貴方に逢えて良かった その2
エイトから【分かった】とは返事は貰った匠だが、その日の内にとは行かない。
とりあえず、時間も時間だからと床に着く。
「お休み、エイト」
『うん、ゆっくり休むと良い……お休み』
相棒の声を受けて、部屋の灯りを落とす。
普段ならば、サラーサがこっそり乱入したりと騒がしい事も在るのだが、この時は静かな夜であった。
騒がしい時は、それに気が向くために他の事は蔑ろに成ってしまう事が多い。
ソレが無いという事から、匠は想いを馳せる。
言い出したのは自分なのだが、そんな自分を二つに分けるとはどういう事なのかを考える。
単純に考えれば、匠のコピーが現れるだけであった。
コピー機に何らかの書類なり絵をコピーさせれば、それなりにソックリなモノが出来上がる。
だが、アルの言葉を信じるのであれば、完全なる複製だと言う事だ。
以前出逢った柳沢瑠奈の様な粗悪品ではない。
頭では考えられても、実感は湧かなかった。
想像するに、鏡に自分が映るのは当たり前の事だろう。
しかしながら、その映った自分が【よう】とでも言えば、それは果たして本当に加藤匠なのかと問いたくなる。
問わずとも、答えは出た。
両方共に加藤匠である事に間違いは無い。
「なんだか……ゾッとしねぇなぁ」
ボソリと匠がそう言うと、部屋の隅から『眠れないのかい?』と返事が来る。
其方へ目を向けると、スマートフォンではなく、ドロイドが起動していた。
薄着を纏った妙齢の女性といったエイト。
その顔には、信頼を寄せる相棒を窺う色が在る。
「いや………なんて言うのかな? 怖いってんじゃなくてさ、俺は俺だろ?」
『そうだな。 その通りだ』
「じゃあ、もう一人も……」
『確定的な事は何も言えない。 だけど、もし二人に成っても、君は君さ』
エイトの答えは、匠に取っては難しいモノだった。
分けられた自分もまた、加藤匠の意識を持っているのだろう。
同一人物であり、そうではない。
仮に何処までもソックリで在ろうとも、それは別のモノだ。
全く同じ規格で造られたモノを限り無く差異を無くしても、【二つ】である事に変わりは無い。
だとすれば、新たに現れた加藤匠は別人だと言うことに成る。
色々と考えている匠だが、自分に近付く気配には気付いていた。
目を開けて見れば、音も無く猫の様に近寄って来るエイトだが、スッと匠が横たわるベッドへ腰掛ける。
『不安だろう?』
相棒の心配そうな声に、匠は頭の後ろで手を組み鼻を唸らせる。
不安かそうでないかで言えば、多少ソレはあった。
今までの人類の中で、それをした人物の話は聞いた事が無い。
『……止めるなら、そう言ってくれれば良い』
寂しそうな相棒の声に、匠はゆったりと首を横へ振った。
「馬鹿言うなって……俺から言い出したんだぜ? 言い出した事を引っ込めるぐらいなら、言わねー方が花ってもんさ」
匠の声は、ただの強がりだ。 怖い事は怖い。
そんな匠のベッドへ、エイトは猫の如く潜り込んでくる。
以前ならば驚いた匠も、今は多少慣れて動じない。
『……本当に良いのかい? 君はそれで……』
匠に寄り添うエイトは、寂しげにそう言う。
それは、飼い主に甘える猫を想わせた。
エイトの頭を撫でながら、匠は考えを巡らせる。
何もしなくとも、特に問題は無い。
レイも語って居たのだが、生き物は死ぬことが自然なのだと。
しかしながら、匠が死ねばエイトを待っているのは孤独だ。
今は居ないが、レイの哀しげな顔を忘れては居ない。
「お前は……嫌か?」
匠の問いに、エイトは頭を横へ振った。
『いや、嬉しいよ……匠』
エイトは滅多に匠の名を呼ぶ事は無い。
その理由を匠は知らないが、口は嬉しそうに笑って居た。
*
数日後、唐突に匠から誘いを受けた一光は忙しかった。
遊びの誘いなのだろうと、この日の彼女はめかし込む。
ただ、余り派手過ぎないようには心掛けている。
化粧もケバケバしいモノではなく、あくまでも自分をより良く見せるに留め、衣服に関しても敢えて地味なモノを選択して居た。
鏡の前で全身を何度も確認してから、ウンと頷く。
「……良し」
自分で納得し、後は呼び出しを待つだけ。
予定の時間は決められては居たが、残り時間は少ない。
「あ! ヤバい! ごめん、ノイン!」
時計を睨みつつ、一光は小熊をひっ掴み、ザックへと押し込む。
その際、小熊からは『ギュウゥ』と苦しげな声が漏れたが、一光は「ごめん」と言うだけに留めていた。
バタバタと慌ただしく走り、自宅である【相楽商店】の前に出る一光。
すると、既に店の前には一台の車が留まっていた。
タクシーではないそれには見覚えが無く、何事かと一光は訝しむが、車の後部座席のドアが開き、匠が顔を覗かせる。
「悪い悪い、待った?」
待ち合わせに遅れたかの様に匠は詫びるのだが、どちらかと言えば待たせていたのは一光の方である。
「あー、うん。 ごめんなさい、待たせて」
一光からの詫びを受けて、匠は苦く笑う。
「まぁまぁ、良いからさ、とりあえず乗ってくれる?」
「うん」
匠の誘いに応じて、車へ乗り込む一光。
意外だったが、車内には匠しか居なかった。
「あれ? エイトは? サラーサも来ると想ってたのに」
二人きりの方が良いとは思っていても、そうは言えなかった一光。
だが、匠の纏うジャケットから『此処に居るぞ』と声がした。
匠がソッと上着からスマートフォンを取り出すと、画面が灯る。
『やぁ、相楽一光』
「あー、チワッス……エイト」
エイトの声に、一光は挨拶を返すのだが、内心【やっぱり居るのか】とも考えてしまった。
『そう嫌な顔をしないで欲しい』
「え? うーん、そんな事無いけどさ」
一光は露骨にお前は邪魔だとも言わないが、そんな想いは胸に無くもない。
自分もノインを連れて来ては居るが、ソレはソレ、コレはコレであった。
「とりあえずさ、一光は、今日は付き合って貰って大丈夫なのか?」
「ほ? ぁ、あぁ、うん、全然大丈夫です」
真摯な匠の声に、一光は少し慌てた。
スマートフォンにエイトが居ても、問題ではないと判断する。
実質的には車内は二人だけ。
その事に胸を弾ませつつ、一光は口を開いた。
「えと、でもさ……どこ行くの?」
問われた匠は、うーんと鼻を鳴らすと遠くを見た。
「行く所はとりあえず一つ何だけどさ……その後は、また別に考えようかなってね」
匠の声は行き先をはぐらかしている様にも聞こえる。
とは言え、一光は一々それを問い質さない。
行き先が分かってしまって居るよりは、分からない方が楽しみもある。
彼女をいきなり訳の分からない場所へは連れ出さないだろうという信頼を一光は匠に持っていた。
「出してくれるか?」
匠の声に、車内に設置された画面が灯る。
一応は自動運転なのだが、画面には変形されたサラーサの顔が映った。
『はーい! それでは出発致しまぁす!』
何とも呑気な声が車内には響いた。
*
途中休憩を挟みながらも、匠と一光を乗せた車は一路在る場所へと向かう。
そんな道には、一光は憶えが在った。
「あれ? なんか……前に通った様な気がする」
一光の疑問に、画面に映るサラーサはウインクを贈った。
『そりゃあそうですとも、前も一緒に通ったじゃないですか!』
サラーサの声に、一光は片目を窄め、鼻をウーンと唸らせた。
一光からすれば、サラーサと出掛けた事は多くない。
以前のバビロンへの旅行を抜けば、思い当たる事は一つである。
匠が病に倒れた時の事を、一光は思い出していた。
「えと……じゃあ……もしかして?」
『そうだ。 この車はアルの所へ向かっている』
訝しむ一光に、匠のポケットから返事が届く。
ソレを聞いた一光は、益々顔をしかめた。
正直に言えば、アルに良い印象を持っていない。
「でもさぁ………なんでまた?」
「俺が頼んだんだ」
匠の声に、一光は耳を疑う。
死んでないとは言え、匠はアルに殺され掛けた事に間違いは無い。
その犯人の所へノコノコと向かう事が、一光は信じられなかった。
「何か………在ったの?」
本来なら関わりたく無い相手の所へ行くという事は、何らかの理由が在るのではないかと一光は考える。
知人友人に会いに行くのとは訳が違うからだ。
「こんな事言うと、頭が馬鹿に成った様に聞こえるかも知れないけどさ。 俺、彼奴に頼んで俺を増やそうと想ってるんだ」
匠の言葉に、一光は目を丸くする。
細かい説明が成されて居ない以上、事の詳細を探るのは難しい。
それでも、何となく意味を悟った一光の「はぁ!?」という声が車内に響いていた。