新たなる同居人? その2
パソコンの画面と睨み合うという摩訶不思議な経験に、青年は眉を寄せ、鼻をウゥンと唸らせていた。
「あー………コイツはどうも夢らしい」
『ほう? どうしてそう思うのか、是非とも聞かせてもらえないか?』
青年の声に、パソコンのスピーカーからは興味津々という声。
合成音声にも近いが、ソレよりも滑らかに聞こえる発音に、青年は腕を組んだ。
本来なら、余りの成り行きに卒倒するなり喚き散らすところだが、青年の図太さの現れとも言える。
「まぁ、その、なんだ……普通のパソコンは……まぁ、喋らせれば喋らなくもないんだが、わざわざ返事を返したりしないもんでね」
『ふぅむ、それはそうだろう。 私はパソコンと言うよりも、その中に存在して居ると言う言葉が正しいのだからね』
実に丁寧かつ、律儀なスピーカーからの答えに、青年の鼻は益々唸った。
「あー……つまり?」
イマイチよく理解出来ないと、言葉と態度で示す青年の声に、なんと、今度はスピーカーから唸りが聞こえた。
『……うーむ……』
唸り声と共に、画面上に映る顔の出来損ないも、悩む様に歪む。
しかし、僅か数秒経った後、画面上には光る電球が表示された。
『良い例が思い付いたぞ! 君の身体が在るだろう?』
「ん? おう」
『つまりだな、私の場合、パソコンが人間の身体に当たるだろう!』
「ほほう?」
『そして、私はその中に収まっているプログラムの様なモノなのだよ!』
「へぇー」
気の無い青年の声に、スピーカーからは長い長い溜め息が漏れた。
『……なんだね、そのやる気の無さは?』
「いやいや、まー、なんでまた俺のパソコンにそんな機能が付いてたのかは知らんけども、つぅか、あんた………誰?」
青年の素朴な質問に、パソコンの画面に映る顔の目は丸くなる。
『なる程、そう言えばそうだな。 まだお互いに、自己紹介も済ませていなかった。 私の名前は………』
「名前は?」
『………生憎と、データには無い』
「おいおいおーい、凄そうな割には、記憶喪失かよ?」
『記憶喪失……と言うのは余り正しくはない。 私の内部時間に因れば、私が自我に目覚めたのは、ほんの五分と二十五秒前だからだ』
スピーカーの声に、青年の鼻は納得するかの様にフゥンと鳴る。
「つまりは……産まれた……ばかりっつー事かな?」
『あぁ、まぁ、そうだろう。 ともかく、君の事はほんの少しだが調べさせて貰ったぞ!』
スピーカーから流れる嗄れながらも冷静な声に、青年の口からは「は?」と言う僅かな音が漏れる。
『えぇと、何々……加藤匠……元々の生まれは今住んでいる場所とは違い、工業高校卒業後に就職……結婚経験無し。 交際の経験も……』
「待て待て待てぃ! オイコラ、何勝手に個人情報持ち出してんだ?」
スピーカーから、自分の名前を呼ばれてしまった加藤匠は、急いでペチャクチャと喋りそうな声に自分の声を覆い被せる。
『うん? まぁなんだ、私は、君のパソコンに……一応、間借りさせて貰ってる身だからな。 それでまぁ、ほら、ほんの少し………』
「おい、少しじゃねーよ、なに勝手に人の事調べてんだ?」
匠の苛ついた声に、画面の顔も少し歪む。
『ところで……君は私の事を不思議だとは思わないのかね?』
「お?」
『唐突に君のパソコンが喋るのだよ?』
「ほほう? 賑やかで良いんじゃねーの?」
本来、機械が勝手に喋るという事態に遭遇した場合、大抵の人間は驚くかも知れないが、匠のそれは余り気にした様子は無い。
豪胆とでも言うべきか、無知の蛮勇なのかはともかくも、それは匠という人間性を表してもいる。
だからなのか、画面の顔は片目窄め、もう片方の目を丸くしていた。
『あー、まー、君がそれで良いのなら……私は構わんのだが』
何ともやれやれといった嗄れ声に対して、匠は他の事でほんの少しイライラとしながらも、腰に手を当てた。
「つーかよ、そもそもお前さんは? なんてんだ? 名前ぐらいあんだろ?」
匠の声に、パソコンの画面に表示されている歪な顔が、僅かに揺らいだ。
目と思しき円が、困った様子を示す様に窄まる。
『……ウゥム……名前か。 実は無いんだ』
そんな音声に、今度は匠がすまなそうな顔をした。
「なんか……すまん……お! そういやさ、なんか無いのか?」
『何かとは?』
「何でもいーよ。 何かあるだろ? あー、製造番号とか、シリアルナンバーとか……何でも良いから何かないのかよ?」
匠の質問に、パソコンの画面に映る顔は、クルクルと時計の様に回る。
その様を見て、【ロード中か?】という感想を匠は感じた。
『在るには……在る』
困った様な音声に、匠は指をパチンと鳴らした。
「おー、良いじゃねぇか、で?」
『私は………八番だそうだ』
名前とは言い難い番号に、匠は、ウンと鼻を唸らせる。
「はん? 八番? 何が?」
『それは私にも分からん……が、誰かが私にその番号を割り振ったという事は分かる』
スピーカーから響く寂しげな声に、匠の鼻はウンウンと唸った。
「誰かって誰だよ? じゃあまぁ、とりあえずさ……エイトってんでいんでない?」
『……エイト?』
「おう、八番なんだろ? 英語でエイトだろ? はちばんじゃ呼び辛いわ」
匠の声に、画面に映る歪な顔が、笑う様に形を変えた。
『分かった……主よ、私の事は、そう呼んでくれ』
スピーカーからの返事に、匠もウンウンと頷きつつも、苦く笑う。
だが、直ぐに頭に電球が浮いたかの如く、顔をパッと変えていた。
「何か、その呼び方はくすぐってぇなぁ。 ま、おいおい何とかして行こうや。 あ、所でさ、エイトのその顔は、変えられる?」
ポンと何かを思い付いた匠の声に、画面の向こうの歪な顔は、その眼を窄めた。
『ん? なんだ、急に』
「だってさ、お前さんプログラムなんだろ?」
『うむ、そうだが?』
「良いこと思い付いたぞ! ちょっとネット使わせろ」
『……分かった……』
エイトと名付けられたソレは、スッと画面から消え、いつものデスクトップが表示される。
ただ、いつもとは一つだけ違いも在った。
画面の端では、あの歪な顔がチョコンと存在を誇示する様に現れていたのだ。
何とも言えないプログラムの存在に、匠は笑いつつも、目的のモノを探してネットワークを探った。
ただ、いつもとは違い、エイトの眼がジィッと自分を見ている様で、匠は、思わず在ることを試してみたくなった。
コソッとマウスを動かすと、画面上の矢印も動く訳だが、それをエイトの顔に近付けると、スィッと画面を泳ぐ様にエイトの顔が逃げる。
思わず、匠は更にマウスを弄り、カーソルで画面上のエイトを追うが、やはりエイトの小ぶりな顔は逃げた。
『……おい、何をする』
不機嫌そうな声と共に、画面上の顔も歪むが、ソレを見て匠は笑ってしまった。
「いやぁ、何で逃げるのかなぁってさ」
笑いを堪えつつと、匠がそう言うと、エイトの口を示すであろうそれはタコの様に窄まった。
『主よ……ふざけるのも結構だが、余り私を苛めない方が良いぞ?』
エイトの低い声に、匠の中で最悪な想像が為された。
「おいおい、ま、まさか……昔の映画みたいに、全世界に向けていきなり核ミサイルでもぶっ放すとか言うなよ?」
『それも出来なくはないが、ソレだと私に益がない。 ならば、君が困る様にちょっぴりの悪戯程度なら私も出来るが、試そうか?』
エイトの声に、匠は【やってみろ】と言い掛けるが、後が怖かった。
サラッと、とんでもない事をエイトは言っていたのだが、匠はふざけて居た為にそれを聞き流してしまってもいる。
「あー、すまんすまん……お……在った」
とりあえず、謝りつつも、目的のモノを見つけ出し、匠は空いている片手の指をパチンと鳴らす。
匠がネットワークから見つけ出したのは、所謂無料配布されている【3Dモデル】と【貴方の為の美少女音声】というモノである。
それをカーソルで示しながら、匠は画面上のエイトをチラリと窺う。
「コレコレ、これだよ。 なぁエイト。 お前さん、プログラムなんだろ?」
『健忘症か友よ? ビタミンとミネラル不足だな。 さっき教えた筈だが?』
「……あー……じゃあさ、プログラムっつーくらいなんだから、お前さんの顔と声、コッチの顔と声に出来ないか?」
『私の顔に不満でもあるのか?』
何故か、スピーカーからの声には若干の不機嫌さが見え隠れするのだが、今興奮気味の匠は気付かない。
「不満って訳じゃないけどさ、良いだろ? ちょっぴり頼むよ……ね?」
そう言うと、匠は両手を合わせ、パソコンに付属して居るカメラへと頭を下げてみせる。
すると、スピーカーからは長い長い呻きにも似た唸りが聞こえた。
『……分かった…試してみよう…』
「マジか!? 頼むぜ!」
嬉しそうに声を上げる匠の目に、パソコンの画面上に表示されているエイトの顔が、またしても時計回りにクルクルと回り始める。
次の瞬間、画面が一旦暗転してしまったが直ぐに切り替わり、三次元で表現された美少女の顔が画面には映った。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお…………」
画面上の顔は、未だに目を閉じており動かないのだが、それでも、匠の口からは感嘆の声が漏れる。
今か今かと待っていると、画面の中の少女はパッと目を見開き、左右へと目を泳がせると、口をパクパクと開き始めた。
『…ぁ…あぁ…あー…いーうーえーおー……マイクテスマイクテス。 どうだ? ちゃんと聞こえているか?』
最初こそエイト本来の嗄れ声だったのだが、途中からは、キチンとした少女らしい声に変わり、匠は込み上げる感動すら感じていた。
「いやぁ、最っ高だわ、エイト……いや……今からお前は、エイトたんだな!」
匠の感極まった声に、【エイトたん】と評された美少女の顔は、急に不機嫌さを隠そうともせずに歪む。
『おい、主よ……なんだ? その…たん…というのは?』
口調こそ元々のエイトだが、声も顔も匠好みの美少女キャラクターその物であり、益々匠の顔はニンマリと笑ってしまう。
「良いねぇ良いねぇ、なんだろ? その逆に冷たい感じ? それがかえってたまんねーわ」
この世の春が訪れたとでも言わんばかりの匠の声に、画面が一瞬プツンと切れてしまう。
そのせいか、満足げだった匠もまた焦ってしまった。
「お!? おーい! エイト? エイト!」
急に画面が途切れたからか、匠は焦るが、直ぐに画面は復旧する。
しかしながら、現れた顔は、あの歪な丸であった。
『うむ。 やはり此方の方がしっくり来るな』
スピーカーから聞こえる声も、やはり嗄れ声である。
「うぉーい、何だよ? さっきの方が断然良いのに!」
『主はそれでも構わんのだろうがな、君の顔と声が何故かは分からないが非常に私の癪に障るのだよ』
「いー、えー? なぁ、ちょっとだけで良いからさ、さっきの顔と声にしない?」
『……気が向いたら、そのうちな』
画面に映る顔は不器用なウインクを見せるが、ソレを見た匠は内心【このくそったれが】と考えていた。