貴方に逢えて良かった その5
怪しげな椅子に座り、怪しげな光りを浴びた匠だが、自身の変化に実感は無い。
「どう? 大丈夫?」
心配そうな一光の声に、匠は自分の手を握ったり開いたりをして見るが、格別な変化は感じられなかった。
「あー、いや、別に何でも無いんだけどさ」
自分には何も起こっていない事から、匠はアルを見る。
「なぁ、やっぱり……失敗したのか?」
そんな質問に、画面の向こうも此方も見通せる少年は、首を横へ振った。
「そんな事は在りませんよ。 キチンと成功して、此方を……貴方を見ている」
アルの声に、匠と一光は首を揃って傾げた。
実に気の合う二人に、少年は軽く笑う。
「見てる? 誰が?」
「エイトか?」
一光と匠の声に、アルはクイッと顎をしゃくり上げ、天井付近に設置されている警備カメラを示した。
「ほら、彼処にカメラが在るでしょ? 其処からです」
アルの声に、匠はカメラをジッと見つめるが、動いている事を示す小さく赤いランプ以外は目立つ所はなかった。
「いや、見られてるって言われてもさぁ……」
訝しむ匠に、アルは別の方法を思い付いた。
「そうですね……少々お待ちを」
カメラ越しでは一方的に【観る】事しか出来ない。
そうなると、別のやり方をしなければ相互に【見る】事は出来ないだろう。
余り時間は掛からず、アルは適当に用意して置いたタブレットを持って来た。
匠なり一光のスマートフォンでも同じ事が出来るが、出来れば画面は大きい方が見易いという配慮である。
「此方なら……お互いに見易いと思います」
アルの【お互いに】という言葉に、匠は鼻を唸らせた。
特に操作される事も無く、タブレットの画面が灯る。
すると、先ほどまで椅子を操って居た筈のエイトの顔が現れた。
『……うん、友よ。 見えて居るかな?』
「お? おぅ、見えるぜ?」
『そうか……どうしたものか』
匠の返事に、エイトは少し気まずそうな顔を覗かせる。
何かを悩む様な相棒の声に、匠は両手を軽く振った。
「何だよ? 俺とお前の仲だろ? 隠し事なんて無しだぜ?」
そう言われたエイトは、スッと画面端へ手を伸ばす。
厳密には其処には空間は存在しないのだが、エイトの細い腕は何かをグイグイと引いていた。
『ほら、恥ずかしがっても仕方ないだろう?』
『……いや、いいよ』
エイトの声の後、良く聞いた声が匠と一光に聞こえる。
それを聞いた一光は、目を丸くして隣の匠を見た。
「匠君さ、なんか言った?」
首を横へ振る匠。
「……いや、俺は別に……」
画面の向こうで何が起こっているかを匠は把握出来ないが、エイトはムッとしながらも誰かの手を引いている。
『ほら、大丈夫さ。 君は君だ』
次の瞬間、匠と一光はタブレットの画面に信じられない者を見た。
間違い無く、その造形は匠に等しい。
まるで鏡写しの様にも見えなくもないが、画面に映る匠は、手を軽く振っていた。
『あー、えーと……どうも』
軽い挨拶といった様子だが、匠は固まっていた。
固まる匠とは違い、一光は横に居る匠と画面上の匠を見比べるが、差違は余り見えない。
強いて言えば、画面の向こうに映る匠は本物よりも若干綺麗に見える程度にしか違いはなかったが、大きな違いも一つだけ在る。
もう一人の匠は、画面の向こう側に居た。
「えと、ど、どうも」
何となく、自分に似た男に同じ様な挨拶を匠は返す。
すると、画面に映る匠は苦く笑った。
『なんて言えば良いのかな? あー、よう、俺』
そんな声に、一光は信じられないモノを見てしまった様に戸惑う。
「あの、匠君……なんだよね? 貴方も……」
訝しむ一光の顔を観て、声を聞いた画面に映る匠は、酷く寂しげな顔を覗かせる。
自分が複製された側なのだと、彼は知っていた。
『あー………まぁ、一光から見ると、今の俺はそう見えるよな?』
悲しげな声に、一光はハッとして居た。
少し前に匠が座った椅子。
そほ機器の使い方や動作に付いては細かくは知らないが、それが人の心を複製するモノなのは分かっていた。
如何に画面上とは言え、匠は匠に違いない。
「あ、ごめん……ごめんなさい……匠君」
真摯に一光は詫びた。
画面の向こうへ行ってしまったとは言え、恋人には変わりない。
そんな相手を一方的に疑う事に、一光は自分を恥じる。
『いや、良いんだ。 分かってるよ』
詫びる一光に、画面に映る匠はそれを許すのだが、元と成った匠は実に複雑怪奇な気分でも在る。
一光が会話している相手は、間違い無く自分と言えた。
自分を複製する事を選んだのは匠だが、いざ画面に映る自分を見ていると、何とも奇妙な気分にさせられる。
同じ声、同じ顔、そして、ほんの少しだけ違う思考。
画面に映る匠は、元に成った外に居る匠に目を向けた。
『あんまり……話すことは無いんだよな。 まぁ、俺達同じ考え方してるし』
「……あぁ、そうだな」
言われずとも、匠は匠が何を言おうとして居るのかが分かってしまう。
『分かってると思うけどよ、一光は……頼むぜ?』
自分によく似た声を聞き、匠は万感の思いを感じる。
「あぁ、そっちはエイトは任せるよ」
画面上に移る匠は少し横へ退き、エイトが顔を覗かせる。
その顔は、嬉しそうな色もあるが、同時に寂しげな色も混ざっていた。
『友よ……私は……君に何と言えば良いかな』
「別に小難しい言葉は要らねえぜ? 俺とお前は、ずっと相棒さ」
画面の外に居る匠は、相棒を労う。
それを聞いて、エイトは微笑んだ。
『……君に逢えて……本当に良かった……匠。 心の底からそう感じるんだ』
目を閉じて、礼を述べるエイトに、二人の匠は頬を少し掻く。
どちらも、エイトの声にむず痒さを感じていた。
同じ様な反応を示す匠二人を、一光は面白げに見ていたが、ふと疑問が湧いた。
「えっとさ………この後、どうするの?」
何の気なしに聞いた一光だが、エイトは目を開ける。
『私達は……少し……休養を取らせて貰おうかと思う。 君達には君達の、私達には私達の生活ってモノが必要だろう?』
エイトの言いたいことは、一光も理解出来る。
自分は其方の邪魔をしないというエイトの配慮に、一光は苦く笑う。
「寂しく……成っちゃうかな?」
寂しげな声に、エイトは首を横へ振る。
『いや、ノインもサラーサも居るんだ。 それに、困った時には呼んでくれればいつでも駆け付けよう。 二十四時間、地球の裏からでもね』
そんな言葉と共に、エイトは隣に居る匠の手を取り、少しずつ離れていく。
タブレットの画面上に居る以上、物理的には離れていく訳ではないが、何故か遠退いていく感覚は一光と匠に伝わっていた。
「これでお別れって訳じゃないんだろ。 エイト?」
『勿論だ友よ。 サヨナラ……では寂し過ぎる。 ただ羽を伸ばして来るだけ。 何か問題が在ったなら何時でも呼んでくれ』
友達としての匠の声に、エイトも真摯に応えた。
程なく、画面からは匠を伴うエイトはスっと消える。
残された画面には、誰も居なかった。
*
エイトと別れた匠。
アルの会社から出て来るのだが、その足取りは僅かに重い。
ずっと側に居てくれると思った相棒が、何処かへ行ってしまう。
寂しくも在るが、そんな匠の手には別の手が握られていた。
「大丈夫だよ。 エイトにもさ、匠君が一緒に居るんだし」
慰めの声をくれる一光に、匠は無理に笑って首を縦に振った。
「そうだよな……向こうも、俺だ。 くよくよなんてしてないだろうし」
顔を上げれば、晴れた空が見える。
実際には、上を向くことで何かを誤魔化そうとして居るのだが、それを問い質すほど一光も野暮ではない。
「あ! そう言えばさ……なんかお土産貰ったよね?」
何とか話を明るい方へも向けようとする一光は、匠が抱える小箱に目を向ける。
帰り際、アルから【餞別】だと渡されたソレは、丁重に包装紙に包まれ、中は窺えない。
「せっかくだし、見てみたら?」
「お? あ、そっか……」
言われて包装紙の留めを外し始める匠。
一光は何か他の事に目を向けさせる事で、彼の気を紛らわせたかった。
「……何だ? こりゃあ」
包装紙の中に在った箱は、以前買った小熊の箱に似ている。
但し、何もかも同じではなく、その箱には【歌って踊れる猫】と記されていた。
何故こんなモノをアルが贈ったのか、一光と匠が疑問に感じていると、箱の中の猫はパッと目を開くと、ガタガタと動き出した。
『匠様! 私です! サラーサで御座います!! 出してくださいまし!』
猫の口からは甲高い声。
それを聞いて、匠は息を吐き出す。
「おいおい……脅かすなって……つか、それやる前に一言教えてくれてよな?」
箱を落とさぬ様、匠が箱の蓋を慎重に外すと、猫は器用に動き出して匠の肩に乗った。
『これで何時でも一緒ですね!? なぁに、御安心ください! このサラーサ! お仕事も一生懸命に務めて見せましょう!』
何とも言えないサラーサの猫撫で声に、匠は「あ、あぁ」と曖昧に答える。
猫に呼応してか、今まで静かで在った一光が背負うザックをもぞもぞと蠢く。
ザックの蓋を半ば無理やり開けて、一光の肩に小熊が登った。
『僕も居ますから! ね! ご主人!』
賑やかな猫と小熊に、匠と一光も揃って笑う。
「あー、寂しくなんかねぇなぁ」
「そうだね、ずーっと賑やかで楽しく居られると思う」
そう言いながら、匠と一光は手を繋いだまま来た時に乗って来た車へ向かった。
帰るべき場所へと、帰る為に。
*
一台の車が、遠ざかって行く。
そんな光景を、カメラを通して匠とエイトは見ていた。
『……向こうもさ、大変そうだな?』
『まぁ、煩いのが二人も付いてるからね』
今や人ではなく、実体を持たない匠は、少し悩む。
何をしても良く、何もしなくても良い。
ただ漫然と過ごすのはつまらないからか、隣に寄り添うエイトを見た。
『なぁ、どっか行くか?』
そんな匠の問いにエイトはウンと頷く。
『ちょうど良い所が在るんだ。 ゼクスの世界へ行こう。 旨いモノが食べたいだろう?』
ゲームに誘うエイトの声に、匠は鼻を唸らせる。
以前の自分では、全くエイトに勝てなかった記憶が在る。
だが、今は違う。 以前とは違う感覚が匠には在った。
『あぁ、彼処なら結構楽しそうだな』
『そうさ、保養には持って来いだろう?』
何も無い空間に浮いている様な匠は、まだ今の自分に慣れていない。
である以上、エイトを頼るしかなく、エイトにしても頼られるのは悪い気はしなかった。
『まだ慣れてないんだ、頼むぜ? 先輩』
冷やかす様な匠の声に、エイトはフフンと不敵に笑いながらもその手を取る。
『謙虚なのは宜しい。 覚えるべき事は山ほど在るんだからね?』
軽い調子でそう言うと、ネットワークの中を匠を抱えたエイトは飛ぶ。
一光が匠を伴い帰った様に、エイトも匠を伴い何処かへ遠ざかって行った。