幽霊退治 その2
月曜日の朝。
時計の針は七時に差し掛かったが、匠はまだ眠っていた。
妙に上機嫌な顔で眠る匠だが、そんな姿をエイトはカメラで捉えている。
そして、エイトは困っていた。
社会人ともなれば、それぞれに時間の使い方は色々だろう。
それは分かる。
だが、今エイトが悩むのは主を起こすべきなのかどうかだった。
前日、パソコンの操作は頼まれても【起こせ】とは頼まれて居ない。
それでも、主の為を思えばこそ、画面上にパッとエイトの丸顔が映る。
スピーカーの電源は独りでに点り、ザラザラと雑音が少しなる。
それは、深呼吸の音にも似ていた。
頼まれては居ないが、主が遅刻しては困るだろうと、エイトは音楽を選択する。
それは、所謂ラジオ体操の曲である。
「……んぁ……なんな?」
けたたましくも軽やかな音楽が鳴りだし、匠は少し唸った。
『あーたーらしいあーさがきた! きーぼうのあーさーだ!』
曲はともかくも、歌声はエイトの嗄れ声。
実にミスマッチな音に、匠は慌てて耳を塞ぐ。
「止めろ止めろ! オイコラ! 朝っぱらからなに考えてんだ!?」
かなり無理矢理な起こし方に、匠は眠気を忘れて少し苛立つ。
そんな匠に、音楽と歌も止まり、画面上のエイトはにこやかに笑った。
『おはよう。 いやなに、君に気持ち良く目覚めて貰おうかと思ってね』
悪気は無いのだと、匠にも理解は出来るが、顔はげんなりとしていた。
「お……お前なぁエイト……もっとこう、在るだろ? エイトたんの声で優しく起こすとか、ねぇ?」
自分の要望をエイトに告げる匠だが、一つ忘れていることも在った。
普通のパソコンであれば、エイトは匠の言うことを聞いてくれただろう。
設定された通り、そのままに。
だが、匠はエイトに何一つ設定はしていない。
敢えて一つだけ在るとすれば、既に【自由】を渡している事だった。
『まぁ、君が私にゲームで勝てたなら、その通りにしてやっても良いぞ?』
ムフフと嗤いながら、エイトは嗄れ声でそう言う。
それを聞いた匠は、長いため息を漏らしていた。
「はいはい、用意しま~すってな」
半ばヤケクソ気味の匠ではあるが、同居人の存在は有り難いと感じていた。
洗顔歯磨き、着替えを終えた匠は、ベッド脇でぐいぐいと体を捻り、背骨を鳴らす。
出勤前に、ふと思い付いた匠はエイトが映る画面へ目を向けた。
「おっと? エイトはどうする?」
『うん? どういう意味だ?』
「いや、俺はそろそろ出るけどさ留守番ってのも……」
『あぁ、そう言う事かね。 なに、心配は要らないよ』
そんなエイトの声と共に、匠の携帯端末が勝手に画面を灯らせた。
「おぉ?」
何事かと匠は呻くが、それと同時に、パソコンの画面に映るエイトの顔が横へと回転を始め、下へと消える。
だが、同時に携帯端末の画面下から、小さいエイトが現れていた。
『よっと。 さ、行こうか?』
パソコンのスピーカーからではなく、携帯端末から聞こえるそんな声に、匠は笑った。
「お前……案外器用な?」
誉められたからか、エイトの丸顔は不敵に歪む。
『んっふっふ……3Dプリンターでも用意してくれれば、ある程度のモノなら作って見せるぞ?』
自信満々というエイトの頼もしい声に、匠は、軽く笑った。
「オーケーオーケー、その内な……その内。 ま、行こうや」
『あぁ、出掛けよう』
匠は、エイトを伴って自宅を出て行くが、気付いていない事もある。
ポツンと残されたパソコン。 その電源は、落ちては居なかった。
*
作業服で職場に向かう匠だが、疲れは残っていても悪い気はしない。
いつもであれば、独りきりで仏頂面であったが、今の匠には自信が在った。
とは言っても、別に有名人でも著名人でもない匠に群がる様な人間は居ない。
ただ、バスに乗るという事には些か気が引けた。
「うーん……」
腕を組み、バスを睨む匠だが、昨日の今日である。
だが、乗らない訳にも行かない。
渋々ながらも、学生や他の人間に混じって、匠もバスへと乗り込んだ。
座る座席など無く、ほぼ鮨詰めでごった返す車内。
人が居なければ、エイトと話でもして暇を潰す所だが、生憎と周りは人の目が在る為においそれとエイトを晒す訳には行かない。
息が詰まりそうな感覚に、匠は、ふと在ることを考えていた。
何も今の職場に拘る必要は在るのかと。
無論、世界中で経済が低迷期に入り、仕事が在るだけでも有り難いという現状も理解は出来る。
だが、匠の脳裏には色々と他の事が浮かんでいた。
九番もとい、今はノインの名付けられた者を思い出す。
バスと共に沈んだ男の様に、違法な事をせずとも、エイトと共になら色々出来るのではないかと。
もしくは、ノインを預けた一光の様に自営業も悪くないのではないかとも思う。
バスが職場はと向かう間、匠は、自分の将来をどうすべきか考えていた。
*
職場近くへと着くと、匠は、車内の【降りる】というボタンを押す。
すると、自動運転のバスは客の要望に従って留まってくれた。
「あー、すんません。 すいません」
人垣を縫う様にバスを降りる。
ほんの数十分ながらも、匠にはヤケに長く感じられた。
ため息を吐こうかと、息を吸い込むが、匠はため息を押し殺す。
しょげて居ても、始まらないのだと。
その足を職場へと向けていた。
ただ、職場へと近付くに連れ、匠は異様なモノを目にする。
自分と同じ様な作業服姿の人達が、何やらガヤガヤと騒いで居るのだ。
「ちょっと、なんか……あったんすか?」
何事かと、匠は静かに近づき、知り合いの人に声を掛けた。
匠の声に気付いた同僚の中年男は、至極辛そうに顔を歪める。
「よう加藤。 お前さん……失業だぜ?」
前振りもなく、匠の同僚はそう端的に事態を匠に教えてくれた。
ただ、それを聞いても、匠は理解に苦しむ。
先週までは、当たり前の様に工場で働いていた筈なのに、今では違うと言われてしまう。
「はぁ? な、なんすか? 急に」
慌てる匠だが、何も慌てて居るのは匠だけではない。
その場に集まっている人達全員が、慌てていた。
匠に事態を教えてくれた中年男に関して言えば、落ち着いていると言うよりも、単に諦めている様にも見える。
「ま、世の中不景気だからな。 こういう事も在るもんさ」
「いやいやいや、訳わかんないですけど?」
そう言う匠に、中年男は首を力無く横へ振った。
「ま、仕方ないのさ。 工場運営してた連中だって、最後は自分達を助けにゃあならん。 それをせず、工員助けようったって、無理ってもんだろ?」
騒ぎの合間に、中年男はそう言った。
要約すれば、雇い主が逃げてしまったということは匠にも理解出来る。
ただ、理解は出来ても納得は出来そうもない。
「そんな……自分勝手な」
思わず、逃げ出した者達を匠は罵るが、中年男は笑うのみ。
「なに言ってんだよ? 人間なんざ自分勝手な生き物の極みだろうが? ホレ見てみろ」
中年男は顎をシャクって見せる。
その先には、自分と同じ作業服姿の人々。
「漫然と言われたまま動いてたのに、指示してくれる人間が居なけりゃこの様だろ? 精々が喚くだけさ」
そう言った中年男は、くるりと踵を返し、帰ろうとする。
そんな同僚に、匠は焦った。
「ど、どこ行くんです?」
サッサと立ち去ろうとしていた中年男は、足を止めて振り向く。
「何処ってお前………仕方ない、新しい仕事探すのさ。 お前はどうする? 逃げ出した社長以下をとっ捕まえるのか?」
そんな声に、匠はハッとした。 捕まえる事は出来るだろう。
何せ、自分にはエイトが着いている。
相手が透明人間でもない限り、捕まえる事は出来る。
以前もそうした。 だが、やろうとは思えなかった。
仮に捕まえた所で、相手は裁判に掛けられ、逮捕されるだろう。
逆に言えば、それだけであった。
業務が再開される可能性は無く、少しは気が晴れるかも知れないが、意義が感じられない。
正義の味方だと宣っても、実際は無力な自分に匠は顔をしかめた。
唐突に、ポンと匠の肩は叩かれる。
ハッと顔をあげると、朗らかに笑う中年男と目があった。
「なぁに呆けてんだ? まだ、お前は生きてんだろ?」
「え、えぇまぁ」
「じゃあ前に行くんだな。 他の奴らの様にピーチクパーチクさえずる暇が在るんならな」
それだけ言うと、中年男は今度こそ離れて行ってしまう。
名前こそ知らない筈の同僚に、匠は、深い感銘を受けていた。
*
いきなりの失業という憂き目に在った匠だが、気分はそう悪くない。
また一からの出発なのだと、自分に言い聞かせる。
誰かに助言を請いたいが、匠は、最も信頼できる者を思い出す。
ポケットから携帯端末を取り出すと、独りでに画面が灯る。
「よう、エイト」
『あぁ、友よ』
エイトの声に、匠は少し胸が軽くなった気がする。
「いきなりだが、路頭に迷っちまったぜ」
『あぁ、聴いていたさ』
相棒の嗄れ声に、匠は、俯かせていた頭を上げる。
「どうすっかなぁ?」
『そうさな……とりあえず、私と君とで、トラブルバスターでもやろうか?』
「お?」
『良くあるだろう? ウイルスバスターの類も、私なら出来る。 だが、私独りでは人が信用してはくれないだろ?』
そんな声に、匠は頷く。
電子関係はサッパリだめだが、エイトが居れば心強い。
「ああ、宜しく頼むぜ」
『儲けは七三で良いね?』
人を小馬鹿にした様なエイトの声に、匠の顔は引きつる。
だが背に腹は変えられない以上、飲む他は無い。
「……お前、結構ガメツいのか?」
『なに、私なりの冗談だよ。 少しは気が晴れたかい?』
引きつっていた匠の顔は、少しだけ緩んだ。




