貴方に逢えて良かった その4
自分を複製するのかという選択肢を迫られた匠は、少しだけ悩んだ。
何せ、それをした事が在るという人物の話を聞いた事は無い。
脚が竦むが、それでも、力を入れて椅子へと進む。
意を決し、匠は椅子へと身体を預けた。
椅子自体は、マッサージチェアと余り変わらず、座り心地は悪くない。
何故か処刑台に掛けられた様な気すらする。
だが、覚悟を決め、此処へ来たのは匠の意志であった。
「さぁて? どうすりゃ良い?」
強がる匠にアルが近付く。
「たく……」
一光は一瞬、腕を伸ばし掛けたが、慌てて引っ込めていた。
別に殴り合いをしに来た訳ではない。
止めようかとも迷うが、それならば最初から来なければ良かった話であり、此処まで来た以上、静観する事を一光は決めていた。
「そんなに難しく操作は用意して居ないんだ。 ただ、君は目を開けて居てくれれば良い」
「……瞬きは?」
軽い冗談のつもりで匠は少年を茶化すが、アルは微笑んで居た。
「それぐらいなら大丈夫。 ただ、前だけを見ていて欲しいんだ」
淡々と、アルは匠にやるべき事を伝えると、椅子に付属された器具を下ろす。
大仰なパーマ機に見えなくもないソレは、スッポリと匠の頭を覆った。
『うぉぉ……何も見えねーぞ?』
頭全体を覆われて居るせいか、匠の声はくぐもっている。
それを聞いたアルは、一光へと目を向けた。
「相楽一光さん」
「へ? あ、なに?」
急に名を呼ばれ、戸惑いを隠せない一光を見て、アルはスッと椅子から離れた。
「僕よりも、君が側に居てやるべきだろ?」
匠の軽口はともかくも、椅子に備え付けられている機器で匠の内情はアルには手に取る様に分かってしまう。
凄く脅え、焦っている匠の為に、アルは一光を呼んでいた。
一光の足も、最初は根が張ってしまった様に動かなかった。
もしかしたら、匠がそのまま消えてしまう様で怖い。
それでも、無理にでも足を前へと進め匠に近寄ると、その手を両手で握る。
一光の手が触れるなり、匠の手は少しビクッと震えたが、直ぐに握り返して居た。
「大丈夫だよね?」
彼女である一光の声に、空いている匠の片手が動く。
まるでヒッチハイクする様に親指を立てて、自分は大丈夫だと示した。
『やるだけやってみるさ』
そんな匠の声を合図に、椅子に備え付けられたスピーカーからは雑音が少し漏れる。
『じゃあ、始めるぞ……』
エイトの声を合図に、椅子は低い唸りを立て始めた。
まるでマッサージチェアの様に鈍く低い音。
それは、次第に大きくなり、椅子に備え付けられた器具がチカチカと光る。
それだけではない。
アルの執務室であるがらんどうな部屋の彼方此方から、以前の様な怪しく大きな機械群が迫り出して来る。
一光は不安そうに周りを見渡すが、決して匠の手を離さない。
そんな彼女に手を握られている匠の目には、奇妙な光が見えていた。
『うぉぉ…………こりゃあ、スゲエ』
真っ暗だった視界には、宇宙を飛び回る様な光景。
それは次第に加速していき、点は線へと変わっていく。
光は増えて、視界は眩しい程に明るく成る。
次の瞬間、匠の手から感触が消えていた。
*
何も無い。
意識は在るのだが、それだけで在る。
身体というモノが消え失せてしまい、立っているのか座っているのか、はたまた自分が存在して居るのかすら曖昧な感覚。
無限に広がる闇の中に、ポツンと放り出された様な気がした。
強烈な孤独感と何も無いという恐ろしさが襲って来る。
こんな所には居たくない。 そう思っても、動けない。
【何処だ!? 誰か!? おーい!? 一光!? サラーサ!? 熊!!】
それらは、声ではない。 思った事だ。
だが、音としては広がらない。
何故なら、喋るべき口は無く、喋り方も分からない。
意志だけが、何も無い闇の中に居た。
【やっべぇ………俺………死んじまったかな?】
底無しの後悔だけが、其処には在った。
【……エイト。 駄目だったか……すまねぇ】
失敗した事を確信し、匠は詫びる。
誰に詫びれば良いのかは迷うが、溜め息を吐きたくとも肺が無い。
深く澱む意識は、今にも消え掛ける。
放り出された意識は、考えるのを止めたくなっていた。
『匠!』
聞き慣れた声が、意識を捉える。
【エイト……なのか? 俺は、死んだんじゃ?】
『馬鹿を言うな。 君は……生きて居るさ。 自分を想い出すんだ』
思い出せと言われても、意味が匠には分からない。
何もかもを失った自分には、何も無い。
『頑張れ! 自分を造るのは難しいかも知れない、でも、自分は誰なのかを思い出せ!!』
閉じるべき目を、匠は思い出す。
どうやって瞬きをしたのか、顔とは何なのか、当たり前だった筈のモノを、必死に想像し、組み上げて行く。
目が見えると想像すれば、視界が確保された。
薄衣纏うエイトがフワフワと暗闇の中を漂う。
『エイト……お前か?』
『そうさ。 変かな? 慌てて居たから、服が用意してなくてな。 ところで、問題は無いか?』
場違いなエイトの声に、匠は笑う事を思い出していた。
『いや、大有りだろ?』
『どの様にだ?』
匠の声に、エイトは慌てた。
『何処がこうっててんじゃなくてさ、もう……此処は何処、私は誰って感じだぜ』
『………問題は、多くないようだな。 指は何本に見える?』
そう言うと、エイトは指を二本立てて見せた。
『…………二本だな。 ソレよりも、今のお前は舞い降りた天使に見えるぜ』
匠の素直な声に、淡く光るエイトは目を丸くし、手を下げる。
気恥ずかしいのか、目を泳がせて手をモジモジと動かすエイト。
そんな相棒の周りを窺うが、此処には何も無い。
『此処は……何処だ?』
匠の問い掛けに、エイトは肩を竦めた。
『なんて言えば良いのかな……空の水槽? ともかくも、君を入れて置くモノが無かったからね。 急いで此処を拵えたのだが、不安だったろう?』
エイトの説明を受けても、匠は自分に何が起こったのかを理解出来ない。
本心を明かせば、今にも消えそうな程に不安は在った。
『あぁ、死ぬほどビビった……マジで』
目を閉じるという事を思い出し、実行する。
ただ、やはり違和感が拭えない。
『何にも…………ねぇんだな? 手も脚もさ……他にも、色々と』
不安を隠せない匠に、エイトは微笑む。
『何か変か?』
匠の質問に、エイトは笑うのを止め首を横へ振った。
『いや、君は……以前の私を憶えてくれて居るかな?』
そう言われた匠は、過去のエイトを思い返す。
歪な球体に、子供の落書きの様な目や口。
手や足は無く、ただの顔だけのエイト。
『お、おう。 憶えてるけど?』
『今の君は……以前の私に凄く似ているんだ』
『んぁ!?』
何とか自分を見たい匠だが、鏡は此処には無い。
慌てる匠を、エイトは手を伸ばしてソッと包む。
『行こう。 見れば直ぐに思い出すよ』
フワリと何処かへ連れて行かれる感覚。
『思い出す? 何をだ?』
疑問を呈す匠だが、光る窓の様なモノが遠くに見えた。
遥かに遠かった筈のそれは、あっという間に近付く。
『ほら、見てみると良い』
エイトの声に、匠は窓を覗き込む。
匠の意識は、カメラの一つに繋がっていた。
まるで何かの画面を覗き込む様な錯覚に匠は陥る。
「匠君! ねぇ! 大丈夫!?」
其処から見えるのは変てこな椅子に座る【誰か】に声を掛ける一光。
音が何処から響いているのかは分からないが、直ぐ近くの様でもあり、遠くからの様でもあった。
つい先ほどまで、椅子に座っていたのは誰かを匠を思い出す。
『……あれは……いや、えぇと……』
『加藤匠だよ』
エイトの声に合わせて、椅子に座っていた人物の頭を覆っていた機械が外されていく。
「ふいぃぃ……参ったぜ……て、何か起こったのか?」
「あーもう……びっくりさせないでよね!?」
まるで居眠りから覚めた様な誰かの声に、匠は迷う。
何故なら、窓の外から自分に酷似した誰かを見ているからだ。
そんな何者かに、一光は嬉しそうに寄り添う。
『な、なぁエイト……彼奴は……誰だ? 一光は……誰と居る?』
鏡に映った自分の様な誰かは、匠の意志に反して椅子から立ち上がり、一光に寄り添われている。
さっきまで一緒だった筈の彼女が、自分によく似た誰かの隣に居る。
それを、匠は非常に不愉快に感じた。
『思い出してくれたか? 彼も………君も、匠だよ』
そんなエイトの声に、匠は自分が何をしようとして居たのかを思い出した。
自分を複製した結果、【加藤匠】として再現をされたのは自分であった。
「てかさ、何か変わったのか? 何もねーんだけど?」
平然と立つ自分だった男を見て、その声を聞いている内に、匠は自分がどんな姿だったのかを実感し、それを形として現す。
『そうか……俺は……彼奴の……』
自分とは、ただの複製品なのかと匠は落ち込み掛ける。
目に見える男性の模造品であり、紛い物なのかと。
そんな匠を、エイトが後ろから優しく抱き締める。
『君は君だろ? 匠さ。 私の相棒、親友、いや、呼び名なんてこの際どうでも良いんだ。 君は匠だよ。 それは間違い無い』
エイトの声に、匠は無い筈の息を吸い込み、吐き出す。
自分を二人に分けると言い出したのは、他でもない匠であった。
いざソレを実行した実感に、匠は絶望し掛けたが、エイトが側に居てくれる。
それだけで、無限の寂しさは暖かみへ変わっていた。
『そういや、そうだった。 あぶねぇあぶねぇ、忘れてたぜエイト……ありがとよ』
忘れていたモノを思い出した匠の声に、エイトは鼻をフフンも唸らせる。
『全くだよ。 君は、何時だって私が居なければダメダメだな? 今回の問題だって、私が居たから何とか成っただろう?』
柔らかくも茶化す様なエイトの声を聞きながら、匠は自分を実感した。
以前ならば、自分は画面の向こうに居た。
ソッと窓を押しても、割れる様子は無く、それは絶対的な壁に感じる。
今の匠は、画面の此方側に居た。