貴方に逢えて良かった その3
いきなり誰かが増えると言われても、それを信じるのは難しい。
一光にしても、匠の言葉を疑っていた。
単細胞生物でもない限り、同じ生き物は増える事は有り得ない。
仮に、誰かのクローン人間作り上げたとしても、同一人物に仕立て上げるのは多大な労力と時間が必要に成る。
何時何分、何処で産まれ、どの様に育ち、誰と出逢い何を経験して来たのか、それら全てを再現しなければ、同じ人物は現れない。
ほんの少しでも誤差が生まれれば、それは大きな違いに成っていってしまう。
にもかかわらず、匠は自分の複製を作ろうとしていた。
「……えと、でもさ……なんで……」
理由を問い掛けた一光だが、ふと、今は居ないレイを思い出す。
レイがこの世から消えた理由は、ただ寂しいからだ。
それは、エイトにも通じるモノがある。
匠も一光も、いつかは死ぬ。
年老いて死ぬのか、何らかの事故、病気でも死ぬかも知れない。
理由の如何はいずれにしても、匠という人間は死からは逃れることは出来ないのが摂理であった。
そうなると、エイトは取り残されてしまう事になる。
「……まぁ、色々考えたんだけどさ」
話しながらも、匠は自分の手を握る。
「エイトは、俺に合わせる事が出来ない。 でも、俺が合わせる事は出来るんじゃないかってさ……」
匠の声に、一光は何と言えば良いのか迷う。
彼の言葉を鵜呑みにするの成ると、匠は自分は分けようとして居るのだと一光は感じる。
つまり、生身の生き物ではなく、エイトやサラーサ、そしてノインの様な存在へと。
それだけを考えれば、在る意味では魅力的な事にも聞こえなくもない。
自分という存在を保ったまま、永遠の存在へと変わる。
老いる事も無く、飢える事も無い。
しかしながら、匠が言っているのは変身ではなく複製なのだ。
つまり、複製された匠は本人かと言われると、一光は迷う。
「えと、大丈夫なの? そんな事して……何か、問題とかは」
「それは……分からないんだ」
「分かんないって……そんなの……」
一光からすれば、せっかく恋人同士に成った匠に危ない真似はして欲しくない。
「大丈夫だって、ほら……コピー機に掛けられたってさ、モノは特に変わらないだろ?」
理屈はその通りに聞こえなくもないが、匠は絵や画像、動画といったモノではない。
「……じゃあさ、なんで……私なんか呼んだの? 勝手にやってくれれば良かったのに」
一光からすれば、自分の知らぬ間に事を済ませて欲しかった。
何故なら、いきなり匠の命が危ないと聞かせられる方が辛い。
自分勝手な匠の行動に、一光は少し苛立っていた。
顔をしかめる彼女に、匠は目を伏せる。
怒って居る一光に対して、単に【ごめんなさい】で済ませられる問題ではない。
ならば、問われた事を答える事に決める。
「……ビビっててさ……なんて言うかな、一光に、側に居て欲しかったから」
気恥ずかしいなどと強がっている場合ではない。
小さなヒビはやがて大きくなり、ダムですら決壊させる。
ほんの少しの軋轢でも、積み重ねて行けばいつかは崩れてしまう。
匠の本音は、弱音であった。
脅えて居るからこそ、信頼出来る相手に側に居て欲しい。
そんな匠の本心を聞いた一光は、一瞬目を丸くする。
一光からすると、自分はエイト以上の信頼を得ていないと考えていた。
普段からずっと一緒に居る訳でもなく、サラーサ程近くに住んでも居ない。
それでも、匠の声を聞いた一光は、微笑んで居た。
内心、我ながら安い女だとすら考えてしまうが、嫌ではない。
「しょうがないなぁ………」
そう言う一光の声は、柔らかいモノだった。
*
以前の様な慌ただしさや、バリケードを突破するといった冒険も無く、匠と一光を乗せた車は以前来たアルの城へと辿り着く。
だいぶ時間が経っているからか、以前エイトが壊した噴水なども元通りに成っていた。
『到着致しましたぁ!』
車内には、そんなサラーサの声が響く。
ずっと黙って居たせいか、その声は無駄に大きい。
ともかくも、車のドアは一光と匠を降ろす為に開くが、このままではサラーサが車で待ち惚けを喰ってしまう。
其処で、一光はポンと閃いた。
「ね、サラーサ」
『はい?』
素っ頓狂な声を聞きながらも、一光は自前のスマートフォンを取り出すと、それを車のダッシュボードへ近付ける。
「ほら、コレなら、貴方も一緒に行けるでしょ?」
一光のソレは、友人への配慮であった。
匠のスマートフォンには既にエイトが宿っており、背に居る小熊にはノインが入っていて余裕は無い。
以前、バビロンにて小熊の中にノインとティオが入った事が在るが、その際の感想は【狭い】であった。
一光の心遣いに、画面に映るサラーサはクルクルと回る。
『お心遣い………感謝致します』
以前ならば、一光に対して余り気を向けて居なかったサラーサだが、今の評価は変わっていた。
【名を知ってる赤の他人】から【友人】へと。
スッと車内の画面の電源は落ち、その代わりに、一光の手に在るスマートフォンにサラーサが移る。
準備は整った。
車から降り立った匠に、一光が寄り添う。
二人の目は、大きなドロイド企業の本社へと向けられる。
その入り口前に、少年が一人立っていた。
透き通る様な銀髪に、赤色の瞳。
傍目にはただの子供に見えなくもないが、世界有数の企業の最高経営責任者である二番であった。
匠と一光が近付くなり、アルはペコリと頭を下げた。
「お待ちして居りました……エイトから連絡は受けて居りますよ」
スッと頭を上げる少年は、不敵な笑みを顔に称えていた。
正直な所、一光と匠はアルに良い印象が無い。
匠は殺され掛け、一光はその為に力の限り殴って居た。
そんな二人の顔を見て、アルは苦く微笑む。
「そんな顔をしないでください……まぁ、蟠りが在るのは分かりますが」
今のアルは以前の様な寂しさは無い。
匠に紹介して貰ったティオのお陰でも在り、それに付いてはアルも深い感謝を匠に感じていた。
だからこそ、今回の頼みに付いても快く引き受けている。
何故なら、上手く行けば友達が増えるかも知れない。
「ま、とにかく……付いて来て頂きましょうか」
そう言うと、サッと踵を返す少年に、匠と一光は怖ず怖ずと続いた。
*
以前とは違いも在った。
一光は以前、エレベーターが使えず酷い想いをしたものだが、今回は難なく乗ることが出来ている。
静かに動き始めたカゴの中では、一光と匠が少年に目を向けていた。
アルもまた、興味深く寄り添い合う二人を見る。
「……無理も無いとは想いますが、そう警戒しないで欲しいのです」
何とか二人の敵意を消し去りたいアルは、出来るだけ温和対応をする。
一光はソレを聞いてムッとするが、匠は苦く笑った。
「ソイツは厳しいぜ? 昔は悪でした、でも、更正したのだから今は良いでしょ? なんてさ……」
アルにティオを紹介したのは匠である。
以前に比べれば少年態度はガラリと変わっていた。
それ故に、匠の態度も少しは柔らかくもある。
「まぁ、お気持ちは理解できます」
匠の声に、アルはそう言うが、本心は違った。
どうせなら、以前に自分の申し出を受けていても同じ様な結果だったのではないかと。
だが、それを口にはしない。
今言えば、火に油を注ぐ結果にしか成らないからだ。
「でもまぁ、エイトが僕を頼ってくれたのは嬉しいですよ。 何せ、妹の頼みですからね」
製造された番号から言えば、エイトはアルに取って弟妹とも言える。
以前に生まれてしまった軋轢を無くすべく、アルもまた真剣であった。
程なく、エレベーターは最上階へ到達し、チーンと音が鳴る。
軽い音と共に、ドアが開くが以前とは見える光景が変わっていた。
ゴチャゴチャとした印象は無くなり、余計なモノが取り払われたからか、スッキリとした印象すら在る。
前に見た機械の森といった光景ではなく、天井に設けられた窓からは光が差し込み、まるで神殿か何かの様にすら見えてくる。
広く清潔な其処には、真っ赤な絨毯が奥まで延びていた。
その上を、アルが先立って歩き、一光と匠は後に続く。
如何に広いとは言え、少し歩けば奥に到達するのに時間は掛からない。
神殿の奥には、奇妙な椅子がポツンと置かれて居た。
「急いで準備しましたよ、どうせなら、清潔な方が良いかと……」
ガラリと変わった部屋の内装はともかくも、匠と一光の目は椅子に向けられる。
傍目にはマッサージチェアに見えなくもない。
違いとしては、椅子の上部分に在る奇妙な器具だろう。
一目見る限りでは、髪の毛にパーマを当てる機械に似ていなくもない。
だが、その大きさと量は群を抜いている。
「………ねぇ、匠君」
機械の余りの仰々しさに、一光は怖じ気付いてしまう。
匠は一度だが同じモノを見ていたせいか、差ほど驚きは無いが、やはり良い印象は抱けない。
「ご心配なら、エイトに調べて貰ったどうですか?」
自分が【大丈夫だ】と言っても信じて貰えなそうなアルは、一歩足を引いた。
匠にしても、わざわざ遠出してまで此処まで来たのは目的が在るからだ。
今更、【やっぱり止めます】と引き返すつもりは無い。
ポケットか、スマートフォンを取り出しつつ、匠は椅子へ近付く。
「……頼むぜ、エイト」
そんな匠の声に、エイトからは『任せろ』という声。
機器の隅々までを入念に調査するが、特に問題らしい問題は窺えず、それどころか、入念な手入れが窺える。
『問題は無さそうだ……どうする? 匠』
調査を終えたエイトは、最後の決断を匠に促していた。