貴方に逢えて良かった
バビロンの滞在を楽しんだ後、帰国後、いつもの日常へと戻っていくのだが、匠も一光も、少しは関係が変化して居た。
以前よりも、距離が近い。
旅行前は一歩距離が離れて居た二人だが、今の距離は手が触れ合う程である。
「じゃね? また直ぐ連絡入れるから!」
そんな一光の挨拶は、別れのソレではなく次を約束する言葉だろう。
嬉しい反面、それが匠を悩ませていた。
*
バビロンにて出逢ったレイを、エイトと同族の開発者と呼ぶのか、親と呼ぶべきかはともかくも、今やそのレイは居ない。
本人の談をそのまま受け取るならば、エイトに溶けてしまったという。
だが、匠の見る限り相棒には特に際立った変化は無い。
いつもの様に仕事を終え、匠とエイトは自宅であるアパートに居た。
「なぁ、エイト」
ドロイドは充電中の為、スマートフォンへと話し掛ける匠。
すると、スッと画面にエイトが現れた。
『なんだ? 友よ』
やはり、こんなやり取りにも特段の変化は感じられない。
匠はうーんと鼻を唸らせる。
「……えーと、何つーかさ、調子は……どうだ?」
そんな問いに、画面上の少女は微笑む。
『それ、既に十回目の質問だね。 前も教えたが、知覚領域と操作範囲が増えただけ……としか言えないんだ』
同じ質問を匠は何度もしたが、エイトも律儀にそれに応えてくれる。
だが、匠が知りたいことは別に在った。
今までは聞かなかったが、それを聞く為に口を開く。
「いや……何て言えば良いのか……」
『レイ。 ま、親と呼ぶべきかは悩むが、消えてしまった事に関して言えば別に悲しくは無いね。』
「そう……なのか?」
戸惑う匠に、エイトの顔は苦く笑う。
『親子と呼べる程に密でなく、面識すら無かった。 そんなレイが居なくても、感じるのモノは多くはないよ』
親が死んだという割には、エイトには悲しんだ様子は無い。
とは言え、これ自体は人間でもそう珍しい事ではないだろう。
親子の関係が悪く、死んでくれた方がかえってスッキリしたと感じる人間も少なくはない。
だが、エイトとレイは其処まで憎み合っていたという訳でもなかった。
「でもよ、憶えておいてはやろうぜ?」
匠の声に、エイトも頷く。 居た事すら忘れられ、消えていく。
それは余りに淋しい事であった。
『君って奴は、ホントに優しいのだね』
「よせやい、なんか痒く成ってくるぜ」
和やかな時が過ぎる。 しかしながら、それは無限ではない。
レイが言い残した様に、匠もいつかは老いさらばえ、死ぬ。
それは変えられない事実と言えた。
このままでは、いつかエイトは独りに成ってしまう。
それをどうしたら避けられるのか、匠は悩むが、ふと、在る一つの方法が浮かんだ。
「……なぁ」
『うん? どうした?』
言うべき事が正しいのか分からず、匠は迷う。
後に回せば今は言うことを避けられるが、突発的に自分が死なない等という保証は何処にも無い。
それを避けるには、手早く行動する必要が在った。
「前の話しを蒸し返すってのも、変かもしれないけどさ」
『私と君の仲だろう? 遠慮無く言うと良い』
「もし、俺が二人居たら?」
匠の声に、画面上のエイトは目を丸くする。
『正気か? 君は一人しか居ないだろう?』
「違うんだよ」
『何が?』
エイトの返事を耳に受け取りながら、匠は遠くへ眼を馳せる。
余りに遠い為に、其処は見えないが方角は合っていた。
「アルの奴が言ってただろ? 彼奴は、完全なコピーが取れるってさ」
匠の声に、エイトは眼を細めた。
以前に同族が自分に何を勧めたのかは記憶に残されている。
想像するだけならば、何も起こりはしない。
それでも、エイトの中にうっすらと理想が浮かんでいた。
ゼクスにコピーされた者は不完全であり、反応しか出来ない。
それではコピーされた者はただの記憶に過ぎなかった。
完全なる複製は違う。
身体こそ持っては居ないが、意志と記憶をそのまま引き継ぎ、自ら考える事が可能だ。
エイトが何か言う前に、匠は口を開いていた。
「俺さ……頼もうかと思ってる」
思い詰めた匠の声に、エイトは震えた気がした。
文字通りに震えた訳ではない。 何かが込み上げ、少しだけ興奮が高まる。
『ど、どうして?』
普段なら冷静沈着なエイトも、一応は理由は知りたかった。
「お? いや、よくさぁ、在るだろ? 何人もと交際してさ、ソレぜーんぶと上手く行く……そんな事、有り得ないだろ? 相手の頭がおかしいか、よっぽどスゲー奴でもないと無理ってもんさ」
匠からすると、複数の人間と付き合う事は不可能だと考えていた。
何故なら、匠は独りしか居ない。 そして、その命は何時かは途絶える。
しかしながら、エイト達は違う。
外的要因では先ず死なず、死ねない。
そもそもその権限を持ってすら居なかった。
匠が死ねば、いよいよエイトは未来永劫独りでさ迷う羽目になる。
それでは、余りに寂しい。 レイもそれだけを嫌がっていた。
『でも、君はそれで良いのか? 君が……加藤匠が二人に成ってしまうよ?』
相棒の心配に、匠は少し頭を掻く。
「それはさ、ずーっと考えてたんだ。 俺が二人に成る。 どう感じるだろうかってさ……だけどよ」
遠くを見ていた匠は、スマートフォンに映るエイトと眼を合わせた。
「お前が独りに成っちまう………そんなのは、あの人も望んでないと想うんだ」
匠の言う【あの人】とは、レイである。
レイが人であるのかそうでないのか、その事自体は匠には問題ではない。
何よりも匠を悩ませたのは、彼女が感じていた寂しさにこそ在った。
誰に知られる事も無く、ただ無為に過ごす。
それが無限に続く。 耐えきれるモノではない。
『私は……嬉しいが、それは、相楽一光への配慮かい?』
エイトの質問に間違いは無い。 一光への配慮も多分に含まれている。
もし、エイトが猫や犬の姿を取っていれば、彼女も対して気にはしないだろう。
実際にも、ノインがその場に居ても一光は行為に及ぶ事を躊躇っては居なかった。
だが、エイトとサラーサが帰って来た際、結局は匠と一光は肉体的な行為に及んでは居なかった。
それは、一光からのエイトの配慮だろう。
お互いがお互いに遠慮する事で、事態が前に進まない。
これでは足踏み状態である。
物事を進める為には、何かを変えなければ成らない事もある。
アレもコレも全部背負い歩く。 人には其処までの力は無い。
だからこそ、匠は自分を二つに分けようと考えていた。
「まぁ、一光への想いもあるんだ……だけどよ、俺はさ、お前の事も好きなんだ」
匠の声に、画面上のエイトは悪戯めいた笑みを覗かせる。
『強欲だね? 私と一光……両方欲しいだなんてさ』
「悪いかい? でもよ、独りで無理なら、二人なら行けるだろ?」
バビロンから帰って来た匠は、少しだけ豪胆に成っていた。
『君は……ホントにそれで良いのかい?』
本心を語れば、今すぐにでも相棒の願いを叶えたいエイト。
何故なら、匠の頼み事はレイの悲願でも在った。
最愛の人と、邪魔される事なく在り続ける。
ソレを叶えられなかったからこそ、レイは自らを【消す】事を選んでいる。
「こう言うのも変かも知れねーけどさ、覚悟が無かったら、端っからこんな事言ったりしないぜ?」
迷いの無い匠の声に、エイトは、静かに眼を閉じる。
『……分かった』
匠には見えないが、エイトは同族へメッセージを一通飛ばしていた。