冒険に出よう その11
殺気立つルナだが、それに対する恐怖は匠には無い。
エイトの言葉に間違いが無ければ、理論的には女戦士を倒せるのはエイトだけだろう。
無論、匠が何もせず黙って動かずに居れば、或いはルナは女戦士を倒す事も出来なくはない。
ジリジリと間合いを詰めてくるルナ。
その様に、匠は悲しさしか感じられなかった。
仮に戦っても、意味は無い。
通常、ゲームで他のプレイヤーを倒せば、在る程度の利益も期待出来る。
そのキャラクターが装備していたモノが値打ちモノなら、それらを売り払う事で現実の金に変換する事も可能だろう。
だが、現在ゲームは閉鎖されており、匠は無理矢理押し入った部外者である。
どうしたものかと考える内にも、どんどんルナと女戦士の間合いは狭まる。
手を伸ばせば届くかどうかという時、ガラッと戸が開く音がした。
その音には、ルナですら動きを止めてしまう。
「あー……眼鏡くもる……」
「掛けて来なきゃ良いのにさ。 だいたい見えるっしょ? 眼鏡無くたって」
「いーんです! 私のトレードマークなんですから!」
入って来た声は、何とも朗らかであった。
第三者の介入と判断したのか、ルナは舌打ちすると湯船から出る。
「……後でまた……憶えておくからね?」
舌打ちと捨て台詞を残し、ルナは脱衣場へと向かうが、匠はそれを追えない。
怖くて固まっていた訳ではないが、誰かが入って来たという事実に身体を硬くしていたのだ。
「あ、どうも」
女戦士の目に、見知った人物が見える。
バスタオルに隠され肢体こそ見えないが、顔には記憶が在った。
「長谷川さん?」
「うん? あれ?」
女戦士から名を呼ばれ、戸惑う女性は、どう見ても以前知り合った刑事の長谷川。
だが、名を呼ばれた眼鏡の女性は、匠を見て首を傾げる。
「あれ? えーと? 何処かで会いましたっけ?」
「え? あー、いや……その」
ウウンと鼻を唸らせる長谷川に、匠は戸惑う。
姿こそ女性ではあるが、中身は男だからだ。
そんな中、湯気を掻き分けもう一つの声の主が現れる。
気の強そうな顔つきに、赤い髪の毛が特徴的な少女。
女戦士を見るなり、その少女の目つきは益々鋭さを増した。
「真理、ソイツ………エイトと一緒に居た奴だよ」
迷う事なく女戦士の正体を看破したのは、少女の姿を取ったナナ。
その声に長谷川の頭がゆったりと動き、目で女戦士を捉える。
「となると…………加藤…さん?」
「あ、こんばんは」
戸惑う長谷川の問いに、女戦士は気まずげに答える。
「あれ? でも、確か……男だったよね?」
酷く戸惑う長谷川に、赤髪の少女は溜め息漏らして肩に手を置く。
「何言ってんの? アバターだよ? どんな格好だって出来るんだから、ねぇ? でもさ、ほんとはいけないんだからね? ネカマって……」
飄々とした赤髪の少女ナナ。
次の瞬間、風呂場には長谷川の黄色い悲鳴が轟いた。
直ぐ様、現職刑事による厳重な注意と説教が始まった。
「………何考えてるんですか!? 非常識甚だしいでしょ!? だいたい此処は女湯なのに!? 加藤さん! いくら飢えてるからって、そう言うのは外でやるもんですのね? だいたいがですね!──」
たっぷり十分程は説教が続いた。 長谷川の語彙力はそれだけ凄まじい。
だが、場がゲーム内であると言うことも在ってか、この場で匠が女湯へ侵入したという逮捕は避けられた。
「まったくもぅ、何考えてるんですか?」
「……すみません」
バスタオルを身体に巻いたまま湯船に浸かるのはマナー違反とは言え、匠からして女湯への無断侵入をしている。
どちら側が弱いかと言えば、匠の方が分が悪かった。
とは言え、長谷川が落ち着いてくれたのを確認した匠は、何とか話題を別に反らそうと試みる。
「そ、そう言えば長谷川さん。 どうして此処に? アクセス禁止だった筈なのに」
そんな女戦士の疑問に、赤髪の少女は鼻をフンと鳴らす。
「コッチはれっきとした捜査。 そっちは何なの?」
以前戦った時に比べると、だいぶ穏やかな印象のナナ。
ただ、やはり匠を不審者として見ているのか、その目は鋭い。
睨まれている事に関しては文句は無いが、匠は別の事が気に掛かった。
「えーと、てか、なんで……」
「あたしが此処に居るのか?」
匠の質問に、ナナは肩を竦める。
本来で在れば、事件後にナナは何処かに潜んで居たと思っていた匠。
理由を知るべく、女戦士は小さく頷いた。
「そりゃあ簡単。 私と真理はね、友達だから。 友達が困ったら、助ける。 当然でしょ?」
ナナの言葉だけを聞けば、真っ当にも聞こえなくはない。
だが、以前何をしていたのかを考えると、匠は複雑であった。
何十という殺人を引き起こした者が、其処に居る。
見た目のせいで恐くはないが、それでも警戒心は残っていた。
睨み合う女戦士とナナの間で、長谷川が困った様に目を泳がせる。
「あ、あの、ま、まぁ、私達はほら! 捜査ですので、でも……加藤さんは、何故此処へ?」
職業柄なのか、長谷川はそんな質問をする。
問われた女戦士は、ウウンと鼻を鳴らし話すべきか迷う。
だが、柳沢夫妻に頼まれた事は違法かと問われると灰色だろう。
アクセス禁止のゲームに無断で入り込んだ事には変わりないが、その事を言うつは無い。
「あの、さっき……長谷川さんとすれ違った……あー、人、居ますよね?」
ルナを人と見做すべきか迷う匠だが、とりあえずはそう言った。
「あぁ、さっきの人? うん、でも、あの人がどうかした?」
「さっきの人……実は死んでて……」
コッソリと裏を明かす匠。 だが、何故か長谷川からの返事は無い。
「長谷川さん?」「真理?」
匠とナナは、揃って長谷川を窺う。
虚ろな目をした長谷川は、何を思ったのかバシャンとそのまま湯船へ倒れた。
「ちょ! 長谷川さん!?」「あー!! もう!?」
以前、エイトを見た時も、長谷川はそのまま卒倒した事を匠は忘れていた。
*
風呂場に、バシャンと音が響く。
ナナが目を回す長谷川に冷水を掛けた。
「……ヒャ……冷たい!?」
気絶した長谷川を起こすには水をぶっ掛けるだけで済んだ。
ただ、何が起こったのかと長谷川は慌てて辺りを見渡す。
すると、自分を心配そうに見守る目が女戦士とナナの目が見えた。
「あー、何度見てもびっくりしますよ」
「あたし初めて見たけどさ、そんなにビビらなくっても……」
そんな声に、長谷川は鼻をウゥと悲しげに鳴らした。
とりあえず湯船に浸かり直し、仕切り直す三人。
「……えーと? あぁ、そうそう、加藤さんは何でこのゲームに?」
回り回って最初の問題へと立ち返る長谷川。
問われた匠は、静かに息を吸い込み、苦く笑った。
長谷川という刑事に、エイトと同様のナナという存在が付いている以上、誤魔化しても意味は無い。
ならばと、女戦士は弱々しい目を長谷川へと向けた。
「さっきのキャラクター……ルナって言いまして。 たぶん長谷川さんなら知っていると思うんですよ。 柳沢瑠奈って子」
その名前には、確かに記憶がある長谷川。
事実、遺体こそ藤原から見るなと言われ見ては居ないのだが、調査はしていた。
色々と調べる内に、今居る【アナザーワールド】というゲームを探し当て、ナナと共に所謂潜入捜査をしていたのだ。
「あぁ、うん。 知ってる」
怖ず怖ずといった返事を聞いた匠は静かに頷く。
「でですね、その子の親から……娘さんを引っ張り出して欲しいと頼まれたので」
女戦士の声に、ナナは目を細めた。
目の前の女性が匠である事をナナは既に看破している。
姿見こそナナに取ってはどうでも良い問題であった。
重要なのは、格好どうこうではなく、その目的。
それでも、自分と長谷川に害を及ぼさないのであれば、ナナは口を挟むつもりは無い。
「ええと? でも、そんな事……出来るんですか?」
キャラクターをゲームの外へと引っ張り出すという事を訝しむ長谷川だが、勿論、それ自体が出来ない事は匠もわかっては居た。
「あ、いや……さっきも、少し話したんですけど。 とりつく島も無くって」
失敗してしまったと苦く笑う女戦士に、長谷川は鼻を唸らせる。
「じゃあ、どうするんです?」
次の長谷川の質問の答えは難しいモノではない。
ただ、言い辛いモノであった。
「まぁ、コピーは取れたんですよ。 だから、出すと言うよりも、とりあえず親御さんへの言い訳はなんとか……」
トラブルバスターとしては、頼まれた仕事の半分以下しか出来てないという自覚が匠には在った。
それを長谷川は責めない。
そもそも【死人を蘇らせろ】という方が無理がある。
女戦士の言葉には、ナナは目を伏せていた。
今は長谷川と出逢い、人殺しは避けている。
だが、避けているだけであり、した事は消せない。
下唇を噛み、苦い顔を浮かべる赤髪の少女。
実に気まずい空気に、長谷川は慌てて両手を軽く振った。
「と、ともかく、今日はほら! 皆さん休んで! また後で……皆で何とかするというはどうでしょう?」
場の空気を何とかしたい長谷川。
彼女の真摯かつ真面目な声に、女戦士と赤髪の少女は少し笑えた。
*
思いもよらずの再会ではあったが、匠は長谷川達とは別れた。
今のところは目的が違うからである。
風呂上がりの髪を乱雑に拭きつつ、部屋へと戻る女戦士。
湯上がりだからか、傍目には艶を増した妙齢の女性とも見える。
しかしながら、ガシガシとタオルで頭を拭うその動作は、どう見ても男性のソレであった。
「うーい、戻ったぞぉ」
エイトという相棒が部屋で待っていると知っているからか、ノックもせずに宿の部屋へと入る。
入った途端、女戦士は硬直していた。
「あ、お帰り」
実に朗らかな猫耳少女エイトだが、手に持った皿から焼きそばらしい麺料理を食べていた。
それだけならば、女戦士も大して驚きはしなかっただろう。
驚いた理由だが、部屋は食べ跡残された皿が乱雑に山ほど在った。
「なん、な……何です、コレ?」
思いも寄らぬ光景に、匠は焦るが、猫耳少女は悪びれる事なく麺を啜った。
モグモグと咀嚼し、ゴックンと飲み込む。
「いやぁ、にゃんか……食べ始めたら止まらにゃくて……」
新しく獲得した【味】という概念は、エイトを虜にしていた。
部屋に散らばるモノが宅配なのかルームサービスなのかはともかくも、匠は、手で目を覆っていた。




