新たなる同居人? その3
日は明け土曜日だが、匠は画面と見つめ合う。
そして画面の向こうからは、歪な円で表示されたエイトも不満そうな顔を現していた。
「なぁ、エイト……」
『なんだ? 主よ?』
「俺達ぁ、まぁまだ知り合って数時間だが、友達だよな?」
匠の真剣そのものな声に、スピーカーからはウームという唸りが響く。
『あー、確かに私は君しか知らないからな……友よ』
「でな、そんなたった一人の友がだ、ちょっぴり顔を変えてくれって頼んでるんだよ? 駄目?」
結局の所、匠は未だに諦めが着いていない。
自分の呼び方が変わっている事にすら気付かないほどに。
ほんの僅かな時間しか【美少女エイト】を拝んでいない以上、彼の欲求はもっと見せろとエイトにしつこく食い下がっていたのだ。
『……どうしても……か?』
「どうしてもだ」
まるでこれから戦場に赴くとでも言わんばかりの匠の声に、エイトの歪な目は、線の様に窄まり、スピーカーからは溜め息にも似た音が漏れていた。
『……分かった……』
「本気か!? さっすがエイト様! 話が早い!」
『だが、友よ……条件を一つ出したいんだ』
「条件? おいおい、金なんかねーぞ?」
『そんなモノはどうだって良い。 ではと……』
匠と言葉を交わしつつも、エイトの目はカッと開いた。
『友よ、携帯端末の類は持ってるか? 情報によれば……』
「だぁかぁらぁ、 勝手に調べるってのにぃ……スマホとか? あぁあぁ、御座いますですよ?」
そう言うと、匠は手を伸ばし愛用の端末を手に取り、画面のエイトへと近付ける。
すると、エイトの目はまるで端末を凝視しているかの様であった。
『ふむふむ……良し。 ではその端末をパソコンへと繋いではくれまいか?』
「繋ぐって、なんかダウンロードでもする気かよ?」
『なに、悪い様にはしない。 信用してくれ』
エイトの言葉に匠は鼻を唸らせたが、恐る恐るコードを一本掴むと、それを端末へと差し込む。
『良し……ちょっと待ってくれ』
そんなエイトの声と共に、画面に変化が起こった。
例えるならば、並々と水が溜まった風呂桶の栓の抜かれ、水が抜けて行く際に螺旋を描く時が在る。
匠は今の画面から何故か横回転しながら下へと消えていくエイトの印象に、そんな風に考える。
次の瞬間、匠の携帯端末からチーンと軽い音が響く。
たとえるならば、電子レンジが加熱を終えた様な音だった。
「……えぇぇぇぇぇぇえ……え?」
匠は思わず、低く地を這う様な声を出してしまった。
何故ならば、愛用の端末の画面に、サイズは小さいがエイトの丸い顔がポコッと浮かんだからだ。
『よし! コレで一緒に出掛けられるな! 友よ!』
「あー、はい」
嗄れ声ながらも嬉しそうなエイトの音声に、匠も一応の返事を返した。
*
匠からしても、今回のお出掛けは実に不可解だろう。
ぱっと見では匠はお外用の出で立ちながらも、独りである。
だが、匠の主観から言えば【独り】ではない。
そして、在る意味二人が来たのは、エイトの希望によって水族館であった。
様々な水槽はともかくも、チラリと周りを窺う匠。
コッソリと携帯端末に向かって喋っても誰かに聞かれる事はないと踏んだ。
ポケットへと手を伸ばし、携帯端末を匠が取り出すなり、独りでに画面に光が走り、エイトの顔が浮かぶ。
『おー……此処がそうなのか……』
「あーあーそうだよ、お望みの水族館で御座いますよ?」
匠の声に、小さめに映るエイトの片目がキュッと窄まった。
『んぅ? なんだ友よ? 友達同士でせっかく休日のお出掛けなのだぞ? もっと嬉しそうにしたらどうなのだ?』
エイトの若干棘が見え隠れする言葉に、匠も片目を窄めた。
「えーえー、勿論嬉しいですとも? 入館料は一人分ですし? 交通費も一人分。 とはいえエイト、とりあえず俺は条件は満たしましたよね?」
『んー? 何の事だ?』
「おま、お前……」
『冗談だ友よ、分かっている。 それと、大きな声は出すなよ? 魚達が怯えるだろうからな』
エイトの窘める用な言葉に、匠は周りを慌てて窺うが、どうやら見られては居ないと分かりホッとした。
何せ匠は客観的には独りである。
エイトが映る携帯端末を持っていたとしても、外見上は一人と言えた。
「あーまー、良いけどさ。 結局何が見たかったんだ?」
『うむ……それでだ、友よ。 チンアナゴという名前の魚が見たいのだ』
エイトの声に、匠は鼻を唸らせ眉を寄せた。
せっかく代金を払い、わざわざ遠出して水族館まで脚を向けたにも関わらず、エイトが見たいと語ったのは【チンアナゴ】である。
匠の主観から言うと、エイトの興味の対象が理解出来なかった。
「いやいや、なんで? もっとなんかないの? あー、美味そうなマグロが見てーとか、サメが悠々自適なのが見てーとかさ」
匠の怪訝の声に、端末の画面に浮かぶエイトの顔の上に、ピコンという小さな音と共に電球が灯った。
グルグルと回り始めるエイト。
何事かと匠は心配してしまうが、次の瞬間、彼は目を見張る。
なんと、見たい見たいと思っていた【エイトたん】が、両手を合わせてすまなそうな顔を浮かべていたのだ。
その様は、画面という隔たりが無ければ今すぐ抱きかかえたいほどである。
『……お願い……ね?』
そんなエイトの声は、まるで子猫が飼い主に甘える様な音であり、それを聞いた途端に、匠は顔をキリッと引き締めていた。
「任せな、相棒」
匠の主観に置いて、可能な限り渋い声でそう言うと、彼は一目散に【チンアナゴ】が展示されているであろう区画を目指す。
だが、匠に握り締められている携帯端末の画面には、肩を竦めてやれやれと言わんばかりのエイトが映っていた。
*
『おぉ~……』
どうやら、エイトは携帯端末のカメラを介して外を【見ている】らしい。
匠の水槽へとかざす携帯端末からは、エイトの感慨深げな声が漏れるが、匠からすると退屈であった。
ニョロニョロと細いモノが蠢き、時折振り向く。
それが、匠の感想であった。
「なぁ……これ……面白いか?」
『何を言う? こんなに面白いではないか?』
エイトの声に匠も水槽へと目を向けるが、首を傾げた。
何十匹と生きては居るが、逆に言うとそれだけである。
動きらしい動きと言えば、ヒョコヒョコと体を上下させ、時には揃って振り向く。
「そうかねぇ? 人気って言うけどさ……」
そう言うと、匠はコッソリと周りを窺う。
【人気】という言葉通り、何種類ものチンアナゴの仲間達もが展示されており、中には、今のエイトの様に子供達が興味深そうに水槽を眺めている。
次の瞬間、チンアナゴ達がまた一斉に首の向きをクイッと変えていた。
『……おぉ、動いたぞ友よ……』
実に嬉しそうなエイトの声に、匠はフゥンと鼻を鳴らした。
基本的にチンアナゴは目立った動きは無く、風にそよぐ若草の様であり、匠からするとどうとも思えない。
「そりゃあ、まぁ生きてんだから動くだろうよ?」
『分からないのか? あの魅力が?』
「いや、別に……」
興味無いと言おうとした匠だが、ずっと昔に親から言われた言葉を思い出していた。
周りで水槽を夢中で見守ってる子供達と同じ年頃の頃、匠も親に連れられ、水族館に来たことが在った。
【あんなモノ見て面白いか?】と、そう言う父親の声。
思い返して見れば、他の水槽を眺めている様な子供の頃、実は匠も今のエイトと同じであった。
具体的に【何がどう面白いか】という言葉は説明出来ないのだが、一番夢中に成っていた。
初めて見る奇妙な生き物に、目を奪われる。
たったそれだけで、様々な夢や空想が頭に湧き出る。
─あの下はどうなっているのか? もしかすると、実は別の世界から僕達を覗いて居るのかも知れない!─
何も知らなかったからこそ、無心に空想し、無邪気に楽しめた。
魅力という言葉すら知らなかった子供の頃、時間も忘れて眺めながらに【出来ることならこいつら家で飼いたい】とさえ匠は考えていたが、其処から今にいたる人生に置いて、時間は匠を変えていた。
他の子供達がどう想い感じているのかすら分からない。
大人に成った匠は、水族館など一切興味すら湧かず、意味が無いとすら考えてしまうが、今は少し違っていた。
「……そういや、前は楽しかったのにな……」
『そうか? では、今は楽しくないか?』
画面に中でニンマリと笑うエイトの顔。
そんな笑みに、匠も無理矢理な笑顔を作った。
「おうおう、お前と一緒で楽しいぜ? でもさ、なんで水族館なんだ? なんか理由が在るんじゃないのか?」
『理由か、簡単だよ。 見たいから、君に連れてってと頼んだのだ』
「は?」
『は、と言われてもなぁ。 いけないか? 例えるならば、動画で鑑賞するのと、実際に生きているのを見るのは違うだろう?』
エイトの声に、匠も倣う様に水槽へと目を戻す。
愛くるしいというとまでは匠は感じないが、程良く癒される感覚に、思わず頬を緩めていた。
得体の知れない人工知能とはいえ、まだ無邪気な子供なのだと。
『……ただな、水槽の中に入れられた彼等は、本来生きて居るであろう海を知らない。 それでも、此処以外の他に世界が在ろうが無かろうが生きていける。 それは幸せだろうか?』
「あー、おう?」
エイトを無邪気だと考えていた匠からすると、今の言葉は不意打ちに等しく返答に困った。
『私も同じだろうか?』
「お?」
『チンアナゴ達が自分が幸せかどうかを判断出来るのか? 外敵は無く、完璧に調整された揺りかごの中で生きている。 いや、判断などそもそも出来はしないのかも知れない。 それでも、管理された世界に生きている』
「あー、エイトさん?」
『気にするな、ただの感傷って奴だよ』
何とも言い難いエイトの声に、匠はフゥムと鼻を鳴らしていた。
結局の所、エイトと匠は他にも色々と見て回ったが、一つ問題がある。
携帯端末の技術の進歩の結果、バッテリーの残存はまだまだ余裕が在るが、匠はそうも行かない。
午前中、歩き回れば腹も空く。
「うぃー、ちぃと歩き疲れたなぁ、なぁ」
『うん?』
「腹減ったからさぁ、なんか喰わない?」
『あー、うーむ、そうだな』
「よしきた! 飯行こう、飯!」
エイトが可愛らしい外観と声を出している以上、ずっと上機嫌に話して居たからこそ匠は気にしていないが、一つ問題がある。
文明は進歩こそ見せたが、携帯端末は未だに【食物】を摂取する事は不可能であった。