り合いのカズっちだよ、どうする? 俺飯食いたいからさ、その間に暇なら対戦してても良いけど?」
極僅か間、画面端のエイトの顔には悩みが窺えたが、直ぐにニヤリとした笑みを覗かせる。
『友よ、こう言っては……何だが……その人物は強いのか?』
エイトの物言いは、匠にとってはカチンと来るモノがである。
一応は気を利かせてくれてはいるのだろうとも、匠の顔は筋肉だけが笑っていた。
「あー、まー、僕よりは強いと思いますですよ? なんかの? ランキングにも入れるっていうぐらいらしいので」
『なるほど! それは楽しみだな!』
可能な限りの嫌みな笑顔で返事を送るのだが、匠の声は届いていないのか、早速とばかりに画面上ではゲームの続きが始まっていた。
湯を沸かしつつ、匠はパソコンのディスプレイをチラリと窺う。
すると、意外なモノが見えた。
匠の操るキャラクターでは、エイト操るキャラクターに全く歯が立たなかったが、友人のキャラクターは違う。
早い動きにも対応し、返し技さえしてみせる。
拮抗した両者の動きに、匠の口からはヘヘェといった呟きが漏れるが、それと同時に、コンロに掛けていたヤカンがピーッと笛を吹いた。
コポコポとインスタントの容器に湯を注ぎつつ、匠はゲームを見守る。
「おーい、どうしたい? 強敵か?」
自分の時とは違い、てこずって居るといったエイトの様子に、匠は思わず声を掛ける。
画面上に小さく浮かぶエイトの顔が、笑うように歪んだ。
『……素晴らしいな』
端的だが、率直な感想に、匠はムゥンと唸った。
インスタント麺は湯を注いでも直ぐには食べるのは厳しい。
だからこそ、匠はゆったりとゲームを鑑賞しつつ移動が出来る。
そして、匠の眼には何とも言い難い光景が映っていた。
自分が知っている筈のゲームなのだが、次元が違う。
何故こんな事が出来るのかと疑いたくなる様な映像に、匠の鼻はハハァと感心する様に唸った。
「どーよエイト? カズっちは」
目まぐるしい戦いを繰り広げつつも、エイトの顔は何故か時計の様にクルクルと回る。
『さっきも言ったが……実に素晴らしいぞ友よ! コレこそ生命の神秘だろうか?』
実に上機嫌といったエイトの声だが、匠はと言うと早速とばかりに容器の蓋を剥がし、箸を手に取る。
『通常の人間の反射限界は0,5秒、脊髄反射で0,05秒だが、この人物のそれは遥かに速い! 訓練を通し、脳が動くよりも早く手が動く! まるで予知している様だ! それだけじゃない! 私の隙を突き、隙間を縫う様に動いてさえ見せるぞ!』
機械と同等か、それ以上の動きを見せる匠の友人へとエイトは惜しみない賛辞を贈る。
だが、それを聞いたであろう匠は、ズルズルと蕎麦を啜っていた。
「……ほへぇ……そりゃあ凄そうだな?」
自分が負けて居たからか、余り乗り気ではない匠の声に、画面上のエイト顔もそれに感化された様に口をポカンと開けてしまう。
『……あ……』「……あ……」
エイトは虚を突かれ、匠は、エイト操るキャラクターが倒れるのを見た。
直ぐ後、無情にも勝者を告げる軽やかな音楽が流れ、そのついでとばかりに、スピーカーからはピロリンという音。
『……友よ……メッセージが来てるぞ~……』
負けたせいか、エイトの顔と声はヤケに沈んでいた。
それを見て、匠は少し笑う。
「どうよ? 負けるって感覚は?」
興味が湧いた匠は、自分が感じたモノと同じかを確かめる。
画面上のエイトの顔が、ほんの少しだがムッとしていた。
『あぁ、分かったよ。 たぶん……これが悔しいという感覚なのだろうか。 ともかく、メッセージはどうする?』
「ああ、じゃあ開いてくれるか?」
『承知した』
匠は何気なくエイトに頼んで居るが、その重大性には気付けない。
主の応答に機敏に反応し、柔軟に動いてくれる。
「あぁ……やっぱり早めに食べないと駄目かぁ……」
だが、当の匠からすると、今食べている蕎麦の汁に浮かぶ天ぷらが柔らかく成ってしまった事の方が重大と言えた。
天ぷらからサクッとした食感が失われた事を悲しみつつも、匠は、チラリと画面を窺う。
【ずいぶん上手く成ったじゃん! またやろうね!】
と、そんな相手からの言葉に、匠は苦く笑った。
実際ゲームをプレイしていたのは匠ではなくエイトである。
その証拠に、相も変わらず画面の端の方では口を蛸の様に窄めるエイトがフワフワと浮いていた。
まるで拗ねた子供の様なエイトに、匠は気を向ける。
「なぁにムクレてんだよ? 一回負けただけだろうが?」
茶化すよりも、慰める様な匠の言葉を聞いたからか、画面の中のエイトはクルクルと回転したが、直ぐにそれは止まり、頭上に電球が浮かんだ。
『よし! 友よ! もう一回だ!』
負けた腹癒せか、練習なのかはともかくも、エイトは匠をゲームに誘う。
誘われた匠はと言えば、余り良い顔ではなかった。
「えぇぇぇ……だって俺じゃ練習になんねぇぞ?」
友達が如何に機械に打ち勝ったとは言え、匠が勝てる保証は無い。
しかしながら、エイトは匠を誘う切り札を持っていた。
『……お願い……ね? 一緒に……やろ?』
パッと画面は切り替わり、美少女の姿をとったエイトが甘い声色と共に小首を傾げつつ手を合わせる。
それを見た匠は、ズズッと汁を飲んでから顔をキリッとさせた。
「はっ……仕方ねぇなぁ。 付き合ってやるぜ!」
実に渋い声を出す匠だが、一つ気付いて居ない事もある。
画面に浮かぶエイトは目を細め、唇を片方だけ釣り上げるという実に嫌らしい笑みが浮かんでいた。
その夜、またしても機械に因る虐殺が繰り広げられたのは言うまでもない。