冒険に出よう その10
時計は無いが、空が暗く成れば夜が近いのだと分かる。
宣言通り、宿を探す女戦士と猫耳少女。
ぶらぶらと適当に歩いている内に、女戦士は「おっ?」と唸った。
どういう原理で発光しているのかは不明だが【宿屋】と掲げられた看板。
ソレを見た女戦士は、パッと看板を指さしていた。
「おお! 在ったぜエイト」
そんな声に猫耳少女は身を細める。
今の匠は男性ではなく、エイトによって女性と化している。
ただ、何故か少し抵抗を感じていた。
「友よ。 邪にゃ事を考えてはいまいにゃ?」
ジト目のエイトに、女戦士は笑う。
だが、こめかみ辺りには力が入り、笑っていると言うよりも、引きつっているという方が近かった。
「邪もクソも在るかよ……どっかの誰かさんのお陰でさぁ、なんか、別の趣味に目覚めそうだわ」
怨念混じりの声に、猫耳少女は肩を竦めた。
「まぁ、ともかく入ろう」
何を思ったのか、エイトは自ら進んで宿へと入る。
女戦士はキョトンとするが、猫耳少女は振り返った。
「何してる? 入るんだろう?」
そんな声に、匠は「あ、うん」と後に続いた。
*
外観通りなのか、宿の内装は大半が木造だが、よく手入れされていた。
だが、年月経過らしい跡は見て取れる。
それらを見た女戦士は、へぇと唸った。
本来ならば、ゲームの中である以上細かい所は適当なのではないかと思って居たが想像以上に細かく再現されている。
調度品から床の軋みまで。
それらに感嘆しつつも、宿の主の方へと目を向けた。
「いらっしゃい、冒険者だね? お二人様で良いかな?」
人当たりが良さそうな声に、匠も気を良くする。
宿の主人らしきキャラクターは、牛乳瓶の底の様な眼鏡を掛け、口元と顎は白い髭に覆われて表情は窺えない。
咥えているパイプからは煙が上がるが、本物ではないからか、紫煙の臭いは無かった。
「あー、はい、二人です」
女戦士がそう言うと、宿の主はチラリと横を向く。
「そうかい、じゃあ部屋はどうするね?」
そう言うと、宿の爺さんは、壁に掛けられたら表をパイプで差す。
どれどれと表を覗く女戦士。
一番高い部屋から、外の馬小屋まで選択肢の幅は広い。
ただ、匠自身はこの世界に置いては無一文であった。
泊まると成ると、タダで泊まれるのは馬小屋だけ。
屋根と壁が在るだけ野宿よりはマシと言えるか、余りに侘しい。
「あのー、えーと……」
馬小屋貸してくださいと言えば良いのだが、女戦士は口を噤んだ。
何が悲しくて幻想的な世界で馬小屋に泊まらねば成らないのかと。
戸惑う匠に代わり、エイトがスッと前に出る。
「そのロイヤルスイートで良い」
そう言うと、猫耳少女は気前よく金貨を放る。
何処から金を出したのか、匠に取っては甚だしい疑問だが、宿の主はスッとカギを差し出して来た。
「二階の一番奥だよ。 風呂はご自由に………」
そう言うと、パイプを吹かす。
主から差し出された鍵を受け取ったエイトは、女戦士へと目を向ける。
「さ、行こう?」
「あ、あー、はい」
どう見ても年下の猫耳少女に、女戦士は呆気に取られつつも後に続いた。
*
エイトの選んだ部屋は、値段だけあって実に豪華と言えた。
宿の外観から比べるとやたらと凝っている。
上品はカーペットや大きめなベッド、クローゼット等も少し奇妙な形ではあるが、高そうなモノが置かれている。
テレビ等の家電は無いのだが、ゆったり過ごせそうな空気に、匠は唸った。
「はぁ……こりゃあ凄い」
思わず息を漏らす匠に、エイトはムフフと不敵に笑っていた。
「そうだろうそうだろう。 どうだね友よ、少しは見直してくれたかい?」
そう言った胸を張る猫耳少女。
少女である故か、隣の女戦士と比べると些か身体に起伏が乏しい。
それでも、溢れる自信は感じられた。
「ははぁ、エイト様のお陰です」
そう言った女戦士は一旦は頭をぺこりと下げる。
だが、直ぐに下げた頭を上げた。
「……って、お前。 異常で所持金増やしただろ?」
当たり前だが、匠はエイトが何かしらの事をして所持金を得たのではないとわかっていた。
大体のゲームならば、町という安全地帯の外で戦うか、何かしらの仕事をしなければ所持金は増えないモノである。
咎める女戦士の声に、猫耳少女は唇を蛸の様に窄めた。
「そう言う夢の無い事を言うもんじゃあにゃい。 楽しめれば良いだろうに?」
上機嫌だった筈なのに、水を差されたエイトは眉を寄せる。
プンプンといった猫耳少女だが、その頭に女戦士の手が乗った。
「あぁ、すまん。 悪かったよ」
詫びつつ、ゴシゴシと猫耳少女を撫でる匠。
手に伝わる感触が本物そっくりであり、女戦士は微笑む。
エイトを撫でる。 ただそれだけだが、実感として在る。
匠に撫でられる猫耳少女も、気持ち良さげに目を細めた。
「……さてさてと、風呂も在るって言ってたなぁ」
撫でる手を止め、女戦士はそう言う。
未知の世界でも風呂に入る事が出来るという期待に胸を膨らませた。
一方、撫でられるのを中断されたエイトは不満そうだが、相棒の声にウンと鼻を鳴らす。
「友よ。 まぁた邪にゃ事を……」
そう訝しむ猫耳少女ではあるが、当の女戦士は肩を竦める。
「邪も無いだろ? だいたいよ今はこんなんだぜ?」
肩を竦めて見せる女戦士だが、体つきは猫耳少女とは比較するのも迄もない。
エイトは、それを見て鼻をムゥと唸らせていた。
*
結局の所、風呂には女戦士一人が向かう。
エイトもどうだとは誘ったが、匠が出てから後で行くと、取り付く島もなかった。
「ちぇ、どうせなら一緒に入れば良いのにさ」
ボソッと独り言ちる匠だが、エイトに興味が在るのかと言われれば在った。
感触や味、それらが今のエイトは分かる。
この上、何処までそれらが分かるのか、興味が湧く。
あんな事やそんな事といった妄想が、匠の中には在った。
女性でありながらも、なんとも言えない妖しい笑いを浮かべつつ、女戦士は風呂場へと向かう。
ただ、いざ風呂場へと来た時、匠は迷う。
プレイヤーへの配慮なのか、風呂場は男女で別であった。
此処で匠を悩ませるのは、自分という立場である。
中身は匠という男なのだが、外見は女戦士のソレであり、男湯へ入ると言うのは気が引けた。
現在ゲーム内には、他のプレイヤーは居ないが、もし、他の男性が居ると非常に気まずい。
だからといって、女湯に入ると言うのも心苦しい。
傍目には女性の姿こそしているが、あくまでも匠は男性。
では、我慢出来るのかと言われると、匠の中の悪魔が囁いていた。
──大丈夫、見た目には女だからさ。 バレないって──
そんな囁きに、匠は逆らえなかった。
そもそも、相手はゲームキャラクターであり、個人ではない。
で在ればと、女戦士は顔をキリッとさせる。
「失礼しま~す」
そんな声と共に、女戦士は見た目通り女湯へと入り込んでしまった。
恐る恐る、脱衣場を窺う匠。
幸か不幸か、脱衣場には匠以外誰も居ない。
「……うーん……まぁ、良かったのかなぁ?」
半分は安堵しつつ、半分はガッカリしながらも、匠は適当な籠を手に取っていた。
着替え自体は差ほど難しいモノではない。
と言うのも、結局の所女戦士は男物を着ていたからだ。
女性物の衣服に疎いと言うのもあるが、店で売っている大半は着るのを憚られるモノしかない。
だからこそ、匠は男物を着ている。
とにもかくにも衣服を脱ぎ捨て、慌ててバスタオルで身体を隠し、いそいそと風呂場へと向かう。
ただ、急いで居たせいか他の誰かの鎧など置かれていても、それに匠は気付けなかった。
*
浴場への入り口はガラスではなく木製。
それを開けると、暖かい蒸気が身体に当たる。
「おぉ~……スゲェ」
見事なまでに再現されている事に、匠は思わず感動した。
たかがゲームだろうと思っては居たが、現実さながらの感覚に、女戦士の鼻は唸る。
さっそくと湯加減でも確かめようと浴槽を捜す女戦士。
だが、其処には思っても見なかった先客の姿。
「……あ」
湯に浸かる少女には、見覚えが在る。
ソレは、柳沢瑠奈を模した剣士ルナであった。
匠の声が聞こえたのか、ルナはチラリと女戦士を窺うと、小さく頭を下げる。
会釈を受け女戦士もまた、小さく頭を下げた。
先客が居るからか、とりあえず掛け湯で自分の身体を濯ぎ、身を隠す様に湯に浸かる女戦士。
すわ混浴かと思った匠ではあるが、元々は女湯だと思い出していた。
湯に入ってしまった以上、どうしたものかと悩む女戦士。
匠の主観で言えば、男の癖に女湯へと入り込んだ不審者の心持ちだが、エイトの操作のせいで今の匠は女性の姿を取っている。
だからこそ、先客であるルナも特段気にする様子は無かった。
困った様に目を泳がせる女戦士。
文句こそ言われないが、現実で在れば大問題に発展しかねない。
だが、今の匠は胸の内はともかくも、傍目には女性であった。
チラリとルナを窺うと、湿気を吸って艶を増した髪と湯によって濡れる肌は綺麗に見える。
匠には、ルナは死人には見えなかった。
ルナを窺う匠だが、その為か、ルナの目が女戦士を捉える。
「……何か用?」
じろじろと見られていた事に、ソレを尋ねるルナ。
「え? あっと、その……」
問われた匠は、答えに困った。
エイトは、ルナの事を人工無能だと語っている。
ソレを聞いた匠ではあるが、ルナの反応は実に自然に見えた。
もし、このルナをエイトが完璧にコピーしていたのならば、柳沢夫妻が気付く事は無いのではないかと。
「ゲ、ゲーム始めて、長いんですか?」
思い付いたままを匠は口に出す。
別に世間話がしたかった訳でもないが、何とか誤魔化したい。
女戦士の声を聞いたルナは、顔をしかめる。
「……そう言う言い方、やめなよ」
「え、と……」
咎める声に、匠は狼狽える。
「貴女だって此処に来たのは外が嫌だからでしょ?」
鼻をフフンと鳴らし、ルナはそう言う。
無論、匠からすればゲームに入った理由は別に在る。
だが、【貴女死んでますよ】とは言えなかった。
「あの、それは……まぁ」
「だったらさ、別に良いでしょ? 何時なんて誰も気にしない、そんな外のしがらみを、コッチに持ち込まないでよね」
諭す様なルナの言葉に、匠は返答を躊躇していた。
ゲームを心から楽しんでいるといった風情のルナ。
だが、その本体である柳沢瑠奈は死人である。
そうと分かって居ても、聞いてみたかった事が匠には在った。
「あ、でも、お父さんお母さん……心配してましたよ?」
匠からすれば、ルナのコピーは無断で取ったという負い目が在った。
出来る事なら本人の了承を得たい。
ただ、匠は一つ忘れていた。
エイトも言ったが、個人の思想、思考はその人だけのモノでしかない。
匠の言葉に、女剣士ルナは、酷く不機嫌そうな顔を覗かせる。
ザバッと湯から立ち上がり、女戦士を見下ろす。
肢体が露わに成ってしまうが、そんな事は気にしていない様であった。
匠にしても、ルナの剣幕にその身体など気にしては居られない。
「叩き出してあげる。 だって、あんた彼奴等の仲間みたいだし……」
殺気立つルナに、匠は息を飲んでいた。




