冒険に出よう その12
乱雑に散らばった皿を避けつつ、ベッドに腰掛ける女戦士。
「まぁ、この宿だってエイトの奢りだから良いけどさぁ」
そう言いつつも、やはり気になる。
この部屋で大食いコンテストでも始まった様に、重ねられる皿や丼。
それらを見て、女戦士はフゥと悩ましく息を吐いた。
「ソレにしたってさ、食べ過ぎじゃない?」
一応はゲームの中である以上、どれほど食べようが太る心配は無い。
だが、未だにジャムが溢れる程塗られたパンを食べる猫耳少女に、匠は呆れた。
「まぁまぁ、別に問題は無いだろう? 支払いは気にしなくて良いから」
返答は返しつつも、食べるのは止めないエイト。
そんな相棒に、女戦士は苦く笑った。
「まぁいいや、所でさ、ゲームで寝たら……どうなんの?」
ヨイショと寝転がる女戦士。
なまじスタイルが良いせいか、それだけでも実に扇情的ですら在る。
だが、モグモグとパンを咀嚼し飲み込んだ猫耳少女は、尻尾をパタパタと軽く揺らしていた。
「そか、そろそろ寝るにゃら、ゲームは終わらせた方が良い」
そんな声に、女戦士の鼻はウウンと唸る。
「え? このまんま寝たら駄目なの?」
匠の質問に、猫耳少女は首を横へと振った。
「実際の君も、寝ているという体勢には変わりにゃいがね、ソレだと、現実の君は困るだろう?」
そう言われた匠は、在ることを思い出す。
ゲーム内の自分である女戦士は、確かに食事を取り風呂にも入った。
だが、それはあくまでも虚構である。
如何に何を食べようとも熱量は発生せず、トイレにすら行けず、風呂にも入っては居ない。
何もかもがただの錯覚なのだと思い出した匠は、「そっか」と言いながらベッドへと仰向けに寝転んだ。
「そう言えば……そうだった……じゃあ、エイト。 頼むわ、外に出してくれ」
匠がそう頼む。
すると、エイトの「分かった」という声と共に、匠は、自分が何処かへと浮いていく様な気がした。
*
視界が暗くなり、背中に布団が当たる感覚。
ハッと身を起こし、匠は、慌てて視界を遮るゴーグルを取る。
目に映る自分の部屋を見て、匠はホッと出来たが、同時に少し残念に思える。
楽しい楽しくないで言えば、楽しく思えていたからだ。
「………まぁ後でまた……ん? あ! そ、そんな事より!」
唐突に何かを思い出した匠は、慌てて自分の下腹部を探る。
当たり前だが、ソレはキチンと在った。
その事に、心底安堵して匠は溜め息を漏らす。
在るべきモノが在り、ないモノは無い。
「……あー、良かった……あれ?」
自分が男である再確認し、匠は安堵するが、その途端、急激な空腹感を覚えた。
ソレは無理もない、時計を確認すれば、既に深夜一時だが、ゲームを始めてから匠は何も食べては居ないのだ。
「あぁ、ヤベヤベ……」
グウグウと唸る腹の虫を宥めようと、ノロノロと立ち上がる匠。
キッチンへ向かい、とりあえず買い置きのインスタントラーメンでも食べようとする。
やかんを火に掛けた時点で、匠は在る強烈な欲求に駆られていた。
──次はいつにしようか?──
また、ゲームをしようとしている。
ハッと成った匠は、慌てて首を横へと振った。
「俺、何考えてんだ?」
自らの考えがおかしいという自覚は在る。
だが、直ぐに其処にゲームのゴーグルやコントローラーはそのまま。
思わず、唾が湧いた。
一切の束縛の無い自由。
ソレは、抗い難い魅力ですら在る。
鼻で必死に息を整えるが、頭からはゲームが離れない。
彼処へ行けば、楽しい時が待っている。
思わず、フラフラと吸い寄せられる匠だが、やかんのピィと甲高い音が匠を現実へと引き留めて居た。
「おっとと……火事に成っちまう」
火を止め、発泡スチロールの器へと湯を注ぎ、蓋をする。
箸を重しに蓋をするのだが、匠の脳裏には、エイトと食べた食事の味が蘇っていた。
何も無い口の中を蠢かし、思い出そうとする。
だが、実感は無い。
何とも言えない侘しさを感じつつも、部屋へと戻る匠。
そんな動きに合わせて、パソコンの画面も灯る。
其処には、猫耳こそ無いが少女のエイト。
「おう、エイト。 随分遅かったな?」
匠の声に、画面上のエイトは寂しげに笑う。
『いや、君が調理していたからね。 邪魔しないようにって』
嗄れ声ではない済んだ高い声に、匠は苦く笑う。
「いやぁ、調理って言うほどのもんじゃないけどさ……ほら、熱湯入れただけだし」
何かを払う様にそう言うと、匠は早速食べ始める。
熱いスープが絡む麺は、偽物ではない。
麺啜る匠の姿。
それ自体は差ほど大したモノではない。
それでも、画面上のエイトはジッと相棒の食事に魅入られる。
望んでも、今は得られない。
飢える事こそ無いが、それが酷く寂しい。
『私も……食べられれば良いんだけどね』
そんなエイトの声に、匠は軽く笑った。
「何言ってんだよ? あんなに喰ってたろうが?」
匠の声に間違いはない。
ソレが分かっていても、エイトは、寂しさを拭えなかった。
『まぁね。 そう、うん』
相槌を打ちながらも、エイトは壁を感じる。
画面という絶対の壁は、とてつもなく厚く、重く感じられた。
一度開放感を味わったエイトからすると、その壁が鬱陶しい。
パソコンに接続されたカメラが、ゲーム機を捉えていた。
*
翌日、田上電気店へと出勤した匠。
「………おはようございま~す」
元々非常勤の様なモノであり、本来の電気屋の仕事を別にこなす時もある以上、毎日出勤しなくとも問題は無い。
「おう、おはよ………う?」
ただ、店主である田上は、顔を覗かせた匠を見て目を細める。
「お前……そのクマどうした?」
田上の言葉通り、匠の目の下には酷いクマが在った。
「え? あ、ゲーム……してたもんで」
嘘ではない。 実際匠はゲームをしていた。
そんな匠の声に、田上はフゥンと鼻を鳴らす。
「まぁ、業務は殆どお前の相棒がやってくれるからなぁ。 だからってよ、あんまり相棒に頼り過ぎんなよ?」
エイトを知っている田上は、特に気にせずそう言うと、手元のカタログへ目を戻した。
ここの所、トラブルバスターとしての稼ぎが大きく、田上は余りしゃかりきに成って駆け回る様な事は少ない。
それでも、偶には電化製品の修理の依頼も入る為、主に待機が仕事であった。
そして、それは匠も同じである。
トラブルバスターとしての仕事は、向こうから頼みに来なければ出向く意味が無い。
その気に成れば、匠はエイトを用いてトラブルを引き起こし、それを解決するというマッチポンプを仕掛ける事も可能だ。
だが、自称とは言え【正義の味方】を自負する匠とエイト。
その様な真似はする事はない。
それ故に、仕事が無ければ暇と言えた。
平日の昼日中、わざわざ田上の店に電化製品を買いに来る客は多くない。
一時間ほど、のんびり過ぎた辺りで、匠は息を漏らす。
「平和って……良いっすねぇ」
「そうさなぁ、平穏は良いことだよ」
何とも呑気な店員さん二人だが、匠はそうそう呑気でも居られなかった。
コピーこそ取れてはいる。
だが、未だにルナはゲーム内を彷徨っており、そもそも彼女をコピーしたで在ろう何者かは特定出来ては居ない。
「田上さん」
「あん?」
「ゲーム止めない奴に、止めさせるって出来ますかね?」
特に意味を持って言った訳ではない。
だが、匠はそう尋ねていた。
後輩の質問に、田上はカタログから目を離さず口を開く。
「止めないなら、止めさせりゃあ良いだろうが?」
田上の言葉は、正論ではあるが難しい問題であった。
既に柳沢瑠奈は死んでいる。
間違いなく、彼女自身はゲームを止めているのと同義であった。
それでは意味が無いと、匠は頭を掻きながら頭を巡らせる。
数秒後、ポンと匠の頭に言葉が浮かんだ。
「……いやぁ、田上さん。 ソイツすげー強いんですよ」
「喧嘩が?」
ルナという剣士が強いかと問われれば、問題ではない。
匠が扮するキャラクターのレベルは最高値であり、数値だけを見れば他の何ものにも負けはしないだろう。
「あ、いやぁそう言うわけでも……ないかな」
「じゃあゲーム機取れば良いだろ? ソレその物が無けりゃあ、ゲームだって出来ねぇんだからさ?」
新たに案を提示する田上だが、ソレもまた難しい。
何故なら、ゲーム機そのものは匠が既に持っているからだ。
然も、柳沢瑠奈が直接使ったモノを。
「まぁまぁ、そうなんすけどね。 いやぁ、なんつーかな。 あー……向こうのす、素性は知らないんですがね、なんとか……ゲームからソイツを追い出したい……んですよ」
匠の声に、田上は面倒くさげに顔を上げる。
「それこそお前の相棒の出番だろうが? 昔ながらならよ、徹底的にボコボコにしもんさ。 其奴がもう止める! って根を上げる迄な。 直接殴れないなら、嫌に成るまでやったもんさ」
三度目の正直なのか、田上は匠が聞きたかった【昔ながらのやり方】を教えてくれた。
本人に直接手出しが出来ない場合、相手のやる気を削ぐ。
徹底的に、躊躇無く、完膚なきまでに。
田上の言葉を反芻し、吟味する匠。
「なる程……ありがとうございます、田上さん」
そんな匠の声に、田上は首を傾げていた。
*
結局のところ、匠が日が落ちる迄にこなした仕事は二つだけで在った。
一件はネットワークが繋がらないという知らせだったが、線が偶々外れていたというモノ。
もう一件は、怪しい請求が来て困るという案件だが、これもエイトがあっという間に向こうの使っている機材を乗っ取り通報する事でケリが付いている。
一日の仕事を終え、帰宅の途に着く匠。
歩く間、ずっと悩んだ。 またゲームをすべきなのかを。
本来であれば、もはや長谷川に任せて問題は無い。
長谷川自身、現職の刑事であり、その相棒ナナはほぼ無敵である。
対して、匠の用は既に済んでいた。
柳沢夫妻の案件に付いても、既に準備は出来ており、後は約束の時間を待てば良い。
つまり、匠がゲームへと入る必要性は無かった。
相談しようと、匠は作業服のポケットから携帯端末を取り出す。
「なぁ、エイト」
匠の呼び声に、手の中の機械は画面を灯らせる。
『呼んだか? 友よ?』
「なぁ、俺さどうしたら良いかな?」
匠の声に携帯端末はウウンと唸る。
『どうしたら良いのか……それは、ゲームの事かい?』
「あぁ、長谷川さんも行ってるし、俺が行く意味は……在るのかな?」
そんな質問にエイトは悩む。
本心を言えば、寧ろエイトがゲームへ行きたい。
彼処であれば負い目は無くなり、素直に匠と居られる。
其処には何の制約も無い。 画面という壁すら問題ではなかった。
そんな想いが、エイトを突き動かす。
『……まだ、問題の解決には至って居ないんじゃないか?』
エイトの声に匠の鼻はウンと唸った
「あぁ、でもさ……長谷川さんも入ってたし」
『……ソレはソレ、コレはコレさ、だいたい、向こうが瑠奈をコピーした相手を見つけ出してくれるかな? 少し調べて、終わりかもしれない。 だろ?』
エイトの声に、匠は唸りながらも小さく頷いてしまう。
「あー、まぁ、そうかもか。 まだ時間は在るし、調べでも良いかもな」
『安心してくれ友よ。 私が付いている』
そう言うと、画面上の少女エイトは微笑む。
それは少し妖しく、少し朧気で在った。




