新たなる同居人? その4
二人言うには些か差し支えがある匠とエイトだが、とにもかくにも、朝から何も食べていない匠からすると、何か腹に収めたかった。
早速とばかりに訪れたのは水族館の中にある各飲食店。
幾つかの料理屋が軒を揃え、そこにお土産屋まで加われば実に賑やかである。
「さぁてとだ、何食うかな?」
『いや、それを私に言われてもなぁ……まぁ、ラーメンなんか良いんじゃないか?』
幾つか店が在るという事は、料理の品目も雑種多様に入り乱れている。
だが、殆ど迷う事無く、エイトは匠が【今食べたいモノ】をズバリと言い当てていた。
「へぇ~……すげーじゃん? よく分かったな?」
『それはそうさ、何せ君のインターネットの閲覧履歴を調べて……』
「ち、ちょちょちょ、ちょい待ち。 何勝手に調べてんの?」
『ん? 駄目なのか?』
エイトの軽い返事に、匠は周りを窺ってから長いため息を吐いた。
匠からすると、如何にエイトが人ではないとはいえ、繊細に欠けると悔やむ。
それに加えて、匠も在る程度の年齢であり、調べられると大変気恥ずかしいモノでもあった。
「……あー、そのなエイトくん。 前にも言ったがそういうのはね、個人情報と言ってな、ポンポン調べたり、バラしたりしちゃあ、いかんのだよ?」
『ふぅむ? そうか……わかった。 以後気をつけよう』
言葉と共に、画面の中のエイトもシュンとし、飼い主に怒られてしまった子犬の様に見え、匠は思わず抱き締めたい衝動に、ニヤニヤと頬を緩ませる。
匠からすると画面越しと言うことが、これほどまでにもどかしいとは想像した事すらないが、慌てて咳払いでお茶を濁す。
「んっんぅ、あー、とにかく飯にするぞ! うん!」
咳払いを一つ。 匠はそそくさとラーメンのコーナーを目指す。
カレーライスやパスタ、牛丼など他にも色々在るのだが、どうせならエイトの助言を生かしたかった。
*
「お待たせしましたー」
店員の気のない声はともかくも、匠が選んだのは、いわゆる一般的な醤油ラーメンに炒飯のセットである。
料理を受け取るなり、それらが乗ったプラスチックのトレイを抱えつつ、出来るだけ周りに人が居なそうな席を目指すが、コレは別に匠が人嫌いという事ではなく、独りで携帯端末に話し掛けているという姿を見られたくなかった。
「ふぃー……とりあえず一息付けたな」
言葉通りフゥと息を吐きつつ、匠は徐にポケットから携帯端末を取り出し、テーブルへと置くが画面は消灯していた。
「むむ? 何だよ」
独りで食べるというのも味気ないのか、匠は画面をツンツンと指で突っついてみる。
これが普通の携帯端末であれば、消灯している以上、反応を期待する方に無理がある。
だが、匠のソレはパッと画面が点った。
『なんだ? 友よ?』
指で突っつかれたせいか、画面に現れたのは美少女ではなく歪な円であり、声もあの嗄れ声。
そして、映ったエイトの顔は不機嫌そうであった。
「えぇぇぇ……なんだよ……結局そっちなのかよ?」
エイトの顔を見るなり、割り箸を持つ匠も不機嫌であった。
『無茶を言うな、これでも電力量には気を使って居るんだ』
「なんだよ、あの姿だとそんなに電気食うの?」
『食う……という表現が妥当かどうかは別にしても、まぁ少しは我慢してくれないか? これでも努力して工面しているんだ。 それに、コッチが私の本来の顔なんだぞ?』
「あいあいさー、分かってるって」
名残惜しいが、今のところ匠の注意は食事へと向いていた。
深い茶色の湖面に脂の玉がキラキラと浮かび、それらを纏ったメンマやチャーシューが艶を増し、細かく刻まれたネギがそれらの真ん中に鎮座している。
そして炒められたばかりの炒飯はまだ湯気を漂わせており、僅かに色付いた米を周りの具材達が引き立てていた。
早速とばかりに、香り漂うスープの海へと箸を入れ、麺を持ち上げる。
多少話してはいたが、未だに冷めてはいない。
フゥフゥと息を吹きかけ、気持ち麺を冷ましつつ口への誘う。
暫くの間は、食事に夢中に成っていた匠だが、半分程食べた所で、視線に気付いた。
勿論、白黒の円を目と言うには些か厳しいが、傍目にはあたかもエイトが匠を興味深そうに見ているとも取れる。
「あの……なんすか? なんかジロジロされると……」
『それ、どんな味だ?』
エイトの嗄れた声に、匠は目を丸くしてしまった。
「あん? あ、いやー、まぁ、普通……かな?」
匠からすると、問われた【味】に関しては答えに困った。
基本的な五味は、甘い、しょっぱい、酸っぱい、辛い、苦いという五つだが、それに加えて旨味や素材の味というモノが加われば無限大とも言える。
そして、ラーメンにせよ炒飯にせよ、そんな簡単に説明出来る味ではない。
そもそも【●●とはどんな味?】と問われて、それに明確に分かるように答えられる人物は希有だろう
『質問の仕方が間違っていたな。 その食品は旨いのかな?』
「んー? あぁ、まぁ値段なりってとこかなぁ。 そりゃあ、街でやってる様なさ、本格的な店のこだわりラーメン! って訳にはいかないけど、結構食えるよ」
『成る程……』
言葉の後、画面に映るエイトの目が線の様に窄まる。
約二秒間エイトは静止していたが、パッと画面上の円が動いた。
『……恐らくだが……コレが羨ましいという感覚なんだろうな』
感慨深げな声に、匠は丼を持ちスープを啜る。
「羨ましいねぇ? でもさ、俺からするとソッチの方が楽しそうな気がするけどさぁ」
『ホントにそう思うのか?』
エイトの声に、匠は腕を組み想像した。
自分が画面の向こう側の住人で在ったならと。
テレビゲームやアニメ、映画と様々な記憶が匠の頭を過ぎる。
チンアナゴや他の魚のお陰か、はたまたそれを見たがったエイトのお陰か、匠の脳裏には様々な想像が産まれた。
ド派手かつ、ヤケにゴッテリとした無骨なライフル片手にパワードスーツを纏い悪魔と独りで大戦争を勝ち抜く。
剣と魔法を武器に、マントを翻しつつ、頼れる【エイト】である魔法少女を相棒に世界制覇を目論む邪悪な龍を退治する。
広大な農地に、あの【エイトたん】と共にのんびり穏やかに過ごしつつ、日が落ちる頃には、恥ずかしそうに微笑む薄着な彼女と杯を交わし、二人でなんやかんやと過ごす。
「おぉ~……夢は無限に広がるぞ」
カッと目を見開きながら、匠は画面に映るエイトへとそう言うと、歪な円は僅かに潰れた様に歪む。
『……なんと言うべきかな……友が、邪な想像をしているのは分かった……』
エイトの窘める様な声に、匠は眉を寄せた。
「何でだよ? スッゲー楽しそうじゃん? ソッチ側はさ? てか、エイトって何が出来るんだ?」
尋ねた匠からすると、未だにエイトの能力は未知数としか言えなかった。
歌って踊れるプログラムというモノも無くはないが、今のところエイトがして見せたのは画面に映る顔やスピーカーから流れる声を変える事だけ。
だが、よく言えばサバサバしつつ、悪く言えばズボラな匠は、在ることには気付いて居なかった。
【一個の知的生命体の如く、エイトは質問に完全な応答が可能】
それは、世間に置いては未だに完成しては居ない。
そもそも生物を除けば【閃き《インスピレーション》】の人工物への実現は不可能とさえされている。
だが、そんなエイトは自分の事には気を向けず、未だに残っている炒飯やラーメンへと目をグリッと向けていた。
『ま、それは色々とな。 お……麺がのびるし、冷めるぞ?』
「おっとと、いっけねぇ。 食べ物の無駄はよくねーよな」
そう言うと匠は慌てて箸を取るが、当のエイトはと言うと、まるでやれやれ言わんばかりに画面上の顔を左右へと振っていた。
*
結局のところ、食事の後に匠がせっかくだからとエイトに色々見せて回ったところ、一番喜んだのはクラゲである。
水槽の前にて、周りをコソコソと窺いながらも携帯端末を構える匠。
一応、水族館の壁にはそこかしこに【撮影はお控えください!】という注意は在ったが、出来るだけエイトに色々と見せてやりたくなっていた。
だが、匠からすると、エイトの興味がイマイチ理解が出来ない。
大きな鮫やイルカには差ほど興味を示さず、見たいと言ったのは彩りのウミウシやクラゲ。
ウミウシの彩りに付いては匠も美しさは分かるが、クラゲに付いては理解が及ばない。
チンアナゴ以上に、クラゲは動きはするのだが、端から見ているとフワフワと水中を漂って居るだけであり、何か明確な意志は匠には見えない。
『おぉ~……友よ……泳いで居るぞ』
「うん、まぁ、クラゲさんも生きてるからなぁ、動くわな」
『また気のない事を言うな? 素晴らしいとは想わないのか?』
「うーん?」
必死に鼻を唸らせクラゲを凝視《ガン見》する匠。
よくよく見れば、クラゲもまた味わい深いのではないかと思う。
だが、実際のクラゲはフワフワと漂うのみであり、コレといった変化には乏しい。
『分からないか?』
「わからん」
匠の即答に、携帯端末からは深い深い溜め息の様な音が漏れた。
『良いか? 検索した結果、クラゲとは体のほとんどが水だ。 彼等の実体はほんの少しでしかない。 それでも、明確に彼等はあそこに居るぞ?』
「ほぅ、ほほう? あー、まぁ、そうだろうな?」
『私は体が無い』
「え?」
エイトの冷たく端的な声に、匠は、ふと前に聞いた話を思い返していた。
本人という言葉が正しいのかはともかくも、エイトは自らをプログラムの様なモノだと答えている。
「あー、なんだ? アプリケーション? みたいな?」
『具体的に私が何かはともかくとも、私には君やあのクラゲ達の様な体は無く、親も居ないのか。 私は独りなのかな』
エイトの寂しげな声に、匠は頭に電球が光るのを感じた。
「なに言ってんだよ、手足は無いかも知れねーけどさ、今あれだろ? 俺のスマホとかパソコンがお前さんの体って事で良いんでないの?」
匠はあまり深く思い悩む事もなく、エイトを励ましたかった。
「でだ、あのクラゲ達だってさ、親なんて居るかも知らねーけど、そんなもん彼奴らもたぶん知らないだろうよ。 でもさ、エイトの親くらいなら探すのは手伝うさ」
次の瞬間、匠の声に呼応するかの如く、携帯端末の画面が僅かに揺らぎあの美少女が映った。
『友よ、どうやら君に会えて良かったよ。 少しはサービスするとしよ……』
エイトの意志に、初めて【後悔】という念が芽生えた。
余計な事を言ってしまったと悩むエイト。
携帯端末のカメラは、ニンマリと何とも言えない邪な笑みを浮かべる匠を捉えていた。