お悩み相談 その11
一光の目にも、目を閉じた小熊のぬいぐるみが映る。
大きさは生まれたての小熊を多少大きくした程度であり、だいたい四十センチという所だろう。
「……あら可愛い。 でも、それ、どうしたの?」
そんな一光の反応は極々順当であった。
別に誕生日でも何でもない日の夜に、いきなり熊のぬいぐるみを見せられたなら、とりあえず誉めてみる。
見た目に関しての感想に嘘はないが、寧ろ驚きの方が強い。
匠の携帯端末に映るエイトからは、【似た様なモノを頼む】とは言われた。
だが、一光としてはエイトと熊が似ている様には見えない。
「あーと……アプリさん? これ、貴方には似てないけど?」
そんな指摘に、エイトはふふんと不敵に笑う。
『まぁ、それはそうだろうな。 ある程度の学習機能が在るとはいえ、それに関する事に関しては……』
「おーい、エイト。 ところで、コイツはどうすんだよ?」
細かい事の説明を始めようとしたエイトではあるが、それは、【何か】が宿る機械を持った匠に因って阻止されてしまう。
その為か、画面上のエイトはジロっとした目で一瞬匠を睨むが、直ぐに咳払いを一つした。
『……ともかく! 早速ソイツの背中を開けてくれ』
分かり易い指示だが、それは、匠は勿論、一光も耳を疑った。
「はい?」
「背中を? 開ける?」
惚けた様な匠と一光に、エイトの目は益々細くなった。
『何を驚いている? 既に規格は調べてある。 キッチリ入る筈だ』
そう言うと、エイトはビシッと匠を指差す。
画面上の事ゆえに、実際に指さされた訳ではないが、匠はとりあえず小熊を箱から出して手に持っていた。
「うぇぇ……ホントに開けるのかよ?」
良くできている以上、目を閉じた小熊の背中を開けるという行為に、匠は躊躇が在った。
そしてそれは、一光も同じである。
「えぇぇぇぇ? その子……開けちゃうの? えぇぇぇぇ…………」
子供向けの玩具だと分かっては居ても、蟠りは在った。
二人の反応に、何故かカチンと来るモノを感じるエイトは、それを隠さぬ様に不満そうな顔である。
『ええい! めんどくさい! 相楽一光! 向こうを向いていてくれ! そして友よ! 良いからサッサとやるのだ!』
少女の形態を取っているからか、エイトの声は甲高い。
だが、その可愛い声はイライラしている素振りを感じさせた。
仕方なしに一光はくるりと背を向け、匠は、嫌そうに熊の背を覗く。
「……わぁったよ……やりますよーだ」
人一人を手に掛けたという事実が、匠を後押しする。
今更ぬいぐるみの背中を開けるぐらいならば、何でもないのだと。
『よぉし。 では、背筋に沿って尻尾の付け根まで指を滑らせて』
早速とばかりに、エイトは部品交換のやり方を説明し出した。
匠もまた、それに倣う。
『そうだ、その尻尾の付け根の少し上当たりに、取っ掛かりが在るだろう?』
言われるがままに、指に引っかかりを感じる匠。
『では、それを強めに押し込んでくれ』
「……うぃぃぃぃぃ」
指示通りとは言え、強く押したせいで小熊はスケート選手のイナバウアーが如く反る。
何とも言い難い光景だが、カチリという感触と共に、熊の背中が首を付け根にバックリと開いた。
「あー……想像してたけど………なんだろう?」
「いいよぅ、実況なんてしなくて」
まるで魚の中身を見てしまった匠の意見に、背を向けている一光ですら弱々しい声を発してしまった。
そんな二人を諫める様に、エイトは今一度咳払いをする。
『……オッホン! 友よ……とにかく中に制御系の箱が在るだろ? ソイツを引き抜くんだ』
開けた時点でげんなりしている匠に、更に指示が下る。
「あいあい、分かったよぅ……ああ、もう」
可愛い小熊の中に手を突っ込むということ自体、匠には躊躇いが在るが、最後は覚悟を決めてエイトの指示に従った。
エイトの云う制御系の箱は、それ自体は簡単に外れる。
『さぁ、後は【ソイツ】を入れてやってくれ』
「……オッケー……新しい門出ってな」
抜き出した機械に代わりに、拾った【機械】を入れる。
その時点で、熊は少しだけ動いた気がした。
*
中身を入れ替えられた熊は、暫くは匠と一光、そしてエイトに見守られていたが、唐突にビクビクと震え出す。
踊るというよりは、痙攣しているといった方が近い。
「……お、おーい? 大丈夫か?」
思わず匠がそう言うと、熊はパッと動き出していた。
小熊は、自分に何が起きているのか理解出来ていない様にも見える。
「お? おーい」
思わず匠が手を伸ばすと、小熊は怯えた様に一歩下がる。
「えぇぇぇぇ?」
自分が嫌われた様な気がした匠は、思わず呻くが、その代わりに一光は両手を広げていた。
「ホラホラ……コッチおいで」
一光にまだ子は居ないが、何となく本能に任せる。
その柔らかい声に、不安そうな小熊は匠から逃げる様に一光の方へとパタパタと走った。
「あらら、甘えん坊なのかな?」
自身の胸に飛び込んで来た小熊をソッと抱き抱える一光。
そんな光景に、匠は思わず羨ましいとチョッピリ感じてしまう。
主の邪な考えはともかくも、早速小熊が一光に抱きついたことにエイトはウンウンと首を縦に揺すった。
『よし、任せても大丈夫そうだね? ところで……おい、名前は?』
そんなエイトの声に、一光に抱かれる熊はピクリと震えた。
恐る恐るといった様に振り向き、場に居る者を窺う。
『……九番』
囁く様に小さいが、そんな声が小熊からは聞こえた。
それに対して、ウンと鼻を鳴らした一光。
「吸盤? 何ソレ? 全然可愛くないぞ?」
いきなりの否定に、一光に抱かれる熊は目を悲しげに窄める。
怯える熊を、一光はソッと撫でていた。
「じゃあねぇ………そうだなぁ」
何かを思い悩む様な一光だが、パッと何かを思い付いたらしい。
「ノインにしようか?」
『………ノイン?』
一光の声に、小熊は首をくいっと傾げる。
実に可愛らしい仕草に、一光は益々小熊を撫でた。
「そ、ドイツ語だけどね? きゅうばん……なんて、可愛くないし」
そんな一光の声に、ノインと名付けられた小熊は逆らわない。
それどころか、静かに目を閉じ、一光に抱かれるに任せていた。
『うむ、どう想う? 友よ?』
一光と小熊の様子を、主に問い掛けるエイトに、匠も腕を組んでウンウンと頷く。
「いんでない? コレなら、もう悪さなんてしないさ」
『……うん、そうだな。』
微笑ましい光景を見守る匠に、エイトも満足げに微笑んでいた。
*
バッテリーの補給の為に、コードを口に咥えるという奇抜な光景を余所に、一光は戸惑っていた。
「ねぇ、ホントにあの子……貰っても良いの?」
一光からすると、匠とエイトに何が在ったのかは知らない。
それだけではなく、いきなり小熊を渡されるという事に戸惑った。
「良いさ、その為に持ってきた……いや、連れて来たんだし、な? エイト」
『あぁ、相楽一光。 君さえ良ければ、ナイン……いや、ノインを頼みたい』
匠からすれば、一光に任せても安心と感じる。
エイトもまた、いざという時は【ナイン】と名付けようと思っていたが、新たな主へそれを委ねる。
匠とエイトからそう言われた一光は、ソッと小熊を見た。
口から電気を補給するという事実を別にすれば、まるでほ乳瓶からミルクを飲んでいる様にも見えた。
「じゃあ」『頼んだよ?』
実に気の合う組み合わせといった風情の匠とエイトに、一光は手を振る。
「また来てね?」
去り行く匠とエイトへ、一光は軽い挨拶を贈った。
匠が店を出ると、来たとき同様にカランと鐘が鳴る。
それを見送った一光は、フゥと息を吐いて新たな同居人に目をやった。
「宜しくね? ノイン」
一光の声に、小熊の片手がヒョイと上がる。
補給中は喋れないと分かっているからこそ、一光は軽く笑った。
ふと、店舗のカウンターに手を着くが、何かが当たる。
「……あ、コレ」
そう言う一光の目に、十円玉三枚が見えていた。
*
相楽商店から離れる匠は、やりきったという感覚を味わっていた。
「万々歳って訳じゃあないけどさ、アレで良いのかな? エイト」
匠の声に、その手に握られるエイトは、画面上で頷く。
店から出ても、エイトは少女の姿をしていた。
『君がソレで良いなら、私は構わないよ』
満足げなエイトの返事に、匠は疲れていても笑えた。
そんな主を見て、エイトは微笑む。
『それに……こっそり三十円置いてっただろ?』
「なんだよ、見てたのか? まぁ、ポケットマネーから払うってのは、ルール違反かも知れないけどさ」
少し自嘲めいた匠の声に、エイトは首を横へと振った。
『いや、人はルールの上を歩けるからね。 それでも良いのさ』
「なんだよ? ルールの上って?」
『従う事も出来る。 だが、人は時にそれを超えて動ける。 そう言うことだよ』
エイトの感慨深い声に、匠はフゥンと鼻を鳴らす。
「さぁて、後は帰るだけだけど……どうすっかなぁ」
『じゃあ……この前の続きやろうか?』
甘える様なエイトの誘う声に、匠は渋々頷く。
ゲームに関しては、エイトに勝てるとは思えない。
「はいはい、お前も頑張ってくれたしな。 お付き合い致しますよ」
『……ありがとう、友よ』
面倒くさいという言い方をしながらも、申し出を断らない匠に、エイトは、柔らかい礼を贈っていた。




